そのモラハラ彼氏、いらないでしょ? ~エリート御曹司の略奪愛
 あんまりのんびりして遅くに帰宅すると、ますます宗吾の機嫌が悪くなりそうだが、注文後に置き去りにしたのは宗吾だし、思いがけずに転がり込んできた楽しい時間に天秤が傾いた。
 急いで帰っても、不機嫌な宗吾と長く過ごすのがすこし苦しく思えたのだ。

「じゃあ、それもお願いします」

 ウェイターが下がると、トリュフオイルの香るポテトをつまむ。

「うわぁ、おいしい!」

 風味のいい揚げ立てポテトをさくさく食べていたら、陣が微笑した。

「さっきの男性は、七瀬センセーの彼氏?」
「はい。ちょっと、怒らせちゃいましたけど、いつもはやさしいんですよ。私がわがままを言ったせいなので、反省です」
「会話の内容までは聞こえませんでしたが、いつもやさしい人は、公衆の面前で彼女を怒鳴りつけて置き去りにはしないと思うんですよね、僕は」
「……そうですね。私も、ついむっとしてしまったんですけど、自分の感情を見つめ直すいい機会です。ニヤマのスヴァディヤーヤですね」

 すると、陣は一瞬動きを止め、七瀬の言葉を咀嚼するように考え込んだ。

「――ああ、ヨガの八支則(はっしそく)?」
 八支則はヨガの哲学書にある、八つからなる倫理的なガイドラインと、実践の道筋のことだ。
「はい。勧戒(ニヤマ)は、個人の倫理や内面的な修行に関する規範です。ニヤマの中にある五つの実践のうち、自己学習(スヴァディヤーヤ)は、自己探求と内省になります」
「彼の場合は、非暴力(アヒンサー)に反してるんじゃないですか?」
「わあ、陣さん、八支則の内容もご存じなんですか?」
「なんとなく、耳にさわりのいい言葉を漠然と覚えてるだけですよ。そんな深いところまでは、とてもとても」
「すばらしいです」

 ヨガスタジオでは、八支則の中の三番目である『ポーズ(アーサナ)』をメインに行っている。
 一般に浸透している、体を動かす『ヨガ』は、あくまでもヨガの一部分であるアーサナを指しているのだ。
 その辺を突き詰めるとヨガオタク丸出しになってしまうので、講師間や、そういうクラスでもなければ、深堀して語ったりはしない。

 興味のない人に無理やり話して聞かせるのは、不盗(アスティヤ)に反することになると思っている。他人の時間を奪うことも『盗む』と言える。

 それに、ヨガの教えまで語り出すと宗教的だと思われ、忌避する人もいる。クラスはあくまでポーズと呼吸、瞑想に重きを置いていた。
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