『あなたを愛することはございません』と申し上げましたが、家族愛は不滅ですわ!
「ここまでは問題ないな」
ハロルドはニッと口の両端を上げた。自分たちを取り囲む貴族たちの空気が変わったのを感じる。
それはキャロラインへの不名誉な噂が、好意的なものに転換したということだ。
鈍感なキャロラインは、そんな周囲の変化など気付かずに「えっへん!」とドヤ顔とする。
「わたくしに踊れないダンスはございませんわぁ〜!」
調子に乗った彼女が、ムーンウォークをしようと一歩後退りをしたところ、
――スッ!
ハロルドが長い脚を突き出して、妻の細い足首をはらった。
「ぎゃあっ!」
バランスを崩して後ろに倒れそうになる。
すかさずハロルドが抱きかかえる。
大きく身体を仰け反った大胆なダンスに周囲は沸き立った。
「今、ムーンウォークをしようとしたろ?」
彼の圧迫感あふれる声が彼女の耳元で囁く。
「わ、わたくしはそんなことしてませんー!」
彼女は否定するが、夫の鋭い視線がレーザービームみたいに彼女の心臓を貫いた。
「絶対に駄目だからな」
「分かってますわよ」
キャロラインは不服そうにむむーっと頬を膨らませたが、ふとアイデアが閃いてニヤリと笑った。
次の瞬間、
「どりゃあっ!」
彼女はリズムに乗って近付いてくるハロルドの反動を利用して、思い切り突き飛ばす。
「っ……!」
彼はぐるぐると回転しながら、2メートルほど移動した。
そのあいだ彼女は両手を伸ばしてポーズを作る。まるで相手を切実に求めているかのような、あるいは戦いを挑んでいるかのような刺激的な姿勢だ。
初めて見るダンスの形に、貴族たちはどよめく。たちまちダンスホールは、ハーバート夫妻のワンマンショーになった。
ハロルドはキレのいい回転をしながら元の位置に戻って、再び二人は密着する。
「おい! なにやってんだ!」
「旦那様、おムーンウォークだけがわたくしの持ち技じゃありませんことよぉ〜!」
二人に合わせてか、曲のテンポが速くなった。キャロラインがリードするように動き、運動神経の良いハロルドもすぐに妻の動きに追いついた。
「な、なんだ、この動きは……!?」
「パソドブレですわぁ〜! わたくし、ダンス全般が大☆得☆意ですの!」
――タン、タンッ!
リズムを弾くような、シャープな動きが続く。
キビっと動いて、ターン。
さっと素早く左に顔を向けて、バッと腕を伸ばす。
(説明しましょう! パソドブレとは闘牛をイメージしたおダンスですわ〜!)
ハロルドは最初はキャロラインに付いていくのが精一杯だったが、慣れたら今度は彼がリードしはじめた。
くるくると妻を回転させて、動かしていく。戦場で敵と剣を交える、命を賭けたダンスだった。
うねるような官能的な動きと、燃えるような激しいステップ。
社交のたおやかなワルツとは違って、情熱的な動きは見る者たちを圧倒させる。
音楽家たちも二人の世界に負けないように、勢いを上げていった。
「オ・レッ!!」
最後はドレスと礼服を見せ付けるカッコイイ決めポーズと、キャロラインの謎の掛け声。
しばらくの沈黙のあと、
「「「わあぁぁぁぁぁっ!!」」」
大歓声と拍手の波。
会場は最高潮に盛り上がった。
それは、今夜新しい『社交界の華』が誕生した瞬間だった。
主役は王太子の婚約者ではなく、ハーバート公爵夫人だ。