まじめ医療部員の由良さんは、北条ドクターの甘々包囲網の中

12 向けられた好意

 お見合いの当日、由良は迎えに来た尚史の車で社員寮を後にした。
 予約されたサロンで着物に着替え、髪をアップにしてもらって支度をする。
 尚史が用意した着物は淡い青とリンドウ模様で、お見合いという場にしては地味だったが、美容師は「お嬢さんの柔らかい雰囲気によく似合っていますよ」と上機嫌だった。
 尚史も由良のいでたちを見てうなずいて、二人はまた車に乗り込んだ。
 鞄も草履も、尚史と義姉が事前に用意してくれていた。由良は万全に整えられてしまった自分の格好に緊張しながら、運転席の尚史に言う。
「こういうとき、写真を撮っておいてお互い事前交換するものだと思ってたよ」
「相手の写真ならある。見せようか?」
「ううん、いいよ。これからすぐ会うんだし」
 由良が断ると、尚史は車間距離を詰めながら言った。
「相手は、お前のことを知っている。だから写真を見せる必要がなかった」
「どこで私のことを知った方なの?」
 由良が問いかけたら、尚史はちらと横目で由良を見て言った。
「やっと乗り気になったか。もっと早く訊いたなら、経歴から家柄まで何でも話してやったのに」
「そういうの、むしろお兄ちゃんが関心ないと思ってたの」
「あるに決まってるだろ。お前の結婚相手なんだからな」
 由良が意外そうに眉を上げると、尚史はハンドルを切って話し始めた。
「郊外に慈立会という病院があるだろう。そこの次男で、年は三十三」
 由良は他人事のように感心して、少し気後れしながら答えた。
「あんな大きな病院の? 私みたいな庶民が相手でいいのかな。もっと条件のいい相手がたくさんいそうなのに」
「彼は勉強のために今は外で働いていて、その中でお前のことを知ったんだそうだ。お前が虚弱体質なのも知っていて、お前の体調を最優先にして今後を決めたいと言ってくれた。お前をすぐに家庭に迎え入れる準備もあるが、実家に戻るかはお前とよく話し合ってから決めると」
「……なんだか、いい人だね」
 聞いた限りでは、由良の意思を尊重して大事にしてくれている。これから断るつもりで来たから、由良は少し胸が痛んだ。
 尚史はうなずいて、さとすように由良に言う。
「ああ、いい奴だ。条件だって、ドクターじゃないが、手に職も持っているし、資産もある。……何より、お前のことをとても気に入ってる」
 相手が自分を気に入っているという、そこが由良にはわからなかった。由良はどこでそんな人に出会ったのか心当たりがないし、好意を持たれるようなこともした覚えがない。
 由良は首を傾げたまま、尚史が運転する車は郊外の高級ホテルに入った。普段なら由良は決して立ち入らない、宿泊にも食事にも相当な費用のかかるところだ。
 庭は初夏の風が薫って、楚々とした雰囲気が漂っていた。その離れの料亭に、由良は尚史に連れられて入った。
 丸い洒落た窓から、苔むす庭と池が臨めた。由良はこんなところで食事をしたことも、まして男の人と会ったこともない。緊張してちらちらと隣の尚史を見ると、彼は苦笑して言った。
「向こうは職場の上司と一緒に来る。大丈夫だ。どちらも気安い人柄で、お前が思うような堅苦しいお見合いにはならないよ」
「そうかな……」
「ああ。……来たみたいだな。由良」
 離れの玄関が開かれる音がして、足音が近づいてくる。
 尚史が席を立ったので、由良もそれにならって席を立つ。まず尚史が口を開いた。
「今日はよろしくお願いします」
 尚史と由良はお辞儀をして、あちらもすぐに頭を下げた。
 ……こんな場、どうしたらいいかわからないよ。由良はガチガチに緊張していて、なかなか顔を上げられなかった。
「由良さん、顔上げて?」
 でもふいに聞きなじみのある声で呼ばれて、由良は首をひねる。
 朗らかで気さくな声。由良はこの場で聞くとは思わなかった声に、慌てて顔を上げる。
 そこにおおらかで明るい、いつも頼りにしている顔をみつけて、由良は息を呑む。
「上川さん……」
 隣の席の、世話好きのナースマン。そういえば彼の実家は大病院なのだと、誰かが話していたのを思い出す。
 上川は職場では白衣であることが多いが、今日はスーツ姿だった。いつもは下ろしている前髪も後ろに流していて、大人っぽかった。
 上川の方も由良の格好を見たようで、こくんと息を呑んだようだった。
「いつもと雰囲気違うけど……すっげー綺麗だね。見とれる」
 彼はちょっと照れたように笑って、由良にそう言ったのだった。
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