まじめ医療部員の由良さんは、北条ドクターの甘々包囲網の中
13 未来を描くには
由良が上川と知り合ったのは二年前。それからずっと隣の席で仕事をしてきた。
病弱なことも、医療知識が足りないこともあって、由良は上川に庇ってもらうことが多かった。そんな由良の面倒を、上川は快く見てくれた。
上川の側の仲人は彼の上司であり、由良の上司でもある部長だ。お見合いが始まって間もなく、部長は相好を崩して言った。
「上川君から仲人を引き受けてほしいと言われたときは、ああやっぱりと思いましたよ。彼はずっと由良さんを気にかけていましたからね」
でも由良は、上川からそういう意味での好意を向けられていたとは知らなかった。上川が自分に向ける感情は、面倒見のいい彼の厚意の域を出ないと思っていた。
尚史も幾分か砕けた様子で、部長の言葉に応じる。
「こちらも上川君には事前にお会いしたので、彼が妹のことを良く思ってくれているとわかってうれしかった。部長もご存じのとおり、妹は堅物で引っ込み思案でもあるから、こういうご縁があって非常にありがたいです」
「はは。普段頼りない部長ですから、役に立つ機会が出来てこちらもうれしいですよ」
部長と尚史は和やかに言葉を交わし合って、しばらく上川と由良が直接話す機会はなかった。
でも上川がじっと由良をみつめている、その視線はいつもと違うと思った。それは北条にも向けられたことがあって、覚えがある。……自分は男性で、今女性として由良を見ていると伝えてくる。
上川が、由良に好意を持っている。その事実を聞いて、由良は戸惑いながら考えていた。
……私は上川さんをどう思っているんだろう? ここに至って初めてそれに思いを馳せていた。
ふいに部長が上川の方を見て、何かに気づいたように苦笑した。
「ああ、僕らばかりが話していてはいけませんね。上川君、由良さんと二人で庭を見てきたらどうですか?」
由良は緊張した様子で全然懐石料理に手をつけていなくて、部長は助け舟を出すつもりだったのだろう。由良が尚史を見ると、尚史も快くうなずき返す。
上川は先に立ち上がりながら、由良に言う。
「行こ、由良さん」
上川が由良にかけた言葉の調子はいつも通り朗らかで、由良は少しだけ緊張を解いた。
由良と上川は座敷を出て、外の庭を二人で歩いた。上川は外に出てすぐ、いたずらっぽく由良に振り向く。
「驚いた?」
「はい。だって上川さんは、ずっと同僚でしたから」
並んで歩くと、上川は由良の頭二つ分も背が高い。サッカーで鍛えているから体つきもがっしりしていて、男性なんだと意識する。
上川は照れたように笑って、由良に打ち明ける。
「俺の方は意識しっぱなしだったんだけどね」
「え? そ、そうなんですか?」
「そりゃそうだよ。頼ってほしいなんて言ったの、由良さんだけ。由良さんの隣の席になって、毎日出勤するのが楽しみになった。俺、中学生みたいだろ?」
鳥の声がかすかに聞こえる、のどかな昼下がりだった。由良はまだうろたえながら、上川に言葉を返す。
「上川さんは立派な、魅力的な男性です! 私が未熟で、気づかなかっただけで……」
「そこが由良さんの可愛いとこでもあるし、残酷なとこでもあるかな」
上川は頬をかいて、困ったように由良に目配せする。
「例の大学生の子とランチに行ったのも、由良さんに嫉妬してほしかったからなんだ。それどころじゃなくなっちゃったけど。ほんとごめん」
「上川さんが謝ることじゃないですよ」
上川は由良にそう言われても、やっぱごめん、と言葉を繰り返した。
「ずっと由良さんのこと気になっていたのに、好意を伝えたいと思っていたのに、一歩が踏み出せなくて。せっかく由良さんが警戒を解いてくれているのに、思いを伝えた途端にその笑顔が曇ったらどうしようって、怖くて」
上川はそこで足を止めて、顔を引き締めて切り出した。
「……でももう我慢はやめにしたい。俺、由良さんに伝えてもいいかな」
上川の声が真剣味を帯びて、思わず由良も足を止める。
「あ」
けれど慣れない着物の裾に戸惑って、由良はつまずいてしまった。
その由良の背を、しっかりとした腕が包んで支える。由良は慌ててお礼を言った。
「あ、ありがと……」
顔を上げた由良の目の前に、真剣なまなざしがあった。まじまじと見たのは初めてだったけれど、上川は精悍で、力強い面差しをしていた。
じわりと背中ごしに伝わるぬくもり、その腕の強さ。由良はどぎまぎしながら、身動きもできない。
上川は由良をみつめながら、確かに伝わるようにはっきりと言う。
「俺、由良さんが好きだよ。今までも、これからも」
背を支えられたまま、由良は瞳を揺らして上川を見上げる。一拍迷って、由良は言葉を返した。
「……私、仕事をやめるつもりはありません」
上川はうなずいて、由良の心に添うように答えた。
「お兄さんはやめさせたいみたいだけど、俺は由良さんの望むとおりにさせてあげたいと思ってる。俺は頑丈だし、由良さんの人生を背負う覚悟がある。お兄さんを説得するなら、手伝う」
「私、は……」
由良はその真摯な言葉に、ずきりと痛む心で抵抗する。
「……上川さんの気持ちに応えられない。北条先生が好きですから」
上川はその言葉が不快だったようだった。彼は首を横に振って、言葉を重ねる。
「由良さんは北条先生への尊敬を、恋と誤解してると思う。由良さん、気持ちをまっさらにして俺のこと考えてみて? 俺は由良さんと等身大の関係になれるよ。今すぐ結婚もできるし、長く一緒に歩いていけるよ。……ドクターで取締役の北条先生に、それはできないんじゃない?」
由良は内心を言い当てられて息を呑んだ。立場が違う北条とは、一緒に歩いていけない。未来を描けない。それは由良の中で、ずっと彼と恋人同士に至れなかった理由でもあった。
上川は揺れた由良の内心を読み取ったように、じっと由良をみつめて言う。
「俺と結婚して、由良さん。……返事、ずっと待ってるから」
上川は由良の手を取って願うように告げる。それからいつもの彼らしく、朗らかに笑った。
由良は彼の手のぬくもりに戸惑いながら、しばらく上川を見上げることしかできなかった。
病弱なことも、医療知識が足りないこともあって、由良は上川に庇ってもらうことが多かった。そんな由良の面倒を、上川は快く見てくれた。
上川の側の仲人は彼の上司であり、由良の上司でもある部長だ。お見合いが始まって間もなく、部長は相好を崩して言った。
「上川君から仲人を引き受けてほしいと言われたときは、ああやっぱりと思いましたよ。彼はずっと由良さんを気にかけていましたからね」
でも由良は、上川からそういう意味での好意を向けられていたとは知らなかった。上川が自分に向ける感情は、面倒見のいい彼の厚意の域を出ないと思っていた。
尚史も幾分か砕けた様子で、部長の言葉に応じる。
「こちらも上川君には事前にお会いしたので、彼が妹のことを良く思ってくれているとわかってうれしかった。部長もご存じのとおり、妹は堅物で引っ込み思案でもあるから、こういうご縁があって非常にありがたいです」
「はは。普段頼りない部長ですから、役に立つ機会が出来てこちらもうれしいですよ」
部長と尚史は和やかに言葉を交わし合って、しばらく上川と由良が直接話す機会はなかった。
でも上川がじっと由良をみつめている、その視線はいつもと違うと思った。それは北条にも向けられたことがあって、覚えがある。……自分は男性で、今女性として由良を見ていると伝えてくる。
上川が、由良に好意を持っている。その事実を聞いて、由良は戸惑いながら考えていた。
……私は上川さんをどう思っているんだろう? ここに至って初めてそれに思いを馳せていた。
ふいに部長が上川の方を見て、何かに気づいたように苦笑した。
「ああ、僕らばかりが話していてはいけませんね。上川君、由良さんと二人で庭を見てきたらどうですか?」
由良は緊張した様子で全然懐石料理に手をつけていなくて、部長は助け舟を出すつもりだったのだろう。由良が尚史を見ると、尚史も快くうなずき返す。
上川は先に立ち上がりながら、由良に言う。
「行こ、由良さん」
上川が由良にかけた言葉の調子はいつも通り朗らかで、由良は少しだけ緊張を解いた。
由良と上川は座敷を出て、外の庭を二人で歩いた。上川は外に出てすぐ、いたずらっぽく由良に振り向く。
「驚いた?」
「はい。だって上川さんは、ずっと同僚でしたから」
並んで歩くと、上川は由良の頭二つ分も背が高い。サッカーで鍛えているから体つきもがっしりしていて、男性なんだと意識する。
上川は照れたように笑って、由良に打ち明ける。
「俺の方は意識しっぱなしだったんだけどね」
「え? そ、そうなんですか?」
「そりゃそうだよ。頼ってほしいなんて言ったの、由良さんだけ。由良さんの隣の席になって、毎日出勤するのが楽しみになった。俺、中学生みたいだろ?」
鳥の声がかすかに聞こえる、のどかな昼下がりだった。由良はまだうろたえながら、上川に言葉を返す。
「上川さんは立派な、魅力的な男性です! 私が未熟で、気づかなかっただけで……」
「そこが由良さんの可愛いとこでもあるし、残酷なとこでもあるかな」
上川は頬をかいて、困ったように由良に目配せする。
「例の大学生の子とランチに行ったのも、由良さんに嫉妬してほしかったからなんだ。それどころじゃなくなっちゃったけど。ほんとごめん」
「上川さんが謝ることじゃないですよ」
上川は由良にそう言われても、やっぱごめん、と言葉を繰り返した。
「ずっと由良さんのこと気になっていたのに、好意を伝えたいと思っていたのに、一歩が踏み出せなくて。せっかく由良さんが警戒を解いてくれているのに、思いを伝えた途端にその笑顔が曇ったらどうしようって、怖くて」
上川はそこで足を止めて、顔を引き締めて切り出した。
「……でももう我慢はやめにしたい。俺、由良さんに伝えてもいいかな」
上川の声が真剣味を帯びて、思わず由良も足を止める。
「あ」
けれど慣れない着物の裾に戸惑って、由良はつまずいてしまった。
その由良の背を、しっかりとした腕が包んで支える。由良は慌ててお礼を言った。
「あ、ありがと……」
顔を上げた由良の目の前に、真剣なまなざしがあった。まじまじと見たのは初めてだったけれど、上川は精悍で、力強い面差しをしていた。
じわりと背中ごしに伝わるぬくもり、その腕の強さ。由良はどぎまぎしながら、身動きもできない。
上川は由良をみつめながら、確かに伝わるようにはっきりと言う。
「俺、由良さんが好きだよ。今までも、これからも」
背を支えられたまま、由良は瞳を揺らして上川を見上げる。一拍迷って、由良は言葉を返した。
「……私、仕事をやめるつもりはありません」
上川はうなずいて、由良の心に添うように答えた。
「お兄さんはやめさせたいみたいだけど、俺は由良さんの望むとおりにさせてあげたいと思ってる。俺は頑丈だし、由良さんの人生を背負う覚悟がある。お兄さんを説得するなら、手伝う」
「私、は……」
由良はその真摯な言葉に、ずきりと痛む心で抵抗する。
「……上川さんの気持ちに応えられない。北条先生が好きですから」
上川はその言葉が不快だったようだった。彼は首を横に振って、言葉を重ねる。
「由良さんは北条先生への尊敬を、恋と誤解してると思う。由良さん、気持ちをまっさらにして俺のこと考えてみて? 俺は由良さんと等身大の関係になれるよ。今すぐ結婚もできるし、長く一緒に歩いていけるよ。……ドクターで取締役の北条先生に、それはできないんじゃない?」
由良は内心を言い当てられて息を呑んだ。立場が違う北条とは、一緒に歩いていけない。未来を描けない。それは由良の中で、ずっと彼と恋人同士に至れなかった理由でもあった。
上川は揺れた由良の内心を読み取ったように、じっと由良をみつめて言う。
「俺と結婚して、由良さん。……返事、ずっと待ってるから」
上川は由良の手を取って願うように告げる。それからいつもの彼らしく、朗らかに笑った。
由良は彼の手のぬくもりに戸惑いながら、しばらく上川を見上げることしかできなかった。