まじめ医療部員の由良さんは、北条ドクターの甘々包囲網の中
17 風吹く過去の地で
古い団地の奥、少し小高い丘の上に、その霊園はあった。
じきに夏だというのに風が冷たくて、カサカサと枝葉が揺れていた。
「ずいぶん来ていなかった。……やっぱり僕は冷たい人間なんでしょうね」
墓石に花を捧げる勇人と一緒に、由良はそこに眠っている人へ思いを馳せていた。
北条瑠奈。勇人の妹の名前を、由良は五年前にニュースで見たことがあった。
それは二十三人を巻き込んだ悲惨な列車事故の、唯一の死者の名前だった。怪我人が運び込まれた大学病院は戦場のようなありさまだったと、当時そこの病棟で働いていた義姉が教えてくれたことがある。
けれど勇人がそのとき執刀に当たっていた救命医だったことは、尚史の家からの帰路で初めて聞いた。勇人は大学病院で働いていたときのことをほとんど話してくれたことがない。救命医だった過去さえ、どこか厭うように由良に伝えたのだった。
――実の妹を見殺しにした。
尚史は吐き捨てるようにそう勇人を罵ったが、由良にはとても勇人がそんなことをしたとは信じられなかった。
由良は自分も花を捧げてから、傍らの勇人を見上げて言う。
「大変な事故だったと聞いています。当時、搬送先も人員も最小限だった中で、現場は必死で健闘したとニュースでも言われていました。それに、身内の執刀は誰だって難しいんですから……」
由良は眉を寄せながら言葉をかけたが、勇人は首を横に振った。
「お兄さんと僕は違いますよ。僕は……妹の救命停止を命じたんです」
救命停止。勇人が災害のときの究極の選択を口にして、由良は反射的に息を呑んだ。
「あの時、救命医はリーダーの僕とあと二人、応援も含めて看護師は四人。機器も薬剤も圧倒的に足りない。急がなければ他の怪我人たちは手遅れになる。だから……一番重症だった妹の救命を、あきらめたんです」
勇人は感情を消した無表情になって、ぽつりとつぶやく。
「お兄さんだったら、真っ先に由良さんを助けたでしょう。でも……妹は、僕が殺したようなものです」
「そんなことないです!」
由良は勇人の腕を引いて、必死で言い返す。
「事故だったんです! 勇人さんはその中で、ドクターとして厳しい選択を迫られたんです。自分を責めないであげてください……!」
勇人が救命医をやめて他の病棟に移ったのも五年前。どれだけ苦しかっただろうと、由良は引き裂かれるような思いがした。
「それから両親ともめったに連絡を取らなくなりました。誰かと付き合うなんて考える気もなかった。逃げるように救命医をやめたのに、打ち込むものといえば仕事しかなかった」
しばらく二人の間に沈黙が流れた。由良は彼の痛みを癒すために、自分は何ができるだろうかと考える。
由良は過去の狭間で立ちすくんでいる勇人をまっすぐに見上げて言う。
「兄が認めなくても、私は勇人さんと一緒にいます。……兄と縁を切ることになっても構わない」
「由良さん」
勇人は瞳を揺らして由良を見返した。
「優しい、妹思いのお兄さんです。由良さんにとって最後の肉親でもある。簡単に縁を切るなんて言ってはいけません」
「でも勇人さんに酷い言葉を投げつけた。これ以上勇人さんを傷つけるなら、許せないです」
由良はふいにうつむいて、沈んだ声音で言った。
「それとも……勇人さんが私といるのは嫌になりましたか」
「由良さんと離れることは考えられません」
勇人は由良の肩に触れると、彼女を見下ろして言った。
「僕はずっと、仕事一筋でいいと思っていた。冷たい人間と言われようと、ドクターであることの方が大事だった。……でも由良さんを知ってからずっと、あなたにだけは優しくありたいと思うようになった」
勇人は出会ってからずっと由良に向けてくれた、優しい表情で由良をみつめて言う。
「病弱な体を抱えているのに、あなたはいつも一生懸命で、前向きで……。ずっと手を差し伸べたいと思っていました。それで一度触れたら、もっと温かい人だと知った。……今はもう、離したくありません」
勇人は一度墓石を振り返ってから、由良の手を取る。
「由良さんを守ります。お兄さんに認められなくても、側にいますよ」
由良はその言葉に安心して微笑み返した。
けれど兄との確執は残ったままで、冷たい風に吹かれながら、ぎゅっと勇人の手を握った。
じきに夏だというのに風が冷たくて、カサカサと枝葉が揺れていた。
「ずいぶん来ていなかった。……やっぱり僕は冷たい人間なんでしょうね」
墓石に花を捧げる勇人と一緒に、由良はそこに眠っている人へ思いを馳せていた。
北条瑠奈。勇人の妹の名前を、由良は五年前にニュースで見たことがあった。
それは二十三人を巻き込んだ悲惨な列車事故の、唯一の死者の名前だった。怪我人が運び込まれた大学病院は戦場のようなありさまだったと、当時そこの病棟で働いていた義姉が教えてくれたことがある。
けれど勇人がそのとき執刀に当たっていた救命医だったことは、尚史の家からの帰路で初めて聞いた。勇人は大学病院で働いていたときのことをほとんど話してくれたことがない。救命医だった過去さえ、どこか厭うように由良に伝えたのだった。
――実の妹を見殺しにした。
尚史は吐き捨てるようにそう勇人を罵ったが、由良にはとても勇人がそんなことをしたとは信じられなかった。
由良は自分も花を捧げてから、傍らの勇人を見上げて言う。
「大変な事故だったと聞いています。当時、搬送先も人員も最小限だった中で、現場は必死で健闘したとニュースでも言われていました。それに、身内の執刀は誰だって難しいんですから……」
由良は眉を寄せながら言葉をかけたが、勇人は首を横に振った。
「お兄さんと僕は違いますよ。僕は……妹の救命停止を命じたんです」
救命停止。勇人が災害のときの究極の選択を口にして、由良は反射的に息を呑んだ。
「あの時、救命医はリーダーの僕とあと二人、応援も含めて看護師は四人。機器も薬剤も圧倒的に足りない。急がなければ他の怪我人たちは手遅れになる。だから……一番重症だった妹の救命を、あきらめたんです」
勇人は感情を消した無表情になって、ぽつりとつぶやく。
「お兄さんだったら、真っ先に由良さんを助けたでしょう。でも……妹は、僕が殺したようなものです」
「そんなことないです!」
由良は勇人の腕を引いて、必死で言い返す。
「事故だったんです! 勇人さんはその中で、ドクターとして厳しい選択を迫られたんです。自分を責めないであげてください……!」
勇人が救命医をやめて他の病棟に移ったのも五年前。どれだけ苦しかっただろうと、由良は引き裂かれるような思いがした。
「それから両親ともめったに連絡を取らなくなりました。誰かと付き合うなんて考える気もなかった。逃げるように救命医をやめたのに、打ち込むものといえば仕事しかなかった」
しばらく二人の間に沈黙が流れた。由良は彼の痛みを癒すために、自分は何ができるだろうかと考える。
由良は過去の狭間で立ちすくんでいる勇人をまっすぐに見上げて言う。
「兄が認めなくても、私は勇人さんと一緒にいます。……兄と縁を切ることになっても構わない」
「由良さん」
勇人は瞳を揺らして由良を見返した。
「優しい、妹思いのお兄さんです。由良さんにとって最後の肉親でもある。簡単に縁を切るなんて言ってはいけません」
「でも勇人さんに酷い言葉を投げつけた。これ以上勇人さんを傷つけるなら、許せないです」
由良はふいにうつむいて、沈んだ声音で言った。
「それとも……勇人さんが私といるのは嫌になりましたか」
「由良さんと離れることは考えられません」
勇人は由良の肩に触れると、彼女を見下ろして言った。
「僕はずっと、仕事一筋でいいと思っていた。冷たい人間と言われようと、ドクターであることの方が大事だった。……でも由良さんを知ってからずっと、あなたにだけは優しくありたいと思うようになった」
勇人は出会ってからずっと由良に向けてくれた、優しい表情で由良をみつめて言う。
「病弱な体を抱えているのに、あなたはいつも一生懸命で、前向きで……。ずっと手を差し伸べたいと思っていました。それで一度触れたら、もっと温かい人だと知った。……今はもう、離したくありません」
勇人は一度墓石を振り返ってから、由良の手を取る。
「由良さんを守ります。お兄さんに認められなくても、側にいますよ」
由良はその言葉に安心して微笑み返した。
けれど兄との確執は残ったままで、冷たい風に吹かれながら、ぎゅっと勇人の手を握った。