大人になりたて男子は夢をみないはずだった
桜咲く春
信じられなかった。
あの三神さんが結婚するから福岡に行く。
それも、世良さんも一緒に。
2人で声優養成所を開設すると。
社長から聞くまでホントに信じられなかった。
だって、凄い売れててオファーを断る方が多いくらいなのに。
あんな遠くに行ったりしたら、仕事が減るのは目に見えてるのに。
それに最初は辞めるつもりだったらしい。正気の沙汰じゃない。
世良さんは「何で俺が」と呆けていたけど、まあ、あの人はね。
三神さんに惚れてるっていうし。
社長の頼みだから断れなかったみたいだぜと教えてくれたけど。
で、何でオレまで。
年明けてすぐに手伝いに来てくれと言われた。
確かに、2人には世話になってる。
いや、今のオレがあるのは2人のおかげってくらい恩がある。
特に世良さんにはめちゃくちゃ面倒を見てもらってる。
直接頼まれて、断れるはずもない。
しばらくあっちで仕事になるって言ったら彼女にもフラれた。
別に本気で好きだったわけじゃないからいいけど。
昔から小柄で可愛い感じの子が好きで、そういうタイプから告られると付き合ってはみるけど、多分、本当に好きだと思ったことはない気がする。
世良さんには、お前、女に夢見過ぎなんだよと言われる。
でもオレそんな自覚ないんだけどな。
「もう女は諦めて男相手にしろよ。お前には合ってると思うぞ」
何年か前にそんなことを言われてしまい、それ以降、ずっと薫に懐かれている。
彼女と別れたこともバレて、おかげで薫がうざい。
「誠、髪、伸びすぎじゃない?」
夏に切ったきりだから、だいぶ伸びてしまったのを会うたびに言われる。
短くしなよ、そっちの方が似合うよと髪を引っ張られて、気が向いたらなと返す。
「それで、いつ行くの?」
薫も呼ばれてるけど、抱えてる仕事が多くてまだ予定が立たないと言う。
「来月」
「え、そんなに早く?」
ほんとはすぐ来いって世良さんに言われてるけど、流石に無理がある。
「僕、早くても5月かなぁ」
誠と離れるの寂しいなぁと上目遣いに唇を尖らせている。
「俺は全然寂しくない」
「素直じゃないなぁ」
ふふっと笑って薫はオレのほっぺたをつつきながら言った。
「向こうで変な女に引っ掛からないようにね?」
「はあ? お前こそ、いつまでも人見知りしてんなよ」
オレにはこんな風に絡んでくる薫だけど、仕事以外で他の人間と喋ってる姿を見かけたことがなかった。
夜はわりと活動的で世良さん曰く、めっちゃテクニシャンでモテるとかなんとか。
そういう姿が全く想像できない。
「お前、オレ以外の奴とも仲良くしろよ?」
友達っていうか気が合う奴がいなさそうでたまに心配になる。
オレも人のことは言えないけど。
だけど、薫はいつもこう返すだけ。
「僕、誠がいれば他に何もいらないから」
そして、だから僕としてみない?とにっこり笑う。
「お前な…」
そんな趣味ないって言ってるだろ、と言い返す前にじゃあまたねと去っていく。
このやりとりもしばらくできなくなるなぁと思いながら薫の後ろ姿を見送った。
それからは引越しの準備や仕事で忙しく、あっという間に2月になった。