大人になりたて男子は夢をみないはずだった
今夜あたりかな。
なんとなくそんな予感がしてレッスン室へ向かった。
そっと覗くと、ピアノの前に人影が見えた。
(優しい人だな)
ピアノへの触れ方がとても柔らかくて、丁寧な動作が離れていてもわかるくらいだった。
(あ、終わったみたい)
その人が道具を片付け始めたので、ドアを開けて「こんばんは」と声をかけた。
驚いたように振り返った人を見て、僕はもっと驚いた。
「沙理……さん?」
こんばんはとにっこり笑うその人は誠の好きな人妻だった。
全く予想もしていなかった人がそこにいる。
次のセリフが浮かばなくて呆然としている僕に、沙理さんは声をかけてくれる。
「こんな時間にレッスンですか?」
「あ、は、はい、弾きたくなって…」
「ちょうど終わった所なのでどうぞ」
こんな風に面と向かって話すのは初めてで、柔らかい微笑みを向けられて戸惑う。
でも、確認しておきたかった。
「あの、いつもピアノの手入れしてたの、沙理さんですか?」
沙理さんは頷きながら、せっかくだから綺麗にしていて欲しいのでとピアノを見つめた。
「じゃあ失礼しますね、ごゆっくり」
会釈して去ろうとする人を思わず呼び止める。
「あ、あの!」
「はい?」
「ピアノ、好き…なんですよね?」
こんなにピカピカに維持するなんて、なかなかできないから。
沙理さんは恥ずかしそうに答えてくれる。
「大好きです。習いたかったんですけど、無理だったので…」
「よかったら何か弾きましょうか」
僕、何言ってるんだろ。
誠の想い人なのに。
口にしたものの、自分の言葉にびっくりしていた。
沙理さんは、わあ、と瞳を輝かせる。
「月守さんのピアノの音、凄く素敵だと思ってたんです」
「わりとなんでも弾けると思いますよ。どんな曲がいいですか?」
じゃあ、と沙理さんが窓に目を向けた。
「今夜は月が綺麗なので…」
リクエストされた曲は、僕も弾きたいと思っていた曲だった。
鍵盤に触れると自然に指が動く。
差し込む蒼白い光に音色が溶けていくような。
僕とピアノが同化したみたいな感覚で心が満ち足りていく。
こんな風に弾けたの初めてかも。
我ながら名演だった。
沙理さんは月の光が差し込む窓辺で、目を閉じて聴き入っている。
僕、女性を綺麗って思ったの初めてだな。
気づいた頃には、同性にしか興味なくて、誠に会ってからは彼にしか興味がなかったから、女性とは取引やメリットがないと関わらないようにしていたのに。
不思議な人だと思った。
弾き終わると拍手をしながら近くに来て、感動しました、と涙ぐんでいる。
(ああ、そっか。感性が合うのか)
「また弾きますから、リクエストしてくださいね」
それを聞いた沙理さんは、わあどうしよう、と瞳を丸くして嬉しそうに笑う。
素直な人なんだろう。
誠が惹かれるのも仕方ないと思ってしまった。
というか、三神さんの奥さんはこの人以外考えられない。
きっと、みんなが変わったのはこの人の影響なんだろう。
だって、僕がまた弾きますなんて。
そんな事を言う日が来るなんて夢にも思わなかった。
でも、さっきの演奏みたいな音楽に触れられるかもしれない。
もう、ピアニストは目指さないけど、やっぱりピアノが好きだと思えた。
「あ、それから、月守さんじゃなくて、薫でいいですから。
これからは僕も一緒にピアノの手入れしますね」
それを聞いて、もっと瞳をキラキラさせた沙理さんは、持っていた手入れグッズを見せてくれた。
道具が入っているのは見覚えのあるバッグ。
ちらっと見えた中身も僕の推しキャラのカラーでまとめられている。
(こっちの趣味も合うんだ…)
思わず笑ってしまって、不思議そうにしている沙理さんに、僕はスマホのホーム画面を見せた。
もちろん、そこにあるのは沙理さんの推しキャラの顔だから。
✦・┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ・✦
なんとなくそんな予感がしてレッスン室へ向かった。
そっと覗くと、ピアノの前に人影が見えた。
(優しい人だな)
ピアノへの触れ方がとても柔らかくて、丁寧な動作が離れていてもわかるくらいだった。
(あ、終わったみたい)
その人が道具を片付け始めたので、ドアを開けて「こんばんは」と声をかけた。
驚いたように振り返った人を見て、僕はもっと驚いた。
「沙理……さん?」
こんばんはとにっこり笑うその人は誠の好きな人妻だった。
全く予想もしていなかった人がそこにいる。
次のセリフが浮かばなくて呆然としている僕に、沙理さんは声をかけてくれる。
「こんな時間にレッスンですか?」
「あ、は、はい、弾きたくなって…」
「ちょうど終わった所なのでどうぞ」
こんな風に面と向かって話すのは初めてで、柔らかい微笑みを向けられて戸惑う。
でも、確認しておきたかった。
「あの、いつもピアノの手入れしてたの、沙理さんですか?」
沙理さんは頷きながら、せっかくだから綺麗にしていて欲しいのでとピアノを見つめた。
「じゃあ失礼しますね、ごゆっくり」
会釈して去ろうとする人を思わず呼び止める。
「あ、あの!」
「はい?」
「ピアノ、好き…なんですよね?」
こんなにピカピカに維持するなんて、なかなかできないから。
沙理さんは恥ずかしそうに答えてくれる。
「大好きです。習いたかったんですけど、無理だったので…」
「よかったら何か弾きましょうか」
僕、何言ってるんだろ。
誠の想い人なのに。
口にしたものの、自分の言葉にびっくりしていた。
沙理さんは、わあ、と瞳を輝かせる。
「月守さんのピアノの音、凄く素敵だと思ってたんです」
「わりとなんでも弾けると思いますよ。どんな曲がいいですか?」
じゃあ、と沙理さんが窓に目を向けた。
「今夜は月が綺麗なので…」
リクエストされた曲は、僕も弾きたいと思っていた曲だった。
鍵盤に触れると自然に指が動く。
差し込む蒼白い光に音色が溶けていくような。
僕とピアノが同化したみたいな感覚で心が満ち足りていく。
こんな風に弾けたの初めてかも。
我ながら名演だった。
沙理さんは月の光が差し込む窓辺で、目を閉じて聴き入っている。
僕、女性を綺麗って思ったの初めてだな。
気づいた頃には、同性にしか興味なくて、誠に会ってからは彼にしか興味がなかったから、女性とは取引やメリットがないと関わらないようにしていたのに。
不思議な人だと思った。
弾き終わると拍手をしながら近くに来て、感動しました、と涙ぐんでいる。
(ああ、そっか。感性が合うのか)
「また弾きますから、リクエストしてくださいね」
それを聞いた沙理さんは、わあどうしよう、と瞳を丸くして嬉しそうに笑う。
素直な人なんだろう。
誠が惹かれるのも仕方ないと思ってしまった。
というか、三神さんの奥さんはこの人以外考えられない。
きっと、みんなが変わったのはこの人の影響なんだろう。
だって、僕がまた弾きますなんて。
そんな事を言う日が来るなんて夢にも思わなかった。
でも、さっきの演奏みたいな音楽に触れられるかもしれない。
もう、ピアニストは目指さないけど、やっぱりピアノが好きだと思えた。
「あ、それから、月守さんじゃなくて、薫でいいですから。
これからは僕も一緒にピアノの手入れしますね」
それを聞いて、もっと瞳をキラキラさせた沙理さんは、持っていた手入れグッズを見せてくれた。
道具が入っているのは見覚えのあるバッグ。
ちらっと見えた中身も僕の推しキャラのカラーでまとめられている。
(こっちの趣味も合うんだ…)
思わず笑ってしまって、不思議そうにしている沙理さんに、僕はスマホのホーム画面を見せた。
もちろん、そこにあるのは沙理さんの推しキャラの顔だから。
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