〜Midnight Eden Sequel〜【Blue Hour】
 女神を模したと思われる石像の足元を、二羽の鳩《ハト》が尻を揺らして歩いている。
啓徳大学病院の中庭はどうやら鳩の散歩コースのようだ。九条が座るベンチの側にまた一羽、ふくよかな体躯の鳩が舞い降りた。

 暑くもなく寒くもない、気持ちよく晴れた秋の午後を楽しもうと、中庭には入院患者やその家族が集っている。

先ほどは車椅子の少年が花壇の花のスケッチをしていた。小学校の高学年くらいの少年の見た目は、どこにでもいる普通の子どもと大差ない。

 病気は目に見えない。健常者に見えただけの少年の側には常に看護師が付き添い、少年の状態に細心の注意を払っていた。
あの少年は九条には計り知れない苦しみを、小さな身体に抱えているのだろう。

 約束の時間を少し過ぎた頃、無精髭を生やした大男が九条の横顔に影を作った。ベンチの周辺をうろついていた三羽の鳩は、人の気配を察して飛び去ってしまった。

『言っておくが脳外《のうげ》は俺の専門じゃないぞ』

 眠たげな目を擦って九条の隣に腰掛けた男の名は、早瀬光國《はやせ みつくに》。二階堂隆矢の解剖を担当した解剖医だ。

『専門外でも医者は医者だろ。頼んでおいたやつは?』
『脳梗塞の後遺症については、ここにまとめてある』

早瀬は書類を挟んだクリアファイルごと九条に放った。殺人事件の捜査をしていれば解剖医と接触する機会も必然的に多くなる。早瀬医師とも数年来の付き合いだ。

『感謝しろよぉ? 宮越のカルテ、脳外の教授に頼み込んで、やっと閲覧許可がもらえたんだからな』
『今度ラーメン奢る』

 早瀬の文句を聞き流しながら、九条は書類の文字に目を走らせた。

 脳梗塞の主な後遺症は運動麻痺、手足のしびれ、言語障害、視野障害、認知機能の低下。
運動麻痺の場合は損傷した脳と反対側の手指や足首が動かなくなり、歩行や日常生活に影響が出る。

 宮越は左側の手足に軽度の麻痺が残った。階段の上り下りなど日常生活への支障はわずかだが、ギャラリーバーで対面した宮越は左足を引きずって歩いていた。

運転免許の返納も、後遺症を負った身体では運転が困難だと判断した結果だろう。

『宮越には手の麻痺以上に画家として致命的な障害がある。担当医が言うには、あの状態でまた絵が描けるようになるとは思わなかったそうだ』

 早瀬の言う通りだった。宮越は画家として致命的な障害を抱えている。手足とは違って、第三者の目には見えない欠損を。
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