〜Midnight Eden Sequel〜【Blue Hour】
 九条が【待宵】の店舗に辿り着いた時、ちょうど扉が開いて堀川綾菜が顔を覗かせた。
一夜のキスを交わした女の顔を見ても、そこに甘ったるい刺激は存在しない。別の意味で心がざわつくだけだった。

「九条さんだけ? もうひとりの刑事さんはいないの?」
『外で待機させてる』
「宮越先生に一体何の用事か知らないけど、ずいぶん警戒しているのね。どうぞ入って」

 九条は三度目の訪問となった【待宵】に足を踏み入れた。朝の光が差し込むギャラリーバーには今も宮越の絵画が展示されている。

宮越によって描かれた人物画の女達が九条に視線を向けていた。まるで、“私はここにいる”と訴えかけているようだ。

『どうして俺がここに来たか、君には理由がわかっているんだろ?』

 この瞬間にだけ許された二人きりの時間。恋人でもなければ友人でもない、互いのことも大して知らない。

ただ一度キスをしただけの女の、化粧っ気のない整った顔が迫ってくる。九条の頬に添えられた綾菜の手が彼の唇に触れた。

「この前はあんなに情けない男の顔をしていたけど、今は立派に刑事の顔してるのね」
『そこまで情けなくはなかったと思うが』
「ふぅん? キスまでしておいて、その先に進まない男はあなたが初めてだった。私はあの夜は九条さんとそうなってもいいつもりでいたのにね。据え膳食わぬは男の恥だって言葉、知らないの? 意気地なし」

 彼女の蠱惑的な微笑にも心は躍らない。意気地なしと言われても、反論はない。
あの夜に九条は真実の糸口を掴んだ。だから刑事として、堀川綾菜と男女の関係を結ぶわけにはいかなかった。

 背伸びをしてキスをせがむ綾菜を片手でやんわりと制す。キスを拒まれた綾菜は、不満げなしかめっ面で九条を見上げた。

『宮越さんを呼んできてください』
「本当に今日はどこまでも刑事なのね」

踵を返す綾菜の姿が見えなくなった途端に漏れた溜息が、朝の空気に溶けて消えた。南田の言う通りだ。こんな胸くそ悪い事件、さっさと終わりにしたい。

 上階からかすかに人の声が聞こえ、その後に足音が響く。階段を降りる足音がだんだん大きくなり、綾菜に手を引かれた宮越晃成が現れた。

宮越の身なりは厚手のナイトガウンのみ。ガウンのポケットに膨らみはなく、武器を所持している気配は感じられない。

『先ほど起きたばかりなんだ。こんな格好で失礼するよ』
『いいえ。無礼はこちらの方ですので』
『それで、私に話とは何かな。ああ、綾菜。私と九条さんにコーヒーを。九条さんも、立ったままではなく、椅子におかけください』

 場の主導権を自分が掌握することを当然とする宮越は、警察の訪問だろうと悠然とした所作を崩さない。彼は左足を引きずりながらも自ら椅子を引いて腰掛けていた。
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