乙女ゲームの世界でとある恋をしたのでイケメン全員落としてみせます
優しく温かい光が私と時成さんを包み込み始める。
まるで、皆に抱きしめられ、導かれているかのような心地よさに私はそっと目を閉じた。
「今さら、私が人間に戻ることになるとはね」
そんな結末を迎えるとは思ってみなかったのだろう、まだ現実味がないかのように呟いた時成さんを見て、私はゆっくりと首を振った。
「戻る、とは違いますよ。かつて、人間だった“あの人”と、いまの時成さんは別人だって……自分でも、そう言っていたじゃないですか」
「……新しく生まれる、というのも違う気がするけどね」
「いいじゃないですか、それで」
光がゆっくりと私と時成さんの身体へ溶けていく。
「新しく誕生しましょう。ふたりで」
――皆がいる、この世界に。
「……そうだね。もう、由羅がいれば……それだけでいいとさえ思うよ」
「……え?」
予想していなかった言葉に、思わず声が漏れる。
「由羅。何になってもどこにいても、必ず見つけると約束するよ」
まっすぐで、迷いのない視線を向けられ、目頭が熱くなる…。
「今度こそ……約束は、守ってみせるから」
時成さんの言葉と共にそっと頬に触れた手が、私を引き寄せて
唇に落とされたやさしいキスと同時に、光がお互いの身体に完全に溶け、世界が白い光で満たされた。
眩しさの中で、
私はただ――確かな温もりだけを胸に刻みながら、静かに意識を手放した。
ーーーーー
この世に再び帰ってきてから、半年ほどが経った。
私は、森の奥に佇んでいた。
――いや、佇んでいる、という表現は正しくない。
身動きは取れず、声を発することもできない。
なぜなら私は、花になっているからだ。
根が地面に沈み込む感覚だけが、かろうじて「在る」ことを教えてくれていた。
視界は曖昧で、世界は色の滲みとして流れていく。
けれど、匂いだけは不思議とはっきりしている。
雨の前の土の匂い、苔の青臭さ、遠くで空気がわずかにぬるむ気配。
そして、自分自身から漂っているであろう、甘くて少し苦い香り。
まさか、リスクがこんな形で現れるなんて。
誰が、予想できただろう。
これでは皆のもとへ帰ることもできないし、
なにもない森の中で過ごす時間は、あまりにも退屈だった。
……時成さんは、無事に生き返ったのだろうか。
それだけが、いまの私に許された唯一の思考だった。
考えるたびに、胸の奥が、きゅっと締めつけられるような気がした…。
心臓はないはずなのに、その感覚だけは失われていなかった。
そんなことを考えていると、雨が降り始めた。
葉を打つ雨音に混じって、遠くから、がらがらと車輪の音が聞こえてくる。
――馬車だ。
音は次第に近づき、やがて視界の端に映り込んだ。
深い海の底を思わせる、青い髪。
その色を認識した瞬間、
花であるはずの私は、確かに息を呑んだ気がした。
「……やっと見つけた」
目の前に跪いた時成さんは、にっこりと、あの懐かしい笑みを浮かべていた。
「随分と待たせて悪かったね、由羅。能力が消えかかっているから。君の気配を探すのに、少し手間取ったんだよ」
時成さんは胡散臭い笑みを浮かべたまま、身をかがめると、花である私の花びらに触れる。
「文句なら、いくらでも聞くからね」
そう言って、躊躇なく時成さんは、花の中心へ、そっと口づけを落とした。
――その瞬間だった。
甘さも、苦さも、土の冷たさも、雨の重さも、
すべてが一度に押し寄せて――そして、急速に遠ざかっていく。
代わりに戻ってきたのは、
息ができる感覚と、
心臓の音と、
彼の体温だった。
気づけば私は、人間の姿に戻り、時成さんの目の前に座り込んでいた。
いま、何が起こったのか、
理解できずにいる私とは違い
まるで最初からそうなるとわかっていたかのように、
時成さんは笑みを浮かべたままだ。
「っ…!時成さん!!」
私は込み上げるものを抑えきれず、勢いよく抱きついた。
力いっぱい飛びついたせいで、ふたり揃って後ろへ倒れ込む。
そのまま私は時成さんの上にまたがり、
お返しとばかりに、今度は私からキスを落とした。
「あぁ……どうやら、僅かに残っていた私の力も、完全に消えそうだ」
「じゃあ、消えてしまう前に……ひとつだけ、最後に教えてください」
「ん?」
「私の好感度は、どうなってますか?」
「うーん……そうだねぇ」
少し考える素振りを見せてから、楽しそうに言う。
「どうやら、ハートでは表せないほど……私たちは愛し合っているようだね」
「それじゃあ、時成さんが始めた乙女ゲーム。私が最後に選んだのは――時成さんという、サポートキャラってことにしましょうか」
「乙女ゲームにしては随分と邪道だね。私が隠しキャラだったとかなら納得がいく」
思わぬ時成さんの言葉に小さく噴き出すように私は笑った。
「それは無理がありますよ。時成さん、隠れる気、まったくなかったじゃないですか。」
そもそも、キャラ濃すぎて隠れるの無理ですよ。と心の中で言えば、どこか不服そうに時成さんは肩をすくめた。
倒れこんでいた身体を起こし、
地面に散ったかつて私だったリナリアの花びらをそっと手にとると、時成さんはわずかに目を細めた。
「由羅が、転生していた花の名前は知っているかな」
「いえ、自分の姿は見えませんでしたから。どんな花でした?」
花の名は『リナリア』
「皮肉だね」
「はい?ちょっと、意味がわからないんですけど?」
「わからなくていいよ」
「……。…相変わらずですね、時成さん」
答える気がないのなら最初から言わないでくださいよ。
やっぱり時成さんは時成さんですね。
いつかと同じようなやりとりに私が小さく笑うと
「かえろうか」と、時成さんが立ち上がる。
背中をみせて馬車へと歩く時成さんの歩幅はゆっくりで、
私に合わせてくれているだろうその速度に、私はまた泣きそうになる。
今まで一度も、後ろを振り返らなかったあの時成さんが、立ち止まり、私に手を伸ばしてくる…。
私はもう耐えられず、涙を流しながら、
その手を取った。
握られたその手は、暖かく、優しく…。
それだけで――もう、十分だった。
「大好きです。時成さん…!」
「愛しているよ。由羅」
それは、ずるくないですか…。
真っ赤になった顔で私は思う。
この人には一生、
かなわないかもしれない…。