彩度beige
社長室を出て、客室棟へと移動をし、程よい踏み心地の絨毯敷きの廊下を進む。

ちょうどチェックインや移動が少ない時間帯なのか、他のお客様やホテルスタッフと会うことはなく、すぐに来たエレベーターに乗り、最上階まで移動した。

そういえばーーー、「作家と暮らす非日常」の企画が動き出した頃、こうして一緒にここに来て、ラウンジなどを案内してもらったことを思い出す。

あの時は、すでにお客様がいるからと客室を見ることはできなかったけど・・・。

高級ホテルである「Vulpecula」の中でも、最高級のスイートルーム。

企画の舞台である和洋室には何度も足を運んでいるけれど、それ以外の客室は、中に入ったことは一度もないし、中を覗いたことすらあまりない。


(・・・なのに、突然宿泊を提案されるだなんて・・・)


ホテルのHPや雑誌の特集記事などで、何度か写真を見たことはある。

写真でも、すごく素敵だなって思った記憶はあるけれど・・・。

「・・・」

「・・・」

ホテルの廊下。一葉くんの隣を歩く。

一歩一歩、スイートルームに近づいていく。

部屋に対する純粋な興味と高揚と、その場所に、一葉くんと一緒に向かう緊張感。

別に・・・、ホテルの部屋に向かうからって、そこで何か甘い展開が起こるわけじゃない。

それはもちろんわかっているし、今までだって、和洋室には何度も一緒に行ったことがある。

だけどーーー、どうしてなんだろう。

今、スイートルームに2人で向かっているこの感覚は、これまでとは何かが違う。

ーーーもちろん、部屋も違えばいつもと違う状況で、だから、感覚が違うのは当然なのかもしれないけれど・・・。


(うう、でも、妙にドキドキしてしまう・・・)


こんなにドキドキしてるって、一葉くんにバレたらどうしよう。

変な期待をしているみたいに思われる?

い、いや、だめだ。それはさすがに恥ずかしすぎる・・・。

「・・・水谷さん」

「は、はいっ!」

「こちらのお部屋です」

一葉くんが足を止め、目の前にあるドアを右手で示す。

考えていたことが伝わってしまったような気がして、私は視線を外して頷いた。

「・・・気に入ってくれるといいんだけど」

一葉くんはふっと笑って、ルームキーを鍵穴に差し込んで右に回した。

ホテルと言えばカードキーが主流の今だけど、「Vulpecula」では、あえて鍵を回して開けるスタイルで、部屋番号が書かれた金属製のプレートは、創業当時からずっと使っているものらしい。

お祖父さんからお父さん、お兄さん、そして、一葉くんへと順に受け継がれていったもの。

このプレートひとつにも、ホテルの歴史が詰まってる。
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