敏腕CEOは初心な書道家を溺愛して離さない
 今度は香澄の番である。
 真っ白な紙の前に立った時「香澄さん、頑張って……」そんな神代の声が聞こえた気がした。

 ──どうして諦められるなんて思ったんだろう。

 初めて本当に好きになった人なのに。
 真意を聞くのだ。きっと香澄の好きな神代は意味もなく誰かを悪く言うような人ではない。
 それは間違いないのだ。

(私は神代さん、あなたに臨みます!)
 心に決めたら香澄は筆を持ち、大きな白い紙にその気持ちを写し込んだ。

『臨む』
 たった二文字を三畳ほどの大きな紙に書くことはとても難しい。それでも香澄は書いた。

「よし!」
 泣きそうだった。
 書ける……と思った。
 今の自分の想いを神代に伝えることもきっとできる。

 * * *

 神代としてはすぐに香澄に連絡を入れるはずだったのだ。
 しかしその日の予定はM&Aを希望しているホテルの内覧だったため、どうしても穴をあけることができないアポイントメントだった。

 不幸はそれだけではなかった。
 庭に感じのよい噴水があったので、資料代わりにとその噴水とホテルを一緒にスマートフォンで撮影していた時だ。

「こーちゃん!」
 声がして、不安定だった神代の足元に子どもがぶつかった。

 あいにく転倒するほどではなかったが、手にしていたスマートフォンは噴水に水没した。
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