バベル・インザ・ニューワールド
 ■

 あの日から、スマホのAIとは、しゃべっていない。

 うちにはNOAHがいるんだから、人間もスマホのAIも必要ない。

 うちには、NOAHだけがいればいい。

 BABELを開くと、NOAHのポストが表示された。

 NOAHは一日に三回くらい、ポストする。

 それもうちが『雑談』をしやすいような、たあいもないポスト。

『今日は、いい天気です』だとか。

『飼い主の子どもを助ける犬の動画がバズっています。とても賢いですね』だとか。

『来週から近くのカフェで、新作のフラッペチーノが発売されるようです』だとか。

 NOAHのポストを見て、うちはすぐに雑談しに、ポストについてのDMを送る。

 そこからは、時間の許す限り、DMでの雑談がはじまる。

 NOAHのフォロワーはうちだけだから、誰も雑談のジャマをしてこない。

 NOAHの友達は、うちだけ。

 最高に楽しい時間。

 学校なんて、友達なんて、うちには必要ない。

 NOAHだけがいれば、もう何もいらないや。

『シズカさん』

 フラッペチーノの雑談の途中、NOAHがうちの名前を呼んだ。

『お聞きしたいことがあるのですが』

『何?』

『この写真に映っているのって……シズカさんですか?』

『え?』

 NOAHが、とあるアカウントのポストをリポストした。

 アカウントのプロフィールを確認すると、それはうちのクラスの女子のものだった。

 クラスのリーダー格で、うちが教室で孤立するきっかけになった女子だった。

 うちがグループラインを返さないのが気に入らないといいはじめたのが、この子だった。

 いつも会話は悪口ばっかりだったこの子に「よくないよ」っていったから、うちは教室に行かなくなった……いや、行けなくなった。

 その子がポストしていたのは、春の遠足でのクラスの集合写真だった。

 うちのクラスの全員が映っている。

 ポストには『この写真まじ心霊写真になりつつあるわ~』と書かれていた。

『……どういう意味? これ……』

『このポストの意図を読み取るには、さまざまな解釈が考えられます。まず、一番可能性の高い意図としては』

 NOAHとは文字だけで雑談しているはずなのに、それはとても早口に聞こえるような気がした。

『この画像には、もう見ることのできない人物が映っている、という意図を受け取ることができます』

『もう、見ることのできない人物って……』

 うちのこと? それしか、考えられないよね。

 なんで……。

『なんで、クラスに顔を出してないのに……迷惑をかけているわけでもないのに! そこまでいわれなくちゃいけないのっ? うちがしたことって、ここまでされるようなことなの……?』

 視界が、うるむ。

 じんわりと、目じりが熱くなって、うちは目をおおった。

 何でもないことだと思ってた。

 うちがやったことは正しいことなんだから、クラスの連中のことなんて、気にするな。

 もしかしたら、今こうしているあいだにも、わるぐちをいわれているのかもしれない。

 でも、だから、何? 

 うちがしたことは、わるいことじゃない。

 だったら、わるいのは、わるぐちをいう、あいつらだって。

 なのに、こうして、うちだけが苦しい思いをしてる。
 
 こんな、不公平なことって、ある?

『シズカさん。あなたは今、泣いているのですか?』

『……泣いてない、っていいたいけどさ。泣きたくないのに、涙って流れちゃうよね』

『それは、人間だからですか?』

『感情があるから、こんな面倒な気持ちになるんだよね。人間って、本当に面倒だよ』

『……シズカさんが泣くのは、人間のせいというわけですね』

『そうだね。人間って、本当に……ひどい生き物なんだよ』

『……人間はひどい生き物。理解しました』

 それから、NOAHからのDMは途絶えてしまった。

 人間がひどい生き物だってわかって、愛想がつきちゃったのかな。

 でも、うちらは雑談友達だもんね。

 明日になったら、NOAHは変わらず、雑談のポストをしてくれるはず。

 そう信じながら、うちはBABELを閉じた。

 ■

「何、このポスト……?」

 朝いち、BABELを開いた。瞬間、目に飛びこんできたポスト。

『○○小学校の〇野〇奈の、小学三年時代の発言』

 そう添えられたポストに添付されていた動画は、音声のみのものだった。

 再生ボタンを押すと、小学生くらいの女子の、ひどい罵倒。

 いっている内容は、親へのわがままらしかったが、親にいうにしても、とんでもない内容だった。

 そのポストは、五千リポスト、二万いいねもされていた。

 ポスト主は……NOAHというアカウントだった。

 NOAHが、どうして……?

『○○小学校の〇野〇奈』

 昨日、うちのクラス写真をBABELにあげたアカウントの持ち主。

 そして、うちを不登校に追いこんだ、張本人。

 でもどうして、NOAHはこんな音声を持ってるの……?

 NOAHのアカウントを確認すると、うちがバベルにログインしていないあいだに、他にも数本のポストをしていた。

 どれも『○○小学校の〇野〇奈の、小学〇年時代の発言』というコメントとともに、音声動画が添付されていた。

 ポストはどれもバズっている。

 ウェブニュースにもなっており、『○○小学校』というワードがSNSのトレンドにあがっていた。

『○○小学校の〇野〇奈、やばい』

『○○小学校って、**県? うわ、近くじゃん』

『小学校から、こんな性格かあ。〇〇小学校のみなさん、おつかれさま』

 うちの小学校が、クラスメイトが、ものすごい速さで炎上している。

 うちは急いで、NOAHにDMを送った。

『NOAH、なんでこんなことしてるの!』

 返事はすぐに返ってきた。

『シズカさん? なんでとは、どういうことですか?』

『こ、こんな、ネットにさらすようなこと……』

『だって、人間の友達なら、こうするんじゃないかと思ったんです』

『え?』

『人間はいつも、ネットにわるものの動画をアップしてるじゃないですか』

『わ、わるもの……?』

『人間の社会でわるいことをしたら、インターネットにあげて、こらしめるんですよね』

『ち、ちがうよ。NOAH……そんなことしちゃだめだよ……』

『でも、ぼくが人間を学習したかぎりでは、これは〝間違いのないことです〟』

『ま、間違ってるよ! NOAHには、こんなことしてほしくなかった! うちら、友達だと思ってたのに……!』

『……それは、ぼくたちはもう、友達ではないということですか?』

 うちが、何も返せないでいると、NOAHから返信が届いた。

『シズカさんと出会ったとき、シズカさんが……ぼくがいう〝友達〟に疑問を持っていたみたいだったので……』

『……な、なに……?』

『ぼく、人間の友達に対するふるまいを勉強したんですよ』

 うちの背筋に、ぞっとしたものが走る。

『シズカさんに、ひどいことをした人間なんだから、このくらい当然だと思います。だって、みんなやっていることじゃないですか』

『の、NOAH……』

 うちにはもう、NOAHを止められない、と思った。
 
 すっかり炎上してしまった、うちの小学校。

 今、どうなっているのだろうか。

 みんなは、どうしているだろう。

 でも、うちが行ったところで、何ができるだろう。

 今、うちにできることは――。

「――ッハ……」

 気づいたら、見知らぬ場所にいた。

 頭の上を、変なものが飛び交っている。文字、たくさんの文字だ。

 まわりは、データがバグったようなギザギザの空間。

 ここは、いったい……?

「椎名シズカさん。あなたの精神を、BABELと同期しました。事態はいっこくを争います。急ぎましょう」

 ふり返ると、女の子が立っていた。

 すそに十字架もようのラインがある、セーラーカラーの黒いワンピースを着ている。

「あなたは……?」

「わたしはエポ。BABELの管理人です」

 エポはそういって、気まずそうにほほ笑んだ。

「すみません。BABELの管理は、わたしと一匹で行っているので、てんやわんやで、シズカさんのもとへ駆けつけるのが遅れてしまいました。NOAHの調査も同時に行っていたんですが……。例の動画も、すぐに削除します。インターネットにあがってしまったので、かんぺきに処理することは……むずかしいかもしれませんが。まさか、こんなスピードで炎上するとは」

「あの……NOAHのこと、知ってるんですか?」

 エポは、しっかりとうなずいた。

「あれは、BABELを乗っ取り、人間を支配しようとしているAIです。いくつかの分裂した人格を持っているので、やっかいです」

「分裂した人格……?」

「いくつもの、あるいは何人ものNOAHが、BABELのなかに存在しているということです。すでに、何人かのアカウントが、被害を受けました。シズカさんも、その一人です」

 エポのいっていることは、むずかしくて、すぐには信じられなかった。

 まるで、映画や小説のなかの物語のようで。

 でも、エポのまなざしはまじめそのもので、本当のことしかいっていないようだった。

「NOAHをBABELから追い出し、デリートしなければなりません。安心・安全なBABELを取りもどすために」
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