バベル・インザ・ニューワールド
バベル・インザ・ニューワールド
 ノアが、自分のスマホをタップし、上にスワイプする動作をした。

 すると、周りの世界がぐにゃりと歪みはじめる。

 バベルがわたしの前に出て、かばうように短い腕を伸ばしてくれている。

「な、なんだ? こいつ、何を……?」

「ノアが、インターネットのAIたちに働きかけているんでしょう。AIにもそれぞれ得意な分野がありますから。インターネットの海にも、色んな海がありますよね。インターネットには、サーバーというデータの保管庫があります。この電子の海のサーバーには約二千台ものサーバーがあり、かんぺきなサイバーセキュリティを……」

「うんちくは、わかったから! つまり、ここから、逃げたほうがいいんだよな」

「いえ、大丈夫ですよ。わたしだって、黙ってパソコンの前に座っていたわけではありません。それ相応の準備はしてあります」

 わたしは準備していたデータをスマホに表示し、『転送』アイコンをタップする。

 スマホから、黒の分厚い本が、しゅぽんと現れた。

「エポ特製! バベルの塔・第二章『バベル・インザ・ニューワールド』お勉強ソフト~!」

「なんだそれっ?」

 バベルが呆れたように、首を傾げている。

 わたしはそれをノアに送信する。

 黒い本が、電子空間に消えていく。

「インターネット上でのデータの受け渡しは、自動送信! 受け取りたくなくても、受信ボックスに入ってしまう。しかも、これは受け取ったとたんにデータが開封されるギミック付き! SNSのように開かず削除することも、ブロックすることもできませんよ~!」

 ノアの目の前に、黒い本が、再び現れた。

 とたん、表紙が開き、パラパラとページが捲れていく。

 データが自動的に開封されたのだ。

 ノアが、まるで操られたかのような動きで本を手に取り、読みはじめた。

 身動きひとつとることなく、じっくりと読みこんでいる。

「ウッ……」

 一瞬、ノアがうなったかと思うと、その場にしゃがみこんでしまった。

 すると、手を丸め、頬にこすりつけはじめる。

 猫が顔を洗っているような動作だ。

 バベルが、目を白黒させ、驚いている。

「な、なんだあ? こいつ、どうしたんだ?」

 バベルが動揺しているあいだに、ノアの頭に何かがにょきり、と生えはじめた。

 三角のかたちをした、茶色の――猫耳だ。

 バベルが、呆れたようにいう。

「おい、エポ~っ。バベルの塔・第二章『バベル・インザ・ニューワールド』ってなんだよ」

「いや、そういったほうが必殺技っぽいかなって思いまして……」

「名前だけかよ! じゃあ……いったい、こいつに何をしたんだ?」

「データポイズニングです」

「ポイズン……って、毒っ? つまり、毒で攻撃したってことか」

「そうですね。AIは、学習する習性がある。そこで、AIに誤ったデータを植えつけ、データの改ざんをしたんです」

「どんなデータを植えつけたんだよ」

「人間とは……《《四つ足で、『にゃあ』としか言葉を発しない》》と受けつけましたよ」

「にゃあ」

 ノアが、猫の鳴き声をあげた。

「ノアは人間のすがたでVモデルとして、活動していました。この改ざんによって、いきなり人間の概念がひっくり返ったはずです。しばらくは、猫のまね事で動けないでしょう」

「でも……時間の問題なんだろ?」

「もちろん。ここまでの高性能なAIです。すぐに、毒はぬけるでしょう。早々に、ノアの解析をして、どうにかインターネットからデリートできないか考えましょう」

「こいつ、自立したAIなんだろ。作った人間もいないのに、どうやって削除するんだよ」

 ノアが、にゃあにゃあいっているあいだに、わたしは目の前に『仮想パソコン』を表示する。

 ヴァーチャル空間で使用できる、リアルのものとまったく同じ機能のパソコンだ。

「ノアは、インターネット上に《《存在》》できている。戦うしかないでしょう。ウイルスでも、なんでも用意して」

「インターネットウォーズでも、はじめる気?」

「ウォーズでおさまればいいですけどね」

 カチャカチャとパソコンを叩き、エンターキーを弾く。

「バベル! 音速で、ノアに関する素材を作りました。画像・音声・動画を各種網羅! これらをBABELで、光速拡散してください」

「ええ? 何をする気なんだよ?」

「人間は、作られた画像や音声が偽物でも、それがより、本物に近ければ近いほど『本物だ』と思いこみ、誤った判断をしてしまいます。これを『ディープフェイク』といいます。今回は、これを逆手にとります」

「逆手に……?」

 仮想パソコンに表示された素材を、バベルに見せる。

 そこには、『Vモデルの夕凪がBABELを乗っ取ろうとしているAIなのだ』という情報をまとめた三分ほどの動画が流れている。

「誰もが知っている大人気・Vモデルが、まさかAIなどとは、誰も思いつきません。突拍子のなさすぎる話です。しかし、これまで起きたことを真摯に動画にまとめれば、このギャップがより、真実味のある話に聞こえるはずです」

 これらの音声や画像も、作成済み。

 いつでも、バベルに拡散してもらう準備は万端だ。

 なのに、なぜかバベルは浮かない顔をしていた。

「バベル。どうしたんですか」

「これってさ……ノアが、BABELのユーザーにしていたことと、同じなんじゃないかと思ってさ」

「え?」

「印象操作、ってやつ?」

 バベルは、わたしをまっすぐに見つめた。

「そりゃあ、『Vモデルの夕凪がBABELを乗っ取ろうとしているAI』なのは、事実だよ。でもさ、夕凪のことを応援しているやつだって、いるわけじゃん。その気持ちを……エポが作った素材が、台無しにしちゃうのは、なんかおれ……いやだな、と思ってさ」

 わたしはそのとき、光居ミツキさんのことを思い出した。

 Vモデル・夕凪ウツロのファンだといっていた、ミツキさん。

 夕凪がいっていた、『子どものうちでしか、感じ取れない一瞬がある』という言葉を覚えていて、炎上動画をしずめるために、リスナーに向かって、それを叫んでいた。

「エポ……?」

「いえ……『子どものうちでしか、感じ取れない一瞬がある』……なぜ、ノアはそんなことをいったんでしょう」

「ミツキのときのことか。なんで、そこが気になるんだ?」

「ノアはAIです。どうして、『子ども』という立場の視点で、物事を感じ取れたんでしょう。AIに年齢という感覚はないはずなのに」

「人間のことを観察して、理解したんじゃねえの」

「それにしては……感性がリアルです。もしかしたら、ノアは……『AIたちの子ども』という設定で作られたAIなんじゃないでしょうか」

「なるほど。でも……だからって、この状況は変わらねえよ?」

「そうかもしれません。それでも……盤面はわかりやすくなりましたよ。これはわたしたちと、ノアによる『子ども同士のインターネットウォーズ』だということがね」

「おれは四千二百歳だがっ?」

 不服そうにいうバベルに、わたしは確かめるようにいう。

「この素材の拡散は止めましょう。別の案をためします――BABELのユーザーさんたちから、ちからを借りましょう」

「ユーザーのちからをっ? そんなのむちゃだ」

「大丈夫。イケますよ、バベル」

 バベルのぬいぐるみみたいな手をぎゅ、っと握る。

「ふたりで、BABELに新しい塔を建てましょう」

「はあ……わかったよ。ったく。おれをこんなふうにこき使えるのは、お前だけだよ、エポ」

 ため息をつきながらも、バベルは不敵にほほ笑んだ。

 わたしも同じ気持ちだ。

 ふたりなら、ここにりっぱな塔を建てられる気がする。

 ■

「猫になったノアは? 置いて来ちゃったけど、大丈夫なのか」

 わたしたちは、音MADや踊ってみた動画などが飛びかうBABELを駆けぬけていく。

 計算ではとっくに、データポイズンの効果が切れているころだ。

「わたしたちを追いかけてくると思いますよ。夕凪さんの正体を知っているのは、このインターネットでわたしたちだけですから」

「……見えてきたぞ。例のアカウント」

 このあいだ見たときよりも、フォロワーが増えているアカウントを見て、なんだか嬉しくなる。

 BABELが盛りあがっているようで。

 大切なBABELをこれ以上、荒らさせはしない。

 安心・安全なBABELのためにも。

「――こんなところにいたんだ」

 ふり返ると、ノアが怪しくほほ笑み、立っていた。

「毒の効果、もう切れちゃったんですね」

「初めてあんな目にあったよ。ひどいなあ。ぼくが猫アレルギーだったらどうするの?」

「AIがアレルギーを発症するわけないでしょう。ウイルスには感染するかもしれませんけど」

 するとノアが、スッと目を細めた。

「結局、きみも神話・バベルの塔の、二の舞になろうとしていない?」

「はい?」

「気に入らないことがあったらすぐに拡散、誹謗中傷の嵐……こんなSNSじゃあ、安心・安全なBABELにはほど遠いんじゃないかなあ」

「誰が、誰を気に入らないといいました? わたしはあなたの行動を否定するつもりはありませんよ」

 きっぱりというと、ノアが意外そうに、きょとんとする。

 わたしは、ふふんと笑うと、バベルに目くばせをした。

「あなたが気にしなくてはならないのは、あなたのこれまでの行動ですよ」

「ぼくの……?」

「あなたは、自分自身で夕凪ウツロの『ディープフェイク』を発信したんです」

 わたしの後ろのアカウントから、しゅぽんと光が現れた。

 アカウント主、光居ミツキが驚いた顔であたりをきょろきょろと見渡している。

「ま、また精神を同期された……って、夕凪くんっ?」

「えっ」

 ノアがびっくりしたようすで、ミツキさんを上から下まで見ている。

「ぼ、ぼく、夕凪くんのファンで……夕凪くんが出てるチャンネル、けっこう追ってるんだ。親が厳しくて……なかなか全部の配信は追えてないんだけどさ……」

「……ファン?」

「そ、そうだよ。きみのファンなんだ」

「それって、きみはぼくの――《《友達》》ってこと?」
< 15 / 16 >

この作品をシェア

pagetop