バベル・インザ・ニューワールド
すると、イヌヤさんの顔が、これ以上ないほどに真っ青になった。
血の気がなくなり、何かにおびえはじめる。
「バベル。今、神代さんは?」
「BABELにログインしているみたいだ」
「では、イヌヤさんのように、神代さんの精神も、SNSのアカウントに同期させてもらいましょうか」
「はっ?」
イヌヤさんがあからさまに動揺しはじめる。
「だめっ、だめだ! あいつをここに来させるな!」
「遅いよー。もう、神代のアカウント、同期させちゃったわ」
気が早いバベルに、イヌヤさんが「ひっ!」と、うめく。
「バベル。まだ、イヌヤさんの許可が出ていませんよ」
「ええ。待ってなくちゃいけなかったのか。人間らしくするのって、むず~っ」
「まったく」
気づくと、イヌヤさんがわたしの後ろに隠れて、ネットの海のあちこちを、挙動不審に見ていた。
何かが来るのを恐れているみたいだ。
「はあ? お前さ、何、エポにくっついてんだよ。はなれろよ」
バベルが不愉快そうに、顔をしかめた。
とたん、イヌヤさんがはじかれたように、叫ぶ。
「お、お前っ! お前なのかっ! おれの個人情報、ばらしてたの!」
イヌヤさんの指さすほうを見やると、そこには無表情な顔をして立っている、同い年くらいの男子がいた。
さっきは、知らないといっていましたが、やはりイヌヤさんと、顔見知りだったようですね。
「綿貫シイラさん……いえ、神代さんですか?」
「……そうです」
「ひいっ」
さっきから、イヌヤさんは異常に神代さんにおびえている。
さらに、イヌヤさんはその場にうずくまり、「うう……うう……」と泣きはじめてしまった。
「神代さん。あなたと、イヌヤさんのご関係は?」
「ぼくは、こいつの……クラスメイトです」
神代さんが何かをいうたび、イヌヤさんは自分のからだを抱きしめ、ぎゅう、と小さくうずくまる。
「あれは、激しい雨の日でした」
「やめろっ!」
神代さんの言葉に、イヌヤさんがバッと自分の耳をふさぐ。
するとバベルが「こーら」と、イヌヤさんの肩にちょこんと乗っかる。
そして、にっかりと笑うバベルを、イヌヤさんは顔面蒼白でにらみつけた。
神代さんが、話を続ける。
「ぼくは、イヌヤに呼び出された。ゲームをしよう、っていわれて。ぼく――イヌヤにいじめられていたんです」
「まじ?」
バベルが、息を吐くようにいう。
「だから、断れなかった。どんなに雨が降っていても、行かなければならなかった。公園に行ったら、イヌヤと数人の仲間がいました。そして……そいつらに囲まれて、こういわれました」
思いつめたように、髪の毛をぐしゃりとかき混ぜる、神代さん。
イヌヤさんはあいかわらず、その場から動かないままだ。
「……『公園のそばに流れている、白詰川。そこに由花のブレスレットを投げといてやったから、取りに行け』って」
白詰川とは、公園のすぐそばを流れている川のことだ。
「ぼくの妹の由花が、大事にしていたブレスレット。お祭りの縁日で、ぼくが買ってあげたものです。とても気に入ったって、毎日つ
けてくれていた。でも……公園に行く前の日、由花に泣いて謝られたんです。ブレスレット、失くしちゃった。ごめんねって……」
「それでは、あなたは妹さんのブレスレットを取り戻すために、川へ入り……」
わたしがいい終わらないうちに、神代さんは答えた。
「水のいきおいに逆らえず、流されてしまったようです。からだを失い、由花のブレスレットも取り戻せないまま……」
「からだを失った。つまり……あなたは……」
「死んでします」
イヌヤさんが、「ひいいッ」と声をあげる。
わたしは話を続けた。
「つまりあなたは、魂の状態ということですか」
「気づいたら、このBABELにいました。ここに来て、一ヶ月になります。ぼくが死んだのと、BABELのサービスが開始したタイミングがあったから、乗り移りやすかったのかもしれません。すぐに、イヌヤを見つけて、フォローしました。自分のことに気づいてほしくて……イヌヤにアピールした結果が、あれです」
イヌヤさんが、肩に乗っているバベルを払いのけ、神代さんに怒鳴る。
「仕方ないだろ、むしゃくしゃしてたんだ! おれだってさ! 大変なんだ! 親に毎日、勉強しろ、勉強しろって、怒られて。成績悪くなったら、外にしめ出されて、放置されて。反省しろって、怒鳴られて……おれだって! おれだってさあ……!」
泣き出してしまったイヌヤさんに、神代さんは冷たくいい放つ。
「そんなふうに謝っても、手遅れだ……ぼくはもう」
神代さんの手が、イヌヤさんの手をつかんだ。
「生きていないんだから」
イヌヤさんが絶叫する。
「た、助けて!」
「わたしは、BABELの管理人です。BABELでのトラブルは、見過ごせませんね……。さて、イヌヤさん」
「な、なんだよ……はやく助けて……」
「【イヌヤは、白詰小学校の六年生。ゆうぐれ公園の近く】……これは、神代さんがあなたの個人情報をバラそうとしていたのではありません」
「……は?」
「【自分は、白詰小学校の六年生のイヌヤに、ゆうぐれ公園の近くで殺された】ということを、BABELから世界中に知らせようとしていたんですよ」
神代さんが、絶望しきった顔のイヌヤさんを引きずり、ネットの海へと沈んでいく。
神代さんとイヌヤさんのからだが、バグを起こしたように、ぎざぎざに歪んでいく。
「お、おれ……どうなっちゃうんだ……?」
イヌヤさんが、うめいた。
ずぶ…… ずぶ……
ジジ…… ジ……
イヌヤさんのからだは、すでに半分ほどが、消滅しかけたデータのように消えかかっている。
「いま、精神をBABELと同期している状態ですからねえ。精神とは、『魂』のことなんですよ」
「は……?」
イヌヤさんは、目を見開き、顔をゆがめた。
「魂はこのまま、ネットの海へと沈んでいくでしょうね」
「な、なにいって」
もはや、イヌヤさんのすがたが、顔の上半分のみとなっていた。
ずぶ…… ずぶ……
ジジ…… ジ……
ずぶ…… ずぶ……
ジジ…… ジ……
「イヌヤさんは、このBABELでアカウントのみの存在となって、残り続けるでしょう。天国に行けないまま」
「天国に、いけない……?」
そうつぶやいたイヌヤさんの残りすべてに、神代さんの手がおおいかぶさった。
そのままイヌヤさんも、神代さんも、消えてしまった。
しかし、インターネットのどこかには存在している。
彼らのBABELのアカウントは、残しておきましょう。
いつの日か、ポストが更新されることがあるかもしれませんから。
■
インターネットの海底からもどってくると、バベルのすがたが、一瞬でゆるキャラから、人間態に戻る。
大きくなった背丈の伸ばし、「くわあ」とあくびをする、バベル。
「今回は疲れたなー」
「そうですね。でも、バベルが活躍してくれたおかげで、ユーザーさん同士のトラブルも無事、解決したじゃないですか」
「だな!」
バベルの夕暮れのような瞳が、怪しく光る。
「エポ。お前の作ったSNS、本当にすげえわ。おれの『ちから』と、お前の頭脳で、ぜったいに本物の『バベルの塔』を完成させような!」
「ふふ、そうですね」
神話『バベルの塔』――。
むかしむかしの人々が、「天まで届くような高い塔」を建てようとした話。
しかし、それを知った神さまたちは、たいそう怒った。
『神さまの居場所にまで辿りつこうとは、傲慢なことだ』という理由で。
神さまは、人間がそんなことを考えるようになったのは、言語がたったひとつしかなかったからだと考えた。
神さまは、そのちからで、ひとつだった人間の言語をバラバラにしてしまう。
今までは理解できていた、仲間の言葉がわからなくなってしまった人間たち。
その絆も、それこそ、バラバラになってしまった。
「わたしが作ったBABELは、神話の『バベルの塔』のようにはなりません。わたしたちのコミュニケーションツールにかかせないのが、『安心と安全』。コミュニケーションはそこから生まれるものだからです。SNSの治安を守ってこそ、管理人!」
わたしがこぶしを天井につきあげると、バベルが「だな!」と笑った。
血の気がなくなり、何かにおびえはじめる。
「バベル。今、神代さんは?」
「BABELにログインしているみたいだ」
「では、イヌヤさんのように、神代さんの精神も、SNSのアカウントに同期させてもらいましょうか」
「はっ?」
イヌヤさんがあからさまに動揺しはじめる。
「だめっ、だめだ! あいつをここに来させるな!」
「遅いよー。もう、神代のアカウント、同期させちゃったわ」
気が早いバベルに、イヌヤさんが「ひっ!」と、うめく。
「バベル。まだ、イヌヤさんの許可が出ていませんよ」
「ええ。待ってなくちゃいけなかったのか。人間らしくするのって、むず~っ」
「まったく」
気づくと、イヌヤさんがわたしの後ろに隠れて、ネットの海のあちこちを、挙動不審に見ていた。
何かが来るのを恐れているみたいだ。
「はあ? お前さ、何、エポにくっついてんだよ。はなれろよ」
バベルが不愉快そうに、顔をしかめた。
とたん、イヌヤさんがはじかれたように、叫ぶ。
「お、お前っ! お前なのかっ! おれの個人情報、ばらしてたの!」
イヌヤさんの指さすほうを見やると、そこには無表情な顔をして立っている、同い年くらいの男子がいた。
さっきは、知らないといっていましたが、やはりイヌヤさんと、顔見知りだったようですね。
「綿貫シイラさん……いえ、神代さんですか?」
「……そうです」
「ひいっ」
さっきから、イヌヤさんは異常に神代さんにおびえている。
さらに、イヌヤさんはその場にうずくまり、「うう……うう……」と泣きはじめてしまった。
「神代さん。あなたと、イヌヤさんのご関係は?」
「ぼくは、こいつの……クラスメイトです」
神代さんが何かをいうたび、イヌヤさんは自分のからだを抱きしめ、ぎゅう、と小さくうずくまる。
「あれは、激しい雨の日でした」
「やめろっ!」
神代さんの言葉に、イヌヤさんがバッと自分の耳をふさぐ。
するとバベルが「こーら」と、イヌヤさんの肩にちょこんと乗っかる。
そして、にっかりと笑うバベルを、イヌヤさんは顔面蒼白でにらみつけた。
神代さんが、話を続ける。
「ぼくは、イヌヤに呼び出された。ゲームをしよう、っていわれて。ぼく――イヌヤにいじめられていたんです」
「まじ?」
バベルが、息を吐くようにいう。
「だから、断れなかった。どんなに雨が降っていても、行かなければならなかった。公園に行ったら、イヌヤと数人の仲間がいました。そして……そいつらに囲まれて、こういわれました」
思いつめたように、髪の毛をぐしゃりとかき混ぜる、神代さん。
イヌヤさんはあいかわらず、その場から動かないままだ。
「……『公園のそばに流れている、白詰川。そこに由花のブレスレットを投げといてやったから、取りに行け』って」
白詰川とは、公園のすぐそばを流れている川のことだ。
「ぼくの妹の由花が、大事にしていたブレスレット。お祭りの縁日で、ぼくが買ってあげたものです。とても気に入ったって、毎日つ
けてくれていた。でも……公園に行く前の日、由花に泣いて謝られたんです。ブレスレット、失くしちゃった。ごめんねって……」
「それでは、あなたは妹さんのブレスレットを取り戻すために、川へ入り……」
わたしがいい終わらないうちに、神代さんは答えた。
「水のいきおいに逆らえず、流されてしまったようです。からだを失い、由花のブレスレットも取り戻せないまま……」
「からだを失った。つまり……あなたは……」
「死んでします」
イヌヤさんが、「ひいいッ」と声をあげる。
わたしは話を続けた。
「つまりあなたは、魂の状態ということですか」
「気づいたら、このBABELにいました。ここに来て、一ヶ月になります。ぼくが死んだのと、BABELのサービスが開始したタイミングがあったから、乗り移りやすかったのかもしれません。すぐに、イヌヤを見つけて、フォローしました。自分のことに気づいてほしくて……イヌヤにアピールした結果が、あれです」
イヌヤさんが、肩に乗っているバベルを払いのけ、神代さんに怒鳴る。
「仕方ないだろ、むしゃくしゃしてたんだ! おれだってさ! 大変なんだ! 親に毎日、勉強しろ、勉強しろって、怒られて。成績悪くなったら、外にしめ出されて、放置されて。反省しろって、怒鳴られて……おれだって! おれだってさあ……!」
泣き出してしまったイヌヤさんに、神代さんは冷たくいい放つ。
「そんなふうに謝っても、手遅れだ……ぼくはもう」
神代さんの手が、イヌヤさんの手をつかんだ。
「生きていないんだから」
イヌヤさんが絶叫する。
「た、助けて!」
「わたしは、BABELの管理人です。BABELでのトラブルは、見過ごせませんね……。さて、イヌヤさん」
「な、なんだよ……はやく助けて……」
「【イヌヤは、白詰小学校の六年生。ゆうぐれ公園の近く】……これは、神代さんがあなたの個人情報をバラそうとしていたのではありません」
「……は?」
「【自分は、白詰小学校の六年生のイヌヤに、ゆうぐれ公園の近くで殺された】ということを、BABELから世界中に知らせようとしていたんですよ」
神代さんが、絶望しきった顔のイヌヤさんを引きずり、ネットの海へと沈んでいく。
神代さんとイヌヤさんのからだが、バグを起こしたように、ぎざぎざに歪んでいく。
「お、おれ……どうなっちゃうんだ……?」
イヌヤさんが、うめいた。
ずぶ…… ずぶ……
ジジ…… ジ……
イヌヤさんのからだは、すでに半分ほどが、消滅しかけたデータのように消えかかっている。
「いま、精神をBABELと同期している状態ですからねえ。精神とは、『魂』のことなんですよ」
「は……?」
イヌヤさんは、目を見開き、顔をゆがめた。
「魂はこのまま、ネットの海へと沈んでいくでしょうね」
「な、なにいって」
もはや、イヌヤさんのすがたが、顔の上半分のみとなっていた。
ずぶ…… ずぶ……
ジジ…… ジ……
ずぶ…… ずぶ……
ジジ…… ジ……
「イヌヤさんは、このBABELでアカウントのみの存在となって、残り続けるでしょう。天国に行けないまま」
「天国に、いけない……?」
そうつぶやいたイヌヤさんの残りすべてに、神代さんの手がおおいかぶさった。
そのままイヌヤさんも、神代さんも、消えてしまった。
しかし、インターネットのどこかには存在している。
彼らのBABELのアカウントは、残しておきましょう。
いつの日か、ポストが更新されることがあるかもしれませんから。
■
インターネットの海底からもどってくると、バベルのすがたが、一瞬でゆるキャラから、人間態に戻る。
大きくなった背丈の伸ばし、「くわあ」とあくびをする、バベル。
「今回は疲れたなー」
「そうですね。でも、バベルが活躍してくれたおかげで、ユーザーさん同士のトラブルも無事、解決したじゃないですか」
「だな!」
バベルの夕暮れのような瞳が、怪しく光る。
「エポ。お前の作ったSNS、本当にすげえわ。おれの『ちから』と、お前の頭脳で、ぜったいに本物の『バベルの塔』を完成させような!」
「ふふ、そうですね」
神話『バベルの塔』――。
むかしむかしの人々が、「天まで届くような高い塔」を建てようとした話。
しかし、それを知った神さまたちは、たいそう怒った。
『神さまの居場所にまで辿りつこうとは、傲慢なことだ』という理由で。
神さまは、人間がそんなことを考えるようになったのは、言語がたったひとつしかなかったからだと考えた。
神さまは、そのちからで、ひとつだった人間の言語をバラバラにしてしまう。
今までは理解できていた、仲間の言葉がわからなくなってしまった人間たち。
その絆も、それこそ、バラバラになってしまった。
「わたしが作ったBABELは、神話の『バベルの塔』のようにはなりません。わたしたちのコミュニケーションツールにかかせないのが、『安心と安全』。コミュニケーションはそこから生まれるものだからです。SNSの治安を守ってこそ、管理人!」
わたしがこぶしを天井につきあげると、バベルが「だな!」と笑った。