バベル・インザ・ニューワールド
 今日も、インターネットの海は、とてもにぎやかで、さわがしい。

 さまざまなネットニュースが、わたしたちの頭を上を飛んでいき、色とりどりの画像や音楽が、ところせましと流れていく。
ソーシャルネットワーキングサービス・BABELの管理人ページにアクセスする。

 電子の海を泳ぐように進み、わたしたちは数々のアカウントを通りすぎ、たったひとつのIDを探す。

 バベルが、そのアカウントのIDを検索ボックスから引っぱりだした。

【イヌヤ @inuya3hanabisi】

「エポ。見つけたぞ。あれが、イヌヤのアカウントだ」

「わかりました。行きましょう」

 イヌヤさんのアカウントは、古びた看板をアイコンにしていた。

 スマホで写真を撮ることが趣味なのだと、アカウントに書いてある。

 看板には『ゆうぐれ公園 白詰町』と書かれていた。

 地元の公園だろうか。

「うわあ。こんな気味わるい看板をよくアイコンにするよなあ」

「バベル。そんなことをいうもんじゃありませんよ」

「ええ。だめなの? 人間むずっ」

「……あれ? おれ、どうしたんだ? 部屋でマンガ読んでたはずなのに」

 聞き慣れない声に振り向くと、人間態のバベルと同じくらいの年頃の男子が、驚いた顔をして立っていた。

「イヌヤさんですか? はじめまして。BABELを運営している、隧道エポと申します。今日はよろしくお願いします」

「え? え? なんだ、これ。夢?」

 イヌヤさんは、おろおろしていて、落ち着かないようすだ。

 それもそのはず。

「今、イヌヤさんの精神を、SNSのアカウントに同期させてもらっています。BABELが開発した、画期的な機能なんですよ。簡単にいうと、SNSのVR空間にいるようなものですね」

 わたしは、つい鼻高々。

 エヘン、と胸を張ってしまう。

「へ……へえ、そうなんだ……」

「ええ? もっと驚いてくれてもいいんですよ」

「エポ。ほしがるな」

「わかってます。でも、めちゃくちゃがんばって開発したんですよ……」

「イヌヤのSNSトラブルを解決するんだろ。しっかりしろ」

「はい……」

 ここに来た経緯を手短に、イヌヤさんに話す。

 するとイヌヤさんが、手まねきをして、自分のアカウントへと案内してくれた。

「……こっちだ」

 イヌヤさんに案内されてきたのは、メディア一覧だった。

 ここには、イヌヤさんが自分のアカウントにアップした、さまざまな写真が見られる。

 木々におおわれた、古びた駅。

 無造作に並んだ、自転車たち。

 公園入口に設置された、ピンク色のベンチ。

「写真、とってもうまく撮れてますね」

「見てほしいのは、それじゃない」

 イヌヤさんが指先を動かすと、パッと一枚の画像が現れた。

 例のアカウント『神代@ゲーム垢』の投稿をスクリーンショットしたものだった。

【イヌヤは、白詰小学校の六年生 ゆうぐれ公園の近く】

 イヌヤさんは、すでにおびえた顔をした。

「こいつ、おれの個人情報をネットでさらしてるんだよ。おれが、白詰小学校に通ってること、ゆうぐれ公園の近くに住んでること……やばいだろ? こんなのやりすぎじゃないか? おまえ、BABELの管理人なんだよな。こいつのアカウント、消してくれよ!」

「なあ、イヌヤ」

 マスコットのすがたをしたバベルが、めんどうそうにしながら、くち先を尖らせる。

「これ、そんなにおびえることじゃないだろ」

「なにいってんだよ。りっぱな、個人情報の漏えいだろ」

「落ちつけって。神代のポストをよく読んでみろ。【イヌヤは、白詰小学校の六年生。ゆうぐれ公園の近く】。そして、お前のアイコン。看板には、『ゆうぐれ公園 白詰町』と書いてある。小学生の行動範囲からして、撮ったのは最寄りの公園の可能性が高い。白詰町にある公園なら、近くの小学校は十中八九、白詰小学校だ」

「だ、だからなんだよ……!」

「イヌヤは自分から、個人情報をもらしているってことだよ。もちろん、この神代ってやつがやってることは、だめなことだけどさ。イヌヤだって、写真をアップするときは、気をつけたほうがいいんじゃないのって話」

 バベルのいうことは、もっともだ。

 SNSでは写真の取り扱いに気をつけないと、誰かに悪用される危険性がある。

「イヌヤは、この神代ってやつのこと、知らないの?」

「知らない。フォローはしあってるけど、それだけ。からんだことない。いちいちこんなこと、SNSに書きこんで、気味がわるいっての」

 イヌヤさんは、はいているスニーカーのつま先を見つめ、黙りこんでしまう。

「この神代ってアカウント、何が目的でイヌヤの情報をポストしてるんだ?」

「知るかよ。おい、あんたさ……」

 イヌヤさんは、わたしをにらみつけ、あたり散らすようにいう。

「BABELの管理人なんだから、この神代ってアカウント、消せるんだろ」

「本来なら、ユーザーさんの前で『これ』をやるのは、タブーなんですが、事態の悪化を防ぐためにも、仕方ありませんね。今は緊急事態です」

 わたしは長い髪を肩からはらい、手をとあるかたちにする。

 右手の親指と中指、薬指の先をくっつけ、人差し指と、小指を立てる。

 わたしはそれを、バベルサインと呼んでいた。

 親指、中指、薬指の輪っかから、小さなバベルをのぞきこむ。

 そして、唱えた。

 夕暮れの瞳を持つバベルの本性を呼び起こす、開門の言葉を。

「バベルさま、バベルさま。どうぞ門をお開きください。エ・テメン・アン・キ」

 すると、バベルの瞳がギラリと光る。

 グレーのもふもふの毛並みが、ゆらゆらとゆれはじめた。

 真っ黒なヤギに似たツノが、てらてらと艶めく。

 わたしの胸元の輪っかのブローチが、バベルの瞳に応えるように光った。

「契約者、エポの呼びかけに応じよう」

 空気に波紋を作るかのような、バベルの凛とした口調。

 さっきまでの子どものような態度とは、一変していた。

 ゆるい見た目にも関わらず、まるでそこにいるのがおぞましい何かかのような、不穏な空気をまとっている。

「神代@ゲーム垢、というアカウントの情報の『扉を開く』」

「よろしくお願いします、バベルさま」

 突然、ようすが変わったバベルに、イヌヤさんが恐ろしげにわたしを見あげた。

「お前ら、いったい……何してるんだ。いまの、どういうことだ」

「今、バベルはインターネットの波間に浮かぶ情報を読んでいます。『エ・テメン・アン・キ』とは、あらゆる情報の扉を開きます。どんなに分厚いセキュリティも、天才ハッカーなどいなくとも、たやすく開けてしまう。それが『エ・テメン・アン・キ』」

「……な……なにいってんだ? お前」

「イヌヤさん。あなたは、神代というアカウントをなんとかしたいといいましたよね。なんとか、とは具体的にどうしたいですか?」

「具体的にって……」

「謝ってほしいとか、そういうことですか?」

「個人情報をさらすなんて、やばいだろ! 調べたら、名誉毀損の罪になるんだってよ。だから、警察に突き出すのもいいかもな」

「なるほど。わかりました。よかったです」

 わたしは、そっとつぶやいた。

「BABELは、安心・安全なインターネットがモットーですから」

「……あ? なんかいったか」

「いいえ、なにも……バベル、どうですか。神代さんの情報、なにかわかりましたか」

「ううーむ」

 バベルは、すでにさっきまでの子どものような口調にもどっていた。

 空をあおぎ見て、うなっている。

「綿貫シイラ……これが、イヌヤの個人情報をさらしている犯人の本名だな」
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