嘘つきと疫病神
穏やかな笑みを浮かべて男の子はこちらに手を伸ばす。この手を取れば、恐らく写真館の中に連れ込まれるのだろう。
嫌でもないし、まともに屋根がある建物の中に入れるのは嬉しいはずだ。それなのに何処かで遠慮をして、恐れている自分がいる。
本当にこの手を取ってしまっていいのか、図々しくも建物の中に入っていってしまっていいのか、考えるだけ無駄であるそんな考えが頭の中で浮かんでは消えた。
「ほら、おいで」
その声ではっと顔を上げる。男の子の優しい声も傷だらけの顔も、姿を見ることさえ初めてであるのに、何故か彼を見ていると安心する。
けれど男の子の優しい声で招かれようと、足が地に根を張って動かせない。
男の子は先程自分を連れ去ろうとした大男と同じことを口にしたからだ。言葉を聞いた瞬間にあの時の光景が脳裏に蘇る。
怖かった、本当に死ぬのだと悟るほどに命の危険を感じた。
「もしかして、もう帰らないといけなかったりする? こんな時間だし、親が心配してるか」
どれだけ待っても俯いたまま何も言わなかったせいで、そう言って男の子は手を下ろそうとした。
駄目だ、今この手を取らなかったらまた一人になってしまう。そのまま一生を孤独に生きていかなければならなくなる。
男の子の申し訳無さそうな貼り付けた笑みを見た瞬間、誰かの声がそう脳内で叫んだ気がした。誰の声なのか、自分の声なのかも分からない。ただ今は、その声に従っている方がいいのだと強く本能が叫ぶ。
「……行く」
たった一言、やっとの思いで紡ぎ出した答えはそんなそっけないものだった。
それまで何も言わずに突っ立っていただけだったのに、突然顔を上げたかと思えば手を握ってくるのだから、男の子は目を剥いて固まった。貴方が手を差し伸べてくれたのだから、自分はその手を取っただけ、そう言う勇気など持ち合わせていない。
しっかりと離れないように手を握れば、男の子はふうわりと微笑んで建物の扉を開けた。
カランカランと扉の鐘が音を立て、店内から溢れ出す木漏れ日のような暖かな照明に包まれる。
手を引かれるままに店内に足を踏み入ると、奥の方から何やら物音が聞こえた。店と住居の境にある暖簾が揺らぎ、腰の曲がった気の強そうな老婆が出てくる。
「おかえり、随分と遅かったね。って、……どうしたんだい、その子」
始めは恐らく孫と思われる隣の男の子を見ていた老婆だが、ゆっくりと動いた視線は自分のことを真っ直ぐと貫いた。驚きに目を見開いて言葉を失う老婆に、男の子は何とも説明になっていない説明を口にする。
「変な奴に絡まれていたから連れてきた」
何も間違えたことを言ったわけではない。自分がここにいる経緯も、男の子が隣りにいるのもその一言だけの説明で完結する。
言われた老婆は目をぱちくりとさせると、もう一度男の子に鋭い視線を向けた。大男に絡まれた時に男の子が向けてきた視線とよく似ている。やはり二人は祖母と孫というありふれた関係性であるらしい。
突然自分の孫が同じ年頃の女の子を連れてきたら誰だって驚く。始めは驚きのあまり言葉を失っていた老婆は、何かに納得したように頷くとくるりと背を向けた。
「とりあえず、風呂に入れてあげよう。それから晩御飯も必要だね。沸かしてくるから、お茶でも出してやれ」
そう言い残すとそのまま暖簾の奥へと消えていった。ゆらゆらと揺れる暖簾をぼんやりと眺めていると、不意に男の子に手を引かれた。
「ちょっと仕事に付き合ってよ」
嫌でもないし、まともに屋根がある建物の中に入れるのは嬉しいはずだ。それなのに何処かで遠慮をして、恐れている自分がいる。
本当にこの手を取ってしまっていいのか、図々しくも建物の中に入っていってしまっていいのか、考えるだけ無駄であるそんな考えが頭の中で浮かんでは消えた。
「ほら、おいで」
その声ではっと顔を上げる。男の子の優しい声も傷だらけの顔も、姿を見ることさえ初めてであるのに、何故か彼を見ていると安心する。
けれど男の子の優しい声で招かれようと、足が地に根を張って動かせない。
男の子は先程自分を連れ去ろうとした大男と同じことを口にしたからだ。言葉を聞いた瞬間にあの時の光景が脳裏に蘇る。
怖かった、本当に死ぬのだと悟るほどに命の危険を感じた。
「もしかして、もう帰らないといけなかったりする? こんな時間だし、親が心配してるか」
どれだけ待っても俯いたまま何も言わなかったせいで、そう言って男の子は手を下ろそうとした。
駄目だ、今この手を取らなかったらまた一人になってしまう。そのまま一生を孤独に生きていかなければならなくなる。
男の子の申し訳無さそうな貼り付けた笑みを見た瞬間、誰かの声がそう脳内で叫んだ気がした。誰の声なのか、自分の声なのかも分からない。ただ今は、その声に従っている方がいいのだと強く本能が叫ぶ。
「……行く」
たった一言、やっとの思いで紡ぎ出した答えはそんなそっけないものだった。
それまで何も言わずに突っ立っていただけだったのに、突然顔を上げたかと思えば手を握ってくるのだから、男の子は目を剥いて固まった。貴方が手を差し伸べてくれたのだから、自分はその手を取っただけ、そう言う勇気など持ち合わせていない。
しっかりと離れないように手を握れば、男の子はふうわりと微笑んで建物の扉を開けた。
カランカランと扉の鐘が音を立て、店内から溢れ出す木漏れ日のような暖かな照明に包まれる。
手を引かれるままに店内に足を踏み入ると、奥の方から何やら物音が聞こえた。店と住居の境にある暖簾が揺らぎ、腰の曲がった気の強そうな老婆が出てくる。
「おかえり、随分と遅かったね。って、……どうしたんだい、その子」
始めは恐らく孫と思われる隣の男の子を見ていた老婆だが、ゆっくりと動いた視線は自分のことを真っ直ぐと貫いた。驚きに目を見開いて言葉を失う老婆に、男の子は何とも説明になっていない説明を口にする。
「変な奴に絡まれていたから連れてきた」
何も間違えたことを言ったわけではない。自分がここにいる経緯も、男の子が隣りにいるのもその一言だけの説明で完結する。
言われた老婆は目をぱちくりとさせると、もう一度男の子に鋭い視線を向けた。大男に絡まれた時に男の子が向けてきた視線とよく似ている。やはり二人は祖母と孫というありふれた関係性であるらしい。
突然自分の孫が同じ年頃の女の子を連れてきたら誰だって驚く。始めは驚きのあまり言葉を失っていた老婆は、何かに納得したように頷くとくるりと背を向けた。
「とりあえず、風呂に入れてあげよう。それから晩御飯も必要だね。沸かしてくるから、お茶でも出してやれ」
そう言い残すとそのまま暖簾の奥へと消えていった。ゆらゆらと揺れる暖簾をぼんやりと眺めていると、不意に男の子に手を引かれた。
「ちょっと仕事に付き合ってよ」