嘘つきと疫病神
仁武は条件反射でその手を振り払う。宙に浮いた手が小刻みに震えていることを蕗は見逃さなかった。
会社勤めなのだろうか。父親らしき人物は随分と綺麗なスーツを身に着け、母親らしき人物は緋色のワンピースを着ている。到底蕗のような貧乏人とは似ても似つかない装いだ。
そこでふと思い当たる。祖母と二人暮らしであったはずなのに家に風呂場があったり、毎日白米と漬物などといった質素ではあるものの、まともな食事が出されていた。部屋の数がやけに多かったり、写真機が大量に置かれていたのも両親の稼ぎか良いからなのか。
「どうした。父さん達はお前に会社を継いでほしいから迎えに来たんだ。お前にとっても悪い話ではないだろう?」
「……分からないよ。俺はまだ子供だよ、会社を継ぐとか分かんないよ」
「だから今のうちに帰るんだ。今から勉強を始めればまだ間に合う。お前の将来を思ってのことなんだ」
両親は何としてでも仁武を連れて帰りたいらしい。まだ十歳にも満たない子供であるのに、会社を継げと言われて頷けるはずがない。
けれど両親は引こうとしない。仁武の手をしっかりと握り締め、じりじりと引っ張り出した。
「い、嫌だ。待ってよ。俺、まだこの町でしたいことが……」
「まだ写真家になりたいだとか言っているの?」
母親の声が降り注ぐ矢のように深く突き刺さる。心の奥底で信じてやまない夢を否定された気がした。
蕗がなれると言ってくれたからこれまで信じてきたのに、自分が取った写真を綺麗だと言ってくれたから続けたいと思ったのに。
無惨にも両親はそんな淡い夢を切って捨てた。表情が能面のように張り付いた笑顔に変わる。逃げられない、逃げてはいけない。そう圧を掛ける笑顔。
頭の中をぐるぐると掻き混ぜられているようだ。何も考えられず、目の前が真っ白になる。
目の奥が痛んで、胃に不快感を覚えて吐き気がする。頭が陶器で殴られた衝撃を感じた。母親の言葉が武器となって己を痛めつけていく。
「お義母さんの影響かどうかは知らないけれど、写真家なんて淡い理想で生きていけるわけが無いの。まだ子供なんだから夢を見るのは勝手だけれど、現実を見失っては駄目なのよ」
優しく言っているつもりなのだろうが、言葉の端々からは有無を言わさない凄みがある。
母親も仁武の傍に寄り、頭に触れるとぐいっと首を動かして蕗達から無理やり視線を逸らさせた。仁武の顔が見えなくなり、その姿が徐々に遠のいていく。
「待って、待ってよ! 俺はまだ行くなんて言っていない!」
仁武の鬼気迫る声が辺りに響き渡る。
その声を聞いて飛び出そうと身を乗り出した蕗を鏡子が止めた。目元を手で覆い、何も見せまいと身体を抱き寄せる。
何か言わないと。
手を伸ばして、彼の身体に触れて。
行かないでと言わないといけないのに、身体を動かせない。
鏡子に拘束されているからでもなく、ただこれで良いのだと思っている自分がいるのだ。
仁武には血の繋がった家族がいて、未来があって、帰ってきてほしいと思ってくれる人がいる。
物心ついた時から独りだった自分とは違うのだ。両親の元に帰ることが仁武にとっての幸せなのだと。
会社勤めなのだろうか。父親らしき人物は随分と綺麗なスーツを身に着け、母親らしき人物は緋色のワンピースを着ている。到底蕗のような貧乏人とは似ても似つかない装いだ。
そこでふと思い当たる。祖母と二人暮らしであったはずなのに家に風呂場があったり、毎日白米と漬物などといった質素ではあるものの、まともな食事が出されていた。部屋の数がやけに多かったり、写真機が大量に置かれていたのも両親の稼ぎか良いからなのか。
「どうした。父さん達はお前に会社を継いでほしいから迎えに来たんだ。お前にとっても悪い話ではないだろう?」
「……分からないよ。俺はまだ子供だよ、会社を継ぐとか分かんないよ」
「だから今のうちに帰るんだ。今から勉強を始めればまだ間に合う。お前の将来を思ってのことなんだ」
両親は何としてでも仁武を連れて帰りたいらしい。まだ十歳にも満たない子供であるのに、会社を継げと言われて頷けるはずがない。
けれど両親は引こうとしない。仁武の手をしっかりと握り締め、じりじりと引っ張り出した。
「い、嫌だ。待ってよ。俺、まだこの町でしたいことが……」
「まだ写真家になりたいだとか言っているの?」
母親の声が降り注ぐ矢のように深く突き刺さる。心の奥底で信じてやまない夢を否定された気がした。
蕗がなれると言ってくれたからこれまで信じてきたのに、自分が取った写真を綺麗だと言ってくれたから続けたいと思ったのに。
無惨にも両親はそんな淡い夢を切って捨てた。表情が能面のように張り付いた笑顔に変わる。逃げられない、逃げてはいけない。そう圧を掛ける笑顔。
頭の中をぐるぐると掻き混ぜられているようだ。何も考えられず、目の前が真っ白になる。
目の奥が痛んで、胃に不快感を覚えて吐き気がする。頭が陶器で殴られた衝撃を感じた。母親の言葉が武器となって己を痛めつけていく。
「お義母さんの影響かどうかは知らないけれど、写真家なんて淡い理想で生きていけるわけが無いの。まだ子供なんだから夢を見るのは勝手だけれど、現実を見失っては駄目なのよ」
優しく言っているつもりなのだろうが、言葉の端々からは有無を言わさない凄みがある。
母親も仁武の傍に寄り、頭に触れるとぐいっと首を動かして蕗達から無理やり視線を逸らさせた。仁武の顔が見えなくなり、その姿が徐々に遠のいていく。
「待って、待ってよ! 俺はまだ行くなんて言っていない!」
仁武の鬼気迫る声が辺りに響き渡る。
その声を聞いて飛び出そうと身を乗り出した蕗を鏡子が止めた。目元を手で覆い、何も見せまいと身体を抱き寄せる。
何か言わないと。
手を伸ばして、彼の身体に触れて。
行かないでと言わないといけないのに、身体を動かせない。
鏡子に拘束されているからでもなく、ただこれで良いのだと思っている自分がいるのだ。
仁武には血の繋がった家族がいて、未来があって、帰ってきてほしいと思ってくれる人がいる。
物心ついた時から独りだった自分とは違うのだ。両親の元に帰ることが仁武にとっての幸せなのだと。