嘘つきと疫病神
 何もできなかった。何も言えなかった。
 仁武の姿が完全に見えなくなった頃、ようやく何があったのか頭の理解が追いつく。その瞬間に、身体の奥底に溜め込んでいたものが一気に溢れ出した。

「あ……ああ…………うあ」

 ぽたりぽたりと大粒の水滴が地面にシミを作る。何に対して涙を流しているのか、何が悲しくて泣いているのか分からない。
 止まってほしいと思っているのに涙は溢れ出して、止まれと念じるほどにその勢いは増した。

「嫌だ、嫌だよぉ……独りに、しないでよ…………」

 一度も感じたことのなかった幸せという四文字を教えてくれた恩人、命の危険を感じているところを助け出してくれた恩人。
 不器用でぎこちない優しさばかりを与えてくれた、知らない世界を教えてくれた。もう少し生きようと思わせてくれた。
 ほんの数日前に約束したはずなのに。見たいものが、知りたいものがあるから傍にいさせてほしいと伝えたはずなのに。

「酷いよ、こんなのあんまりだよ……」

 灰色に染まった空から大きな雨粒が降り落ちる。頬に雨粒が当たって、涙と一緒に顎先から滴り落ちた。涙なのか、雨なのかも分からなくなるほどに流れ続ける。
 震える身体を鏡子が抱き寄せた。離れないように、逃げ出さないように強く抱き寄せた。
 人間は自分にとって理解できないこと、知らないことに対して恐怖を感じる生き物。誰だって独りになることに恐怖して、独りにならないように仲間を作る。
 一度でも仲間という存在を知ってしまうと、それに縋ってでしか生きることができなくなるのだ。幸せを知ってしまうともう後戻りができなくなる。

「どうして、助けてくれなかったの……? 神様は、どうして助けてくれないの」

 神様など人間が作り出した妄想、縋り付く対象がほしいから作り出しただけの存在だと思っていた。
 けれど今は、神様でもなんでもいいから縋り付きたかった。どれだけ愚かなことをしているとしても、存在が証明されない相手だとしても。 
 縋らないと現実に押し潰されてしまいそうだった。

「ごめんさない、ごめんなさい……ごめんなさい」

 祖母の葬式でも口にした言葉。自分のせいで祖母が死んでしまったのだと責めて、行き場のない罪悪感が口をついて出た。
 何故仁武は、鏡子は、祖母は、疫病神だと虐げられている自分に優しくしてくれたのだろう。町人と同じように化け物だと言って遠ざけなかったのだろう。
 その優しさがあったからこそ、今も生きているのかもしれない。感謝しているのに、嬉しいはずなのに。
 
 いっそのことお前のせいで皆が不幸になってしまうのだと、責めてほしかった。
 いっそのこと恨んでくれたら楽になれたかもしれないのに。

 冷え切った身体はどれだけ抱き寄せられようと、温もりを取り戻すことはできなかった。
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