野いちご源氏物語 〇六 末摘花(すえつむはな)
上皇(じょうこう)様の祝賀会がすんだあとは、常陸(ひたち)(みや)様の姫君(ひめぎみ)のところへも、ときどきご訪問なさっていた。
でも、しばらくすると若紫(わかむらさき)(きみ)二条(にじょう)(いん)に引き取られて、それからはすっかりこの新しい姫君に夢中でいらっしゃる。
他の大切な恋人さえあまりお訪ねにならなくなったくらいだから、常陸の宮様の姫君のところへはまったくなの。
お気の毒なことをしている、とは思っていらっしゃるのよ。
でも、姫君のことをもっと深く知りたいとは、とてもお思いになれないの。
<いっそ夜ではなくて、まだ明るいうちにお訪ねするのはどうだろう。暗闇のなかの手探りだから、姫君のよいところを見つけられないだけではないか>
と思いつかれた。

そこで、夕方の姫君がくつろいでおられそうなころを見計らって、源氏の君はお屋敷に忍びこんだの。
()(えん)からお部屋のなかをこっそり(のぞ)いてごらんになる。
姫君は奥の方にいらっしゃるようで見えない。
女房(にょうぼう)が四、五人いて、食事をしているの。
舶来品(はくらいひん)の高級な食器に盛られているから、きっと姫君のお下がりね。
でも、中身はとても粗末(そまつ)なの。
部屋の隅には、なんだかとても寒そうな女房がいる。
白かったはずの着物がくすんでしまって、その上に着ているものも全体的に薄汚れているの。
(くし)を古風な()し方で髪につけている。
内裏(だいり)の昔ながらの仕事をする役所にも、こういう女官(にょかん)がいるな>
と、源氏の君は物めずらしそうにご覧になった。
<神様にお仕えしているような古風な女官を、まさかこんなところで、人間に仕えている姿で見かけるとは>
とおかしくなってしまわれる。

源氏の君に(のぞ)()されているなど夢にも思わない女房たちは、愚痴(ぐち)をあけすけに言いあっているの。
「あぁ、今年も寒くなりましたね。雪が降りそうですよ。長生きすると、このようなつらい目にも遭うものなのですね」
と泣きながら言う人もいれば、
「常陸の宮様がご存命(ぞんめい)のころから、このお屋敷のお勤めは貧しくてつらいと思っておりましたけれど、今のつらさに比べればまだましでございましたね。この貧しさのなかでも生きながらえてしまうのですから、自分が嫌になってしまいます」
と、寒くて震えながら言う人もいる。
源氏の君はあまりの気の毒さに聞いていられなくなって、あたかも今ご到着なさったかのように戸をお叩きになった。

女房たちはあわてて、源氏の君のために(あか)りを明るくしたり、戸をお開けしたりする。
ちょうど気の利く女房がいない日だったの。
大輔(たいふ)命婦(みょうぶ)は職場である内裏(だいり)にいるし、姫君の乳母子(めのとご)の女房は、()()ちで働いている別のお屋敷にいた。
お屋敷のなかがいつも以上に古くさく感じられて、源氏の君はぞっとなさったわ。
女房の心配していた雪が降りはじめた。
雲の色は重苦しく、強い風が吹いて灯りが消えた。
すぐにてきぱきと火をつけ直す女房もいない。

夕顔(ゆうがお)(きみ)が美しい女の妖怪(ようかい)に殺された、あの荒れたお屋敷を源氏の君は思い出された。
人気(ひとけ)があるだけましだとご自分を励まされるけれど、なかなか寝つけずにいらっしゃる。
こんなとき、隣に寝ておられるのがこの姫君でなければね。
雪と風の夜というのも、おもしろいご経験だったのでしょうけれど。
姫君はあいかわらず、一晩中恥ずかしさで黙りこんでいらっしゃるので、源氏の君はつまらなくお思いになっていた。
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