野いちご源氏物語 〇六 末摘花(すえつむはな)
秋になった。
源氏の君は、まだ夕顔の君を思いつづけていらっしゃる。
あの貧しい夕顔の家や、周りの家々が騒がしかったことさえ恋しく思い出していらっしゃるの。
常陸の宮様の姫君にはたびたびお手紙をお送りになっているけれど、やはりお返事はない。
<ふつうこのくらい熱心に言い寄れば、お返事くらいはいただけるものなのに。ここで引き下がるのは負けたようで悔しい>
と思って、大輔の命婦をお責めになる。
「どうなっているのだ。これまで女性からこのような扱いを受けたことはない」
命婦は源氏の君がお気の毒で、
「姫君はあなた様を見下しておられるわけではございませんよ。ただ、男性からのお手紙にお返事を書こうという気になれないお方なのです。とにかく遠慮してしまわれるご性格ですから」
と申し上げる。
源氏の君は、
「どなたにご遠慮なさっているのだ。親に遠慮して自分の一存では何もできないというのなら分かるが、姫君にもうご両親はおられない。お年だって子どもではないのだから、お返事などじゅうぶんお書きになれるはずだ。もう何事にも分別がついた女性だろうと思うからこそ、こうしてお手紙を差し上げているのではないか。
最近私は、あれこれ悩みが多くて心細いのだよ。姫君も同じように心細くお暮らしであろう。その気持ちを分かち合いたいだけで、恋とか愛とかいうことではない。お手紙をやりとりして、いつかお部屋の外の濡れ縁に、そっと上がらせていただくくらいのことはお許しいただける関係になりたいのだ。これでは情けなくて納得がいかない。
あぁ、もうよい。お許しがなくともそなたが工夫せよ。もちろん失礼なふるまいをするつもりはない」
とひとしきり嘆いてから、きっぱりとお命じになった。
命婦は、
<常陸の宮様の姫君のことを源氏の君にお話ししたのは、ほんの世間話のつもりだったのに。こんな大事になってしまって面倒だわ。女性に関する噂話は、どんなに小さな話でも聞き逃すことはなさらないのね。源氏の君はずいぶんご期待していらっしゃるようだけれど、実際のところ、姫君は女性としてそれほど魅力的な方ではない。それなのに源氏の君をお近づけしてしまったら、お気の毒なことにならないかしら>
と心配するけれど、源氏の君がこれほど熱心におっしゃるのだから、聞き入れないわけにはいかないわよね。
姫君の父宮がまだお元気でいらっしゃったころでさえ、お屋敷を訪れる人は少なかったの。
父宮はご立派な皇族でいらっしゃったけれど、帝になるご予定はない方だったから、あえてお近づきになっておこうという人はいなかったのよね。
まして父宮がお亡くなりになって姫君だけになったあとは、本当にもう誰も訪ねていらっしゃらないの。
そこへ突然、あの有名な源氏の君からお手紙なんかが届いたものだから、女房たちはうれしくて仕方がない。
「絶対にお返事をお書きになった方がよろしゅうございます」
と姫君に強くおすすめするけれど、引っ込み思案な姫君はお手紙をお読みにもならない。
恋愛に慣れた命婦は、そんな姫君が変わっていかれるかもしれないことが、だんだん楽しみになってきた。
<姫君のご気分がおよろしそうなときに、おふたりが物越しでお話しできるように工夫しよう。源氏の君が姫君をお気に召さなければ、それでおしまいになさればよい。もし恋人として通われることになったとしても、文句を言うような立場の方はいらっしゃらないのだから、それはそれでよいご縁だわ>
と、ひとりで計画していた。
源氏の君は、まだ夕顔の君を思いつづけていらっしゃる。
あの貧しい夕顔の家や、周りの家々が騒がしかったことさえ恋しく思い出していらっしゃるの。
常陸の宮様の姫君にはたびたびお手紙をお送りになっているけれど、やはりお返事はない。
<ふつうこのくらい熱心に言い寄れば、お返事くらいはいただけるものなのに。ここで引き下がるのは負けたようで悔しい>
と思って、大輔の命婦をお責めになる。
「どうなっているのだ。これまで女性からこのような扱いを受けたことはない」
命婦は源氏の君がお気の毒で、
「姫君はあなた様を見下しておられるわけではございませんよ。ただ、男性からのお手紙にお返事を書こうという気になれないお方なのです。とにかく遠慮してしまわれるご性格ですから」
と申し上げる。
源氏の君は、
「どなたにご遠慮なさっているのだ。親に遠慮して自分の一存では何もできないというのなら分かるが、姫君にもうご両親はおられない。お年だって子どもではないのだから、お返事などじゅうぶんお書きになれるはずだ。もう何事にも分別がついた女性だろうと思うからこそ、こうしてお手紙を差し上げているのではないか。
最近私は、あれこれ悩みが多くて心細いのだよ。姫君も同じように心細くお暮らしであろう。その気持ちを分かち合いたいだけで、恋とか愛とかいうことではない。お手紙をやりとりして、いつかお部屋の外の濡れ縁に、そっと上がらせていただくくらいのことはお許しいただける関係になりたいのだ。これでは情けなくて納得がいかない。
あぁ、もうよい。お許しがなくともそなたが工夫せよ。もちろん失礼なふるまいをするつもりはない」
とひとしきり嘆いてから、きっぱりとお命じになった。
命婦は、
<常陸の宮様の姫君のことを源氏の君にお話ししたのは、ほんの世間話のつもりだったのに。こんな大事になってしまって面倒だわ。女性に関する噂話は、どんなに小さな話でも聞き逃すことはなさらないのね。源氏の君はずいぶんご期待していらっしゃるようだけれど、実際のところ、姫君は女性としてそれほど魅力的な方ではない。それなのに源氏の君をお近づけしてしまったら、お気の毒なことにならないかしら>
と心配するけれど、源氏の君がこれほど熱心におっしゃるのだから、聞き入れないわけにはいかないわよね。
姫君の父宮がまだお元気でいらっしゃったころでさえ、お屋敷を訪れる人は少なかったの。
父宮はご立派な皇族でいらっしゃったけれど、帝になるご予定はない方だったから、あえてお近づきになっておこうという人はいなかったのよね。
まして父宮がお亡くなりになって姫君だけになったあとは、本当にもう誰も訪ねていらっしゃらないの。
そこへ突然、あの有名な源氏の君からお手紙なんかが届いたものだから、女房たちはうれしくて仕方がない。
「絶対にお返事をお書きになった方がよろしゅうございます」
と姫君に強くおすすめするけれど、引っ込み思案な姫君はお手紙をお読みにもならない。
恋愛に慣れた命婦は、そんな姫君が変わっていかれるかもしれないことが、だんだん楽しみになってきた。
<姫君のご気分がおよろしそうなときに、おふたりが物越しでお話しできるように工夫しよう。源氏の君が姫君をお気に召さなければ、それでおしまいになさればよい。もし恋人として通われることになったとしても、文句を言うような立場の方はいらっしゃらないのだから、それはそれでよいご縁だわ>
と、ひとりで計画していた。