冷徹ドクターは初恋相手を離さない
「俺が小学生の時は、喘息に加えて病気がちでよく入院をしていたんだ」
 カフェでは落ち着いた雰囲気のジャズが流れていて、ほかのお客さんも会話を楽しんでいる。
 先生はあくまでも思い出話を語るような口調で、重くなりすぎない声色で話してくれた。
「今でこそ外科医として働けるくらいになったけど。当時は何回も入院していて、落ち込んでいた時期があった」
 からん、と氷が溶けてグラスに当たる音がやけに大きく聞こえた。
 店員さんが空いた皿やパフェのグラスを下げてくれようとしたので、お願いをする。
「中学二年生の時だった。ちょうど反抗期で親の面会を頑なに断っていたから、とにかく人と関わることが少なくてね。学校に早く行きたいなって思うことが多かった」
「そうだったんですね……」
 まさか荒木先生にそんな過去があったなんて。今はとても忙しそうにしているのに疲れているところを見せないから、全く想像がつかなかった。
「そんな俺の日課は、許可が下りたらデイルームで勉強することと、息抜きの読書だったんだ。そこに現れたの君だよ」
「えっ、でも私、入院したことは……あっ」
 たしか小学五年生の時に仲のいい友達が長期入院をしていて、よくお見舞いに行っていたかもしれない。
 もしかしたら、その時のことだろうか。
「君は僕の隣に座って、こう言ったんだ。『お兄さん、何を読んでいるの?』ってね」
「あっ! あの時の」
 荒木先生が教えてくれる情報をトリガーに、薄れていた記憶が鮮明になって頭の中で映像になっていく。
 大きな窓から公園が見えるデイルーム。木々が生い茂っていて綺麗に整備された公園で、リハビリとして散歩をしている人たちもいた。
「俺に話しかけてくれる子なんていなかったし、俺も話しかけることなんてなかったから驚いたよ。その時、君、なんて話していたか覚えている?」
「たしか……私もその本を読んでいる途中だから、今度また会う時までに読み終わらせてお話ししたいです、って」
「そう。だから君が来る日に間に合うように読み終わらせたんだ。また君と会った時、たくさん話せるようにと思ってね」
「先生があの時のお兄さんだったなんて」
 小学生の頃と言えば、家庭環境の悪化や両親の離婚なども相まって記憶が薄い部分も多く、友達のお見舞いに行っていたことや、年上の人と話していた記憶はたしかに残っていたけれど、詳しい情報は記憶になかったのだ。
 今、大事な思い出のページを一ページずつ取り戻しているのがわかる。
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