不実な自由
私は幼稚園を無事卒園したが、一也くんとは別々の小学校に入学した。入学式には赤いネクタイをした父親が参加した。あとで入学式の写真を担任の菅原先生と一緒にみたら、先生に「このお父さん誰のお父さん?」と言われ「私のです」と答えたら「ずいぶん若いね」と言われた。まだ父親が入学式などにはほとんど参加しない時代、目立つのだ。
私が入学してから一番困った事は「給食」だった。なにより牛乳、チーズ、バター、マーガリン、洋風の食べ物、すべてが私の天敵になった。もともと、我が家は和食党でそれこそ、子供が好きそうなシチュー、グラタンなど見るだけで気持ちが悪くなった。そしてなにより牛乳が毎日。先生や友達、親などには一切話せず毎日学校に行くのがいやだった。そして、私は流行の登校拒否へと手段をエスカレートした。毎日、学校に行く時間まで布団からでず、「頭が痛い」「お腹が痛い」「気持ち悪い」を繰り返し休んだ。しかし、そんなことも長続きせず今度は学校で給食の時間になると、「頭がいたい、お腹が痛い、気持ち悪い」と言いその時間を保健室で過ごした。
私が入学してから一番困った事は「給食」だった。なにより牛乳、チーズ、バター、マーガリン、洋風の食べ物、すべてが私の天敵になった。もともと、我が家は和食党でそれこそ、子供が好きそうなシチュー、グラタンなど見るだけで気持ちが悪くなった。そしてなにより牛乳が毎日。先生や友達、親などには一切話せず毎日学校に行くのがいやだった。そして、私は流行の登校拒否へと手段をエスカレートした。毎日、学校に行く時間まで布団からでず、「頭が痛い」「お腹が痛い」「気持ち悪い」を繰り返し休んだ。しかし、そんなことも長続きせず今度は学校で給食の時間になると、「頭がいたい、お腹が痛い、気持ち悪い」と言いその時間を保健室で過ごした。