傷痕は運命の赤い糸
プロローグ
 鮮やかな夕焼けの中、がむしゃらに走ったあの日のことを忘れたことはない。

 ◇

『寄り道をしないで真っ直ぐおうちに帰りましょう』
 帰りのホームルームで先生が言った言葉が、今頃になって脳裏によぎる。
——ごめんなさい、約束を守らなくてごめんなさい。

 今更謝ったところで意味なんてないのに、神様への懺悔のように頭の中で何度も繰り返した。

 運動神経には自信がある。なのに、足がもたついてうまく走れない。
 背負っているランドセルの中で、教科書が激しく上下に跳ね、余計に荷物の重さを感じる。
 入学したばかりのころは、ピカピカのランドセルを誇らしく感じていた。
 けれど、今はすぐにでも、この荷物を投げ捨ててしまいたい。
 音を立てたくないのに、給食用の箸がガチャガチャと鳴ってうるさく感じた。だけど、それに苛立つ余裕すらなかった。
 いつも以上に息が乱れるのは、ランドセルが邪魔をする中で走っているからという理由だけではない。
 知らない場所で、知らない人から追いかけられているからだ。

 怖い。
 生まれてはじめて感じる恐怖心だった。
 夏休みに夜更かしして、うっかりホラー映画を見てしまった時の恐怖の比ではない。
 友達と別れてから、ずっとついてきている足音。
 どれくらい離せただろうか。
 確認しようと振り返った。振り返った拍子に小石につまずき、思い切り転んでしまった。

 自分のものではない荒い呼吸音と、足音が近づいてくる。
 眩しい夕陽が遮られて、目の前に真っ黒な人影が立った。
 それが男の人だということはわかるけれど、逆光で顔はわからない。実際には見えていないはずなのに、口元がニタニタと笑っている気配を感じる。
 ぜぇはぁと荒い呼吸で話す男は、声までが気持ち悪い。
「やっと追いついた。おにごっこも楽しいね。次はなにをして遊ぶ?」
 知らない男の左手が、こっちに伸びてくる。
「やめ……」
「おっと、叫ぶなよ」
 そう言った男の右手には錆びついたボロボロのカッターが握られていて、カチカチと楽しげに鳴らしながら、ギラリと鈍く光る刃を出したり引っ込めたりと弄んでいる。
 息を吸うと、喉の奥でひゅっという音がした。
 肺までうまく空気を送ることができない。
 いやだ! やめて!
 必死に叫んでいるはずの声は震える喉に引っかかり、出てきてはくれなかった——。
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