傷痕は運命の赤い糸
 やっと、この傷ごと自分を受け止めてほしいと思う人に、出会えた。なのに。

「ごめん、俺のせいで……。俺が、弱かったから……。俺が強ければ、紗世が傷つくことなんてなかったのに」
 やっぱり、という言葉が、喉にくっと引っかかった。
「賢人は、あのときの男の子なんだね」
 まるで大人から怒られている園児みたいに眉尻を下げる賢人。怒ったりなんて、するわけがないのに。
「紗世を忘れたことなんて、一日もなかった。会って謝りたかった。やっと紗世を守れる自分になれたと思ったから会いに来たんだ」
 紗世の心が、鈍く痛んだ。
「それなのに、今回も守りきることができなかった。結局危険な目に遭わせてしまった」
 ズキン、ズキンと鼓動に合わせて痛みが大きくなる。
「……守れなかったくせに、それでもやっぱり君が好きだ。これからはもう二度と危険な目に合わせないように最大限の努力を惜しまない。だから、俺の恋人になってほしい」
 知りたくなかった。あの時の男の子が賢人だと知らないままだったら、喜んで頷いていたのに。

 本気の恋愛を、紗世はまだしたことがない。
 失恋で泣いていた友達の気持ちも、わからなかった。今なら少しだけわかる。
 自分だけが相手を想って『好き』を大事に抱きかかえているのに、相手は全く自分への『好き』を持っていない。それがわかってしまうのが、どれだけ悲しいことなのか。
「賢人のその気持ちは、恋愛感情じゃない。私への罪悪感だよ」
 賢人からの『好き』は、無添加純愛100%だと思っていた。
 しかし、そこには罪悪感という添加物が入っていた。
 いや、罪悪感が主で、それを隠すように包んでいるのが恋愛感情なのかもしれない。チョコレートを包むアルミ箔みたいに。
 いざ食べようとした時に気付くのだ。アルミ箔の——恋愛感情の方がゴミだったと。本当の正体は、黒くて甘くて硬い、罪悪感のかたまり。

 流石に被害妄想が過ぎると、自分でも理解している。卑屈になりすぎ。らしくないネガティブ思考。
 だけど、現実を突きつけられるのが怖い。

 でも、どうしてそんな風に感じてしまうのだろう。
 なぜ、こんなにもショックを受けてしまっているのだろう。
 どうして喜んで告白を受け入れられないのだろう。

 ふと、紗世の教え子である陸が転んだときの泣き顔と、目の前の賢人の表情が重なって見えた。
 途端、すとんと腑に落ちた。

 賢人からの告白は、陸からの「さよせんせいとけっこんするんだ」というプロポーズと、同じものに思えてしまったからだ。それは、ふたりを繋いだものが幼いあの日の出来事だったから。

「違う、罪悪感じゃない。俺は紗世が好きなんだ」
 これまで見てきた余裕のある賢人とは違う。必死に伝えられるほど、言い訳めいたものに見えてしまう。
「賢人は、どうして私の前に現れたの? 最初から私のこと知ってたの?」
 どこまでが偶然で、どこからが必然なのか。
「……君に会うためにこの街に来た。再会は偶然だったけど、それ以降は紗世だと知っていて近づいた」
 紗世は、密かに失望した。

 賢人の、その真っ直ぐな眼が嘘だとは思わない。けれど、真っ直ぐに間違えてしまうこともある。
 好きとか愛してるとかの感情は、はっきりと線引きできるものではないし、人の想いの重さは量れない。マーブル状に混じる愛情と同情のパーセンテージを数値化することもできない。
 どんな感情であれ、簡単に割り切れるものではないし、純粋であり続けることはとても困難だ。
 憧れとか、感謝とか、罪悪感とか、そういう気持ちを恋だと勘違いして、真っ直ぐに育ててしまうこともある。

「あなたが、私のことを忘れてくれてたらよかったのに」
 小さなため息と共にそっとつぶやいた。
 忘れたままで出会えたらよかった。そうしたら、紗世から「好き」だと伝えられたかもしれないのに。
「私の傷は賢人のせいじゃない。私はとっくに乗り越えてる。だから、もういいから」
「俺だって乗り越えてる。この気持ちは罪悪感なんかじゃない——」
「じゃあ、どうしてこの傷を見てそんなに悲しそうな顔をするの?」
 賢人の言葉を遮って、詰るように言葉を投げた。
 再会が、ただの偶然なら、賢人の気持ちを真っ直ぐに受け止められたのだろうか。
 確かめようもない『もしも』が、惜しくて仕方がない。『もしも』なんて、あるはずもないのに。
「私たち、もう会うのやめよう。恋愛は、ちゃんと好きな人とするものだよ」

 自分から振ったとしても、失恋というものは成立するんだな、なんてどうでもいいことを考えた。
 
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