傷痕は運命の赤い糸
あの日のリベンジ、として、賢人から再び夜景の見えるホテルに招待された。
ひとつだけ前回と違うのは、今回は最初から個室であること。
窓際で飾られたテーブルにはあらかじめディナーが用意されていて、ゆったりとふたりの時間を楽しんだ。
この前賢人が言っていた『会いに来るのに時間がかかってしまった理由』を聞いて、紗世は驚いた。
紗世を攫ったあの犯人達には指示役がいて、更にその人物の上の上……と辿っていったら、なんと海外の組織まで繋がったそうだ。
誘拐への警戒心が薄い日本人を、短期間でできるだけ一気に攫って、海外で人身売買をする計画が発生していたという。
「それって私が聞いても大丈夫な話なの?」
警察官には守秘義務があるらしいというのは、その道に詳しくない紗世でも聞いたことがある。
「もちろん話せないことも多い。でも紗世にはなるべく隠し事はしたくないんだ」
完全に二人だけの空間で、賢人は真っ直ぐに紗世だけを見つめながらそう言った。窓の外には、無数の星のように散らばる綺麗な夜景が広がっているというのに。
今回、賢人はかなりの単独行動を取っていた。
紗世を助けに入った時のことが、特に問題視された。
誘拐犯がいる場所にひとりで乗り込むなんて、通常では考えられない。
応援要請しただけマシだろう? あの状況で待つなんて、俺には一秒でも無理だった。と、さらりと言ってしまうあたり、反省していなさそうだ。
それで助けられた紗世も、何も言い返せない。
しかし結果的に、成果の方が大きかったというわけだ。
上司の計らいにより、厳重注意と、二度と独断で行動しないという約束をさせられたらしい。
紗世が知らないところでも、賢人は紗世を守るためにいろいろと行動してくれていた。
その気持ちがどこからどういうふうに来ているのかなんて、今となってはそこまで重要視することではないと思えるから不思議だ。
「私、賢人を信じられなかったっていうより、私自身を信じられなかったんだと思う」
前回このホテルで向き合った時、どうしてすぐに告白を受け入れられなかったのか。会えない間に、たくさん考えた。
「どういうこと?」
「傷痕のこともあって、心のどこかで『こんな私が愛されるわけない』って思ってた。それを誤魔化したくて、賢人の罪悪感のせいにしてたのかも、って……」
けれど、賢人を見ていて思い出したことがある。
紗世が保育士になろうと思ったのも、賢人とのことがあったからだ。
あの日、震えて怯えているか弱い少年を守れたことは、紗世にとって自信になった。大袈裟にいえば、自分の存在意義を感じた、初めての瞬間だった。
少しでも武術を学んだ自分だったら、子ども達が危険に晒された時に、盾になれるかもしれない。
理不尽に攻撃を仕掛けてくる悪人から、傷つけられる、抵抗できない弱い子たちを守りたい。
むしろ紗世の傷痕は名誉の勲章なのだ。人を守れた証なのだから。
そう強く思えた。
「私の人生の中心にも、ずっと賢人がいたんだよ」
「……紗世」
恥ずかしくなるほどに、真っ直ぐに見つめられる。
「俺は命の危険がある仕事をしている。ずっと同じ場所にもいられないかもしれない。だけど、許される限りの時間を紗世と過ごしたいと思ってる。一緒にいたい」
自信がなさそうに「一緒にいてくれるか?」と聞いてくるのは、この前のことがあったからだろう。
今はそんなこと、聞かれるまでもなく答えは決まっているのに。
「仕方がないから、私が賢人を守ってあげる。むしろ『嫌だ』って言われたって、この傷ごと責任取ってもらうからね?」
責任を取れ、だなんて、こんな重い言葉は普通なら嫌がられそうなものなのに。賢人は破顔した。
この傷痕に対して『女の子なのに可哀想』と何度言われてきただろう。親も、友達も、そして元恋人も、悪気なく言葉という針を刺し、紗世を傷つけてきた。
紗世自身も、傷を気にしていた時期もあった。
だけど今は違う。
ふたりを繋いだのはこの傷なのだから、いっそ永遠にふたりを繋いだまま消えないものであればいいとすら思う。
「もちろんだ。俺の一生かけて、責任を取らせてくれ」
左手を取られて、星よりも輝くダイヤが付いているリングを薬指に通された。
どこで誰と生きていくか決めたときに、紗世は覚悟を決めていた。賢人にならすべてを預けてもいい。
賢人の長い指先が、赤い糸のような紗世の胸元の傷をそっと撫でる。
「綺麗だ。本当に」
「私もそう思う」
照れ隠しにわざと茶化してそう言うと、賢人が愛おしそうにくすりと笑んだ。
あの時、傷つけられたのが賢人じゃなくて本当に良かったと、今心から言える。
「私があなたを守るから、あなたも私を守ってね」
そうして日々を積み重ね、ふたりで幸せになろう。
愛おしさを込めて、贈られたばかりの大きなダイヤが光る左手で賢人の柔らかな髪を撫でた。
「ああ、約束する。そして、もう二度と離さない」
紗世、と呼ばれて賢人を見上げると、形の良い唇がそっと降ってきた。
賢人から紡がれる最上級の愛を伝える五文字の言葉は、紗世の唇の中へと吸い込まれていった。