傷痕は運命の赤い糸
エピローグ
布団がふわふわでとても温かい。心地よいまどろみの中、寝返りを打とうとしたら、自分ではない体温からギュッと体を捕まえられた。
意識が浮上してくる。
いつもと違う倦怠感があり、まだ眠っていたいという欲求を増幅させるが、それに抗ってゆっくりとまぶたを開けた。
「……っ!」
眼前に見える肌に驚いて声が出そうになってしまったが、寸でのところでのみ込んだ。
初めて賢人と共に過ごした昨夜の記憶が蘇り、幸福感と羞恥心がないまぜになって紗世の体内で騒ぎ出す。
ジタバタともがきたい気持ちを抑えきれなくて、こっそりと爪先だけで暴れた。
真っ白なシーツの一部が静かに波を作っていく。
視線を上げると、飴玉みたいな喉仏がくっと動いた。
こんなに近くで男の人の喉仏を見たのは初めてなので、物珍しさと新鮮さがある。
もっと寝顔を見てみたくなって、拘束してくる腕を外そうと身じろぎしたところで「なんでチワワなんだ?」と、低い声が降ってきた。
寝起きだからか少し掠れていて、それがまた色っぽくて、なんだかちょっと悔しい。
「起きてたの?」
「寝てしまったら全部夢になりそうな気がして、深くは眠れなかった」
少しだけ腕の力を緩めてもらえたので、賢人の顔を見るくらいは動けるようになったけれど、完全に解放してくれる気はないらしい。
「俺はチワワには見えないんだろ? 今更だけど、本当に俺でいいのか?」
好きなタイプを聞かれて咄嗟に答えただけなのに、こんなふうになってまで今も引きずっているなんて、なんだか可笑しい。
まぁ嫌だって言われても絶対に放してやれないけど、と譫言のように呟く声の振動が、直接体に響いてくる。
「賢人こそ、本当に私でいいの? 私と再会するまで、たくさん素敵な人と出会ってきたでしょ?」
彼の気持ちを疑っているわけではなくて、純粋に疑問に思った。
「私、キレイでもないしとびきり可愛いわけでもないよ?」
これは冷静な自己分析だ。なのに賢人は、わかってないなぁと言いたげに眉尻を下げた。
「あの日、紗世の後ろ姿を見て『格好いいな』って思ったんだ。綺麗な女性も可愛い女性も、世の中にはたくさんいるかもしれないけど俺は興味ない。紗世だけが、俺が追いかけたい女性だよ」
あの時から、この髪にふれてみたかった。そう囁きながら、長い指が紗世の髪を持ち上げてはサラサラと流して落とす。
直接肌にふれられているわけでもないのに、こそばゆい。髪にも感覚があるのかと思うくらい、温かくて心地良い。
「……それに、こんなに幸せな朝を迎えたのは、初めてなんだ」
「え?」
「紗世が腕の中にいてくれることが嬉しすぎて、頭が沸騰しそう。じっとしていられなくて、今すぐに駆け出したいくらいだ」
「……私も、同じようなこと考えてた」
自分だけじゃないと知ることができて、嬉しい気持ちが二倍にも三倍に膨れあがる。
「だけど俺は、紗世のタイプじゃないんだろ? そのうちチワワみたいな男が現れて、そいつに攫われたら……。想像しただけでおかしくなりそうだ」
そんな人は存在しない。多分これからも。だけど、架空の男性にまで嫉妬してくれる賢人が愛おしくて、口角が勝手に上がっていく。
ニヤけた顔を見られたくなくて、胸元におでこを擦り付けて顔をうずめた。
「……初めて出会った時の賢人は、まるでチワワみたいだったよ」
「え、俺が?」
怯えてふるふると震えていた可愛い男の子。キュルキュルの瞳に涙を浮かべているその姿はまるで仔犬みたいで、紗世の庇護欲を掻き立てた。
命の危機すらある窮地の状況だったのに不謹慎だとわかっているが、本当にそう思ったのだ。
「守りたい、って強く思ったの」
おそらくそれは、母性とも違う感情で。
今でも私は、守られるだけの存在でありたくないと思っている。
どちらかといえば、好きな人の役に立ちたい。甘やかしたい。
「私に守られるほど賢人が弱くないのはわかってるけど、あなたが傷ついたときは私が癒したい。この先、その役目が私だけであってほしい」
背中に回した手を、賢人の後頭部まで伸ばして、襟足を指先で梳いた。サラサラとふわふわの中間みたいな柔らかな黒髪を、くしゃくしゃと弄ぶ。
「無理」
「えっ?」
「もう紗世がいないと無理。可愛すぎる。なんなのマジで」
なんだか突然、賢人らしからぬ口調になったかと思ったら視界がくるりと反転した。
昔と変わらずキュルキュルの目をしているのに、その奥には獰猛さが垣間見える。
己の危機を察した紗世が、慌ててベッドから抜け出そうとするも、大きな体で組み敷かれては全く歯が立たない。
「ま、待って」
「やだ」
あ、と開いた口が首筋をかぷりと噛んで、痛くない程度に犬歯がカジカジと肌を刺す。
途端にぞくり、と慣れない色欲が膨れあがり、体の内側から溢れ出して破裂しそうな苦しさが込み上げてくる。
「待っ、て……」
「んーん」
ペロリと耳裏を舌で撫でられて、一度に押し寄せる肌の感覚に耐えられなくなった。
「まて!!」
まるで犬の躾みたいにハッキリと低い声で注意すると、ぴたりと賢人の動きが止まった。
「……ごめん」
顔を上げたその表情は、しょんぼりとしていて、まるで垂れた犬耳が頭から生えているように見える。
普段の賢人からは想像できない表情に、思わず顔が綻ぶ。
「チワワでも大型犬でもなくて、今の賢人が私のタイプだよ」
賢人の頬に頬に手を添えて「だから、お手柔らかにお願いします」と伝えた。
そしてこれからも末長くよろしくお願いします、と伝えるつもりだったのに、全くお手柔らかでない賢人のせいで、その言葉はのみ込まれてしまったのだった。
意識が浮上してくる。
いつもと違う倦怠感があり、まだ眠っていたいという欲求を増幅させるが、それに抗ってゆっくりとまぶたを開けた。
「……っ!」
眼前に見える肌に驚いて声が出そうになってしまったが、寸でのところでのみ込んだ。
初めて賢人と共に過ごした昨夜の記憶が蘇り、幸福感と羞恥心がないまぜになって紗世の体内で騒ぎ出す。
ジタバタともがきたい気持ちを抑えきれなくて、こっそりと爪先だけで暴れた。
真っ白なシーツの一部が静かに波を作っていく。
視線を上げると、飴玉みたいな喉仏がくっと動いた。
こんなに近くで男の人の喉仏を見たのは初めてなので、物珍しさと新鮮さがある。
もっと寝顔を見てみたくなって、拘束してくる腕を外そうと身じろぎしたところで「なんでチワワなんだ?」と、低い声が降ってきた。
寝起きだからか少し掠れていて、それがまた色っぽくて、なんだかちょっと悔しい。
「起きてたの?」
「寝てしまったら全部夢になりそうな気がして、深くは眠れなかった」
少しだけ腕の力を緩めてもらえたので、賢人の顔を見るくらいは動けるようになったけれど、完全に解放してくれる気はないらしい。
「俺はチワワには見えないんだろ? 今更だけど、本当に俺でいいのか?」
好きなタイプを聞かれて咄嗟に答えただけなのに、こんなふうになってまで今も引きずっているなんて、なんだか可笑しい。
まぁ嫌だって言われても絶対に放してやれないけど、と譫言のように呟く声の振動が、直接体に響いてくる。
「賢人こそ、本当に私でいいの? 私と再会するまで、たくさん素敵な人と出会ってきたでしょ?」
彼の気持ちを疑っているわけではなくて、純粋に疑問に思った。
「私、キレイでもないしとびきり可愛いわけでもないよ?」
これは冷静な自己分析だ。なのに賢人は、わかってないなぁと言いたげに眉尻を下げた。
「あの日、紗世の後ろ姿を見て『格好いいな』って思ったんだ。綺麗な女性も可愛い女性も、世の中にはたくさんいるかもしれないけど俺は興味ない。紗世だけが、俺が追いかけたい女性だよ」
あの時から、この髪にふれてみたかった。そう囁きながら、長い指が紗世の髪を持ち上げてはサラサラと流して落とす。
直接肌にふれられているわけでもないのに、こそばゆい。髪にも感覚があるのかと思うくらい、温かくて心地良い。
「……それに、こんなに幸せな朝を迎えたのは、初めてなんだ」
「え?」
「紗世が腕の中にいてくれることが嬉しすぎて、頭が沸騰しそう。じっとしていられなくて、今すぐに駆け出したいくらいだ」
「……私も、同じようなこと考えてた」
自分だけじゃないと知ることができて、嬉しい気持ちが二倍にも三倍に膨れあがる。
「だけど俺は、紗世のタイプじゃないんだろ? そのうちチワワみたいな男が現れて、そいつに攫われたら……。想像しただけでおかしくなりそうだ」
そんな人は存在しない。多分これからも。だけど、架空の男性にまで嫉妬してくれる賢人が愛おしくて、口角が勝手に上がっていく。
ニヤけた顔を見られたくなくて、胸元におでこを擦り付けて顔をうずめた。
「……初めて出会った時の賢人は、まるでチワワみたいだったよ」
「え、俺が?」
怯えてふるふると震えていた可愛い男の子。キュルキュルの瞳に涙を浮かべているその姿はまるで仔犬みたいで、紗世の庇護欲を掻き立てた。
命の危機すらある窮地の状況だったのに不謹慎だとわかっているが、本当にそう思ったのだ。
「守りたい、って強く思ったの」
おそらくそれは、母性とも違う感情で。
今でも私は、守られるだけの存在でありたくないと思っている。
どちらかといえば、好きな人の役に立ちたい。甘やかしたい。
「私に守られるほど賢人が弱くないのはわかってるけど、あなたが傷ついたときは私が癒したい。この先、その役目が私だけであってほしい」
背中に回した手を、賢人の後頭部まで伸ばして、襟足を指先で梳いた。サラサラとふわふわの中間みたいな柔らかな黒髪を、くしゃくしゃと弄ぶ。
「無理」
「えっ?」
「もう紗世がいないと無理。可愛すぎる。なんなのマジで」
なんだか突然、賢人らしからぬ口調になったかと思ったら視界がくるりと反転した。
昔と変わらずキュルキュルの目をしているのに、その奥には獰猛さが垣間見える。
己の危機を察した紗世が、慌ててベッドから抜け出そうとするも、大きな体で組み敷かれては全く歯が立たない。
「ま、待って」
「やだ」
あ、と開いた口が首筋をかぷりと噛んで、痛くない程度に犬歯がカジカジと肌を刺す。
途端にぞくり、と慣れない色欲が膨れあがり、体の内側から溢れ出して破裂しそうな苦しさが込み上げてくる。
「待っ、て……」
「んーん」
ペロリと耳裏を舌で撫でられて、一度に押し寄せる肌の感覚に耐えられなくなった。
「まて!!」
まるで犬の躾みたいにハッキリと低い声で注意すると、ぴたりと賢人の動きが止まった。
「……ごめん」
顔を上げたその表情は、しょんぼりとしていて、まるで垂れた犬耳が頭から生えているように見える。
普段の賢人からは想像できない表情に、思わず顔が綻ぶ。
「チワワでも大型犬でもなくて、今の賢人が私のタイプだよ」
賢人の頬に頬に手を添えて「だから、お手柔らかにお願いします」と伝えた。
そしてこれからも末長くよろしくお願いします、と伝えるつもりだったのに、全くお手柔らかでない賢人のせいで、その言葉はのみ込まれてしまったのだった。
