国宝級イケメンの実力派俳優は、傷心した気象予報士を溺愛して離さない
冷たい雨が降る、十二月二十五日、午前九時。
私はしとしとと降り続くその雨にため息をこぼしながら、出勤前にいつも行くある場所へと向かっていた。
『ホワイトクリスマスになるかもしれません』
昨日、私は笑顔で生放送のテレビカメラに向かって、そう言った。
私、高元宙音は地方のキー局のキャスターだ。気象予報士の資格も持っていて、いわゆるお天気キャスターとして勤めている。
だけど、今朝の天気は雨止まり。
予報よりも気温が下らなかったのだ。
どれだけの人が残念がっているのだろう。
期待だけ持たせて、私も最低だな。
私は歩きながら、昨夜のことを思い出した――。
◇◇◇
【明日の予定だけど、仕事終わり二十時に。私の家でいいかな?】
昨夜、私は三年前からお付き合いしている三間義弘さんに二日前に送ったメッセージを見返しながら、彼を待っていた。
彼は私と同じ局で働くアナウンサー。地方局に勤めていながら、その声のしっとりとした聞きやすさと、それに劣らぬ顔貌の良さが相まって、今大人気のアナウンサーだ。
ちょくちょく東京の系列局での収録に参加していたりするから、そろそろ向こうに異動になるのではないか、と社内では噂されている。
そんな彼と私は、秘密のお付き合いをしていた。
互いにテレビに映る立場で、人気商売である。お付き合いをしていることは隠したいと彼に提案され、それをずっと貫いてきた。
だから、デートも私の家ばかりだった。手料理を振る舞ったり、のんびりサブスクの映画を見たり。それでも、きちんと愛を育めているのだと、信じていた。
昨日までは。
彼は売れっ子アナウンサーなので、東京と地方の移動が多く、さらに朝の情報番組を担当し始めた最近はめっきり会える日が減っていた。
それでも彼を信じ、付き合い始めた頃に約束した「クリスマスイブくらいは一緒に過ごそう」を信じて、昨夜も彼を待っていた。
送ったメッセージに既読がついたのは、約束の時間の三時間前。
返信は無かったけれど、きっと今日も忙しいのだと信じ待っていた。
手作りのチキンに市販のケーキ。二人で食べるには少し多いくらいの量を手作りしてしまったが、それでも義弘さんなら喜んで食べてくれるだろう。
胸に過る不安と戦いながら、でも彼なら「ごめん、遅くなった!」とか言いながら、慌てて家にやって来てくれるはずと思って、彼を待っていた。
しかし時間だけが虚しく流れ、夜、十一時。
いい加減不安になり、街へ出た。
どんよりと曇ったイブの街。飽和した水蒸気のせいか、吐く息がやたらと白い。
まだお仕事中なのかな。
私と彼の働くテレビ局に向かいながら、きょろきょろ辺りを見回す。
すると、彼を見つけた。
いつも私に会いに来る時と同じように、変装用の黒ぶちのメガネをかけていたから、彼だとすぐに分かった。
だけどもそこは、高級ホテルの前。
女性の肩を抱き、彼女に笑いかけながら、彼はそこへ吸い込まれていく。
嘘、なんで――。
義弘さんが肩を抱く女性は、今を時めく美人女優だ。
立ち尽くしていると、彼らの姿はホテルの中に見えなくなっていた。
その時、ぽつり、ぽつりと雨が降り出した。
私はびしょびしょになりながら、家まで走って帰り、そのまま布団に潜り込んだ。
義弘さんは、浮気していた。
もしかしたら、浮気相手だったのは私なのかもしれない。
思い返せば東京出張の回数が増えた頃から、一泊して帰ってくることも多かった。
彼女の方が本命で、私は地方の、都合のいい女。
そう考えた方が、しっくりくる。
最初から彼がお付き合いを隠そうとしたのも、頑なに私の部屋以外で会うことを拒んでいたのも、きっとそういうことだったのだろう。
チキンの香りが漂う部屋の中で、私は一人でひた泣いた。
こんなクリスマス、二十八年間で一番最悪だ。
泣きに泣き、眠れず、朝になった。
カーテンを開き、まだしとしとと雨の降り続く外を見て、ため息を零した。
どんよりとした、クリスマスの朝。
サンタクロースはさぞ大変だったろうと思いながら、私は熱いシャワーを浴びた。
テレビをつけると、朝の情報番組で、早速その女優と彼がスクープされていた。
しかも、彼はお付き合いを否定せず、昨夜プロポーズをして承諾をもらったと言う始末だ。
見返りを求めずに世界中の子どもたちに、こんな天気だろうとプレゼントを配り届けるサンタクロースは偉大だ。
私は、どうしても愛する分だけ愛してほしいと思ってしまう。
だけど、求めていた愛は、違う誰かに向いていた。
こんな虚しいことがあるなんて。
何があろうと、仕事は仕事だ。
私はこれから、テレビの前で、今日雪が降らなかったことを詫び、明日の天気を伝えなければならない。
出かける支度を整えると、ダウンジャケットに手袋、マフラーをしっかりと装備する。
私はしとしとと降り続く雨にぶるりと震えながら、家を出た。
◇◇◇
やがて、いつものルーティンの場所に着く。
ここは、屋上展望台を持つ日本一高いビルディングだ。
展望台は地上三百メートルの高さ。今は、雲に覆われてそのてっぺんは見えない。
クリスマスにも関わらず、通勤時間の過ぎたこの周辺には、観光客はほとんどいなかった。
朝早いということもあるのだろうけれど、それ以上に今日は仕事が無ければ家でぬくぬく過ごしたいくらいの気温だ。
私はいつも通り、年間パスポートを使って屋上へと向かった。
私がこの屋上に昇るのは、〝お天気お姉さん〟としてのルーティンだ。
天気が良ければ遠くまで見渡せる。
今日はどの辺りまで見えるか、雲の様子はどうだろうか、上空の風はどうだろうか。
地上では見たり感じたりすることのできないことをお伝えすれば、視聴者の皆様も楽しんでもらえるだろうという思いから始めたことだ。
今日はきっと、展望台は雲の中。
写真に収めたら、少しは話題になるかもな。
こんなに辛いときでもそんなことを考えられるんだから、この仕事に就けてよかったと思う。
空が好きな私にとって、今の仕事は天職だ。
一人きりで乗り込んだエレベーターはどんどん昇り、やがてその階数表示がRFになると、扉が開いた。
真っ白な空間が広がっていた。雲の中た。
雨は横から吹き付ける。
いや、待って。雨じゃなくて、雪だ。
地上に降る冷たい雨は、どうやらこの場所ではまだ雪だったようだ。
そうか、ここは地上から三百メートルも高いのだから、地上よりも二度ほど気温が低い。
この場所だけは、ホワイトクリスマスだ。
そう思って、足を踏み出す。
風が強く吹き、相変わらず寒い。
だけど私はスマホのカメラを構え、必死に雪を撮影した。
すると、私は目の前に人影を見つけた。
私以外にも、こんな天気の日にここに来る人がいるなんて。
そう思っていると、人影はどんどん大きくなる。
「やっぱり、人だ」
男性の朗らかな声がして、私はスマホの画面から顔を上げた。
肉眼になると、彼のフォルムが幾分はっきりと見える。
彼はこちらに歩み寄りながら、口を開く。
「凄いよね。雪だよ」
長い脚、小さな頭。スッと通った目鼻立ちで、無邪気に笑いかけてくる彼。
「光吉さん……」
思わず彼の名を呼ぶと、彼はおかしそうに笑った。
「はは、君は雪は撮っても、俺は撮らないんだ」
「あ……」
私は手にしていたスマホを上着のポケットにしまった。
「プライベートを撮られるなんて、嫌でしょうから」
彼は今、人気絶頂の俳優さんだ。
なぜ彼がここにいるのかは分からないが、私も彼と同じくテレビに出る者のはしくれだ。プライベートを撮られるのが嫌な人もいると、よく知っている。
すると彼は、さらにこちらに近付いてきた。
思わず後ずさると、彼はニコッと笑って私に顔を近づける。
「君、面白いね」
テレビ局勤めだから芸能人には何人も会ったことがある。だけど、国宝級と称されるイケメンに、こんなに近くで笑いかけられたのは初めてだ。
思わず頬が熱くなる。
これがファンを作る彼の戦術なのだとしたら、よほど自分のことを良く分かっているのだろうと感心してしまう。
彼から漂う色気に、クラクラしてしまいそうだ。
とはいえ、私は昨夜浮気されたばかり。恋なんてしばらくできないし、こういうこともできれば避けたい。
「あの、少し離れてくれませんか?」
思わずそう言うと、彼は体を真っ直ぐにして、くすくす笑い出した。
「ごめん。『離れて』なんて、初めて言われたから」
「すみません……」
失礼だったかと、思わず頭を下げる。
すると、彼は突然両腕を広げ、言った。
「俺さ、今、この雪を誰かと共有したかったんだ」
そこまで言うと、彼は手を力なく下ろす。
「でも今、写真撮ってSNSに上げると、ファンが殺到しちゃうでしょ? それだと、この展望台にも迷惑をかけちゃうから、誰か共有出来る人いないかなと思ってたんだ。そしたら、君が来た」
すると彼は、心から嬉しそうな笑みを浮かべ、こちらを向いた。
「俺と君。二人きりの、ホワイトクリスマス」
目を瞬かせる私に、彼は優しく微笑み続ける。
「二人きりの、ホワイトクリスマス……」
私は彼の言葉を口の中で繰り返した。すると、鼻の奥がつんとした。
二人きりなら、相手は彼が良かった。
今、目の前で笑みを浮かべる彼は、〝あの人〟とは違いすぎる。
あんな最低なことをされたのに、まだ好きだなんて。
馬鹿みたい。
そんな自分に自嘲できて、さっぱり吹っ切れる性格ならよかった。
私はそうじゃない。未練だらけだ。
冷たいものが頬を伝う感覚にうつむく。すると、光吉さんか私の顔を覗き込んできた。
「俺と二人じゃ、嫌だったか。ごめん」
先ほどまでキラキラしていた瞳が、私の目の前で申し訳なさそうに揺れている。
「すみません、そういうわけじゃなくて」
コートの袖で涙を拭いそう言ってから、私はまだちらちらと雪の舞う空を見上げた。
どんよりとした黒い雲が、辺りを覆っている。
「嫌なこと、全部この雪に舞って消えていかないかなあ」
彼に心配をかけまいと、できるだけ明るくつとめてそう言う。
すると隣で、光吉さんも空を見上げた。
「じゃあ、俺は今から雪になる」
そう言うと、彼はこちらににいっと微笑んだ。
「地上に降りた時には、雨になって側溝に流れていきます。だから、聞いたことも全て流れてしまいます」
なんて優しい人だろう。彼の想いに、胸がじわんと温かくなる。
涙がまた溢れそうになる。洟をすすったら、とても冷たい空気を吸い込んでしまった。
それでも、涙が引っ込むことはなかった。
彼が雪なら。話しても、いいかな。
私は彼の方をあえて向かずに、まだ周りを舞う雪に向かって、そっと口を開いた。
「雪さん、あのね。昨日、お付き合いしていた人の浮気が発覚したの。しかも、本命は向こうだった。有名な女優さんだったんだよ? ひどいよね。年に一度の、大切な夜なのに」
言いながら、やっぱり涙が溢れてしまう。
だけど、心がすっとした。
悲しい想いは全部、雨になって地上に降り注ぐ。
そのまま側溝に流れて、川に流れて、やがて海に出る。
想像したら、こんな未練なんてすごくちっぽけなことに思えた。
再び洟をすすり、冷たい空気で心を落ち着かせる。
なんだか、もう大丈夫な気がする。
「ありがとうございました、雪さん」
涙を拭い、笑みを浮かべて光吉さんを見上げた。
すると彼は、なぜか顔を歪めていた。
「酷いな、そいつ」
彼はそう言うと、なぜか私の顔をじっと見る。
「気が変わった。雪でいるの、辞める」
「え?」
そう零した瞬間、彼が私に近づいた。
真剣な彼の瞳に、きょとんとした私が映る。
「そいつにさ、ギャフンと言わせてみない? 俺が、協力する」
光吉茉祐。
二十九歳、国宝級のイケメンと称される、実力派俳優。
彼とのこの出会いが、まさか彼の芸能人生をかけた大恋愛に発展するなんて、この時の私は思いもしなかった。
私はしとしとと降り続くその雨にため息をこぼしながら、出勤前にいつも行くある場所へと向かっていた。
『ホワイトクリスマスになるかもしれません』
昨日、私は笑顔で生放送のテレビカメラに向かって、そう言った。
私、高元宙音は地方のキー局のキャスターだ。気象予報士の資格も持っていて、いわゆるお天気キャスターとして勤めている。
だけど、今朝の天気は雨止まり。
予報よりも気温が下らなかったのだ。
どれだけの人が残念がっているのだろう。
期待だけ持たせて、私も最低だな。
私は歩きながら、昨夜のことを思い出した――。
◇◇◇
【明日の予定だけど、仕事終わり二十時に。私の家でいいかな?】
昨夜、私は三年前からお付き合いしている三間義弘さんに二日前に送ったメッセージを見返しながら、彼を待っていた。
彼は私と同じ局で働くアナウンサー。地方局に勤めていながら、その声のしっとりとした聞きやすさと、それに劣らぬ顔貌の良さが相まって、今大人気のアナウンサーだ。
ちょくちょく東京の系列局での収録に参加していたりするから、そろそろ向こうに異動になるのではないか、と社内では噂されている。
そんな彼と私は、秘密のお付き合いをしていた。
互いにテレビに映る立場で、人気商売である。お付き合いをしていることは隠したいと彼に提案され、それをずっと貫いてきた。
だから、デートも私の家ばかりだった。手料理を振る舞ったり、のんびりサブスクの映画を見たり。それでも、きちんと愛を育めているのだと、信じていた。
昨日までは。
彼は売れっ子アナウンサーなので、東京と地方の移動が多く、さらに朝の情報番組を担当し始めた最近はめっきり会える日が減っていた。
それでも彼を信じ、付き合い始めた頃に約束した「クリスマスイブくらいは一緒に過ごそう」を信じて、昨夜も彼を待っていた。
送ったメッセージに既読がついたのは、約束の時間の三時間前。
返信は無かったけれど、きっと今日も忙しいのだと信じ待っていた。
手作りのチキンに市販のケーキ。二人で食べるには少し多いくらいの量を手作りしてしまったが、それでも義弘さんなら喜んで食べてくれるだろう。
胸に過る不安と戦いながら、でも彼なら「ごめん、遅くなった!」とか言いながら、慌てて家にやって来てくれるはずと思って、彼を待っていた。
しかし時間だけが虚しく流れ、夜、十一時。
いい加減不安になり、街へ出た。
どんよりと曇ったイブの街。飽和した水蒸気のせいか、吐く息がやたらと白い。
まだお仕事中なのかな。
私と彼の働くテレビ局に向かいながら、きょろきょろ辺りを見回す。
すると、彼を見つけた。
いつも私に会いに来る時と同じように、変装用の黒ぶちのメガネをかけていたから、彼だとすぐに分かった。
だけどもそこは、高級ホテルの前。
女性の肩を抱き、彼女に笑いかけながら、彼はそこへ吸い込まれていく。
嘘、なんで――。
義弘さんが肩を抱く女性は、今を時めく美人女優だ。
立ち尽くしていると、彼らの姿はホテルの中に見えなくなっていた。
その時、ぽつり、ぽつりと雨が降り出した。
私はびしょびしょになりながら、家まで走って帰り、そのまま布団に潜り込んだ。
義弘さんは、浮気していた。
もしかしたら、浮気相手だったのは私なのかもしれない。
思い返せば東京出張の回数が増えた頃から、一泊して帰ってくることも多かった。
彼女の方が本命で、私は地方の、都合のいい女。
そう考えた方が、しっくりくる。
最初から彼がお付き合いを隠そうとしたのも、頑なに私の部屋以外で会うことを拒んでいたのも、きっとそういうことだったのだろう。
チキンの香りが漂う部屋の中で、私は一人でひた泣いた。
こんなクリスマス、二十八年間で一番最悪だ。
泣きに泣き、眠れず、朝になった。
カーテンを開き、まだしとしとと雨の降り続く外を見て、ため息を零した。
どんよりとした、クリスマスの朝。
サンタクロースはさぞ大変だったろうと思いながら、私は熱いシャワーを浴びた。
テレビをつけると、朝の情報番組で、早速その女優と彼がスクープされていた。
しかも、彼はお付き合いを否定せず、昨夜プロポーズをして承諾をもらったと言う始末だ。
見返りを求めずに世界中の子どもたちに、こんな天気だろうとプレゼントを配り届けるサンタクロースは偉大だ。
私は、どうしても愛する分だけ愛してほしいと思ってしまう。
だけど、求めていた愛は、違う誰かに向いていた。
こんな虚しいことがあるなんて。
何があろうと、仕事は仕事だ。
私はこれから、テレビの前で、今日雪が降らなかったことを詫び、明日の天気を伝えなければならない。
出かける支度を整えると、ダウンジャケットに手袋、マフラーをしっかりと装備する。
私はしとしとと降り続く雨にぶるりと震えながら、家を出た。
◇◇◇
やがて、いつものルーティンの場所に着く。
ここは、屋上展望台を持つ日本一高いビルディングだ。
展望台は地上三百メートルの高さ。今は、雲に覆われてそのてっぺんは見えない。
クリスマスにも関わらず、通勤時間の過ぎたこの周辺には、観光客はほとんどいなかった。
朝早いということもあるのだろうけれど、それ以上に今日は仕事が無ければ家でぬくぬく過ごしたいくらいの気温だ。
私はいつも通り、年間パスポートを使って屋上へと向かった。
私がこの屋上に昇るのは、〝お天気お姉さん〟としてのルーティンだ。
天気が良ければ遠くまで見渡せる。
今日はどの辺りまで見えるか、雲の様子はどうだろうか、上空の風はどうだろうか。
地上では見たり感じたりすることのできないことをお伝えすれば、視聴者の皆様も楽しんでもらえるだろうという思いから始めたことだ。
今日はきっと、展望台は雲の中。
写真に収めたら、少しは話題になるかもな。
こんなに辛いときでもそんなことを考えられるんだから、この仕事に就けてよかったと思う。
空が好きな私にとって、今の仕事は天職だ。
一人きりで乗り込んだエレベーターはどんどん昇り、やがてその階数表示がRFになると、扉が開いた。
真っ白な空間が広がっていた。雲の中た。
雨は横から吹き付ける。
いや、待って。雨じゃなくて、雪だ。
地上に降る冷たい雨は、どうやらこの場所ではまだ雪だったようだ。
そうか、ここは地上から三百メートルも高いのだから、地上よりも二度ほど気温が低い。
この場所だけは、ホワイトクリスマスだ。
そう思って、足を踏み出す。
風が強く吹き、相変わらず寒い。
だけど私はスマホのカメラを構え、必死に雪を撮影した。
すると、私は目の前に人影を見つけた。
私以外にも、こんな天気の日にここに来る人がいるなんて。
そう思っていると、人影はどんどん大きくなる。
「やっぱり、人だ」
男性の朗らかな声がして、私はスマホの画面から顔を上げた。
肉眼になると、彼のフォルムが幾分はっきりと見える。
彼はこちらに歩み寄りながら、口を開く。
「凄いよね。雪だよ」
長い脚、小さな頭。スッと通った目鼻立ちで、無邪気に笑いかけてくる彼。
「光吉さん……」
思わず彼の名を呼ぶと、彼はおかしそうに笑った。
「はは、君は雪は撮っても、俺は撮らないんだ」
「あ……」
私は手にしていたスマホを上着のポケットにしまった。
「プライベートを撮られるなんて、嫌でしょうから」
彼は今、人気絶頂の俳優さんだ。
なぜ彼がここにいるのかは分からないが、私も彼と同じくテレビに出る者のはしくれだ。プライベートを撮られるのが嫌な人もいると、よく知っている。
すると彼は、さらにこちらに近付いてきた。
思わず後ずさると、彼はニコッと笑って私に顔を近づける。
「君、面白いね」
テレビ局勤めだから芸能人には何人も会ったことがある。だけど、国宝級と称されるイケメンに、こんなに近くで笑いかけられたのは初めてだ。
思わず頬が熱くなる。
これがファンを作る彼の戦術なのだとしたら、よほど自分のことを良く分かっているのだろうと感心してしまう。
彼から漂う色気に、クラクラしてしまいそうだ。
とはいえ、私は昨夜浮気されたばかり。恋なんてしばらくできないし、こういうこともできれば避けたい。
「あの、少し離れてくれませんか?」
思わずそう言うと、彼は体を真っ直ぐにして、くすくす笑い出した。
「ごめん。『離れて』なんて、初めて言われたから」
「すみません……」
失礼だったかと、思わず頭を下げる。
すると、彼は突然両腕を広げ、言った。
「俺さ、今、この雪を誰かと共有したかったんだ」
そこまで言うと、彼は手を力なく下ろす。
「でも今、写真撮ってSNSに上げると、ファンが殺到しちゃうでしょ? それだと、この展望台にも迷惑をかけちゃうから、誰か共有出来る人いないかなと思ってたんだ。そしたら、君が来た」
すると彼は、心から嬉しそうな笑みを浮かべ、こちらを向いた。
「俺と君。二人きりの、ホワイトクリスマス」
目を瞬かせる私に、彼は優しく微笑み続ける。
「二人きりの、ホワイトクリスマス……」
私は彼の言葉を口の中で繰り返した。すると、鼻の奥がつんとした。
二人きりなら、相手は彼が良かった。
今、目の前で笑みを浮かべる彼は、〝あの人〟とは違いすぎる。
あんな最低なことをされたのに、まだ好きだなんて。
馬鹿みたい。
そんな自分に自嘲できて、さっぱり吹っ切れる性格ならよかった。
私はそうじゃない。未練だらけだ。
冷たいものが頬を伝う感覚にうつむく。すると、光吉さんか私の顔を覗き込んできた。
「俺と二人じゃ、嫌だったか。ごめん」
先ほどまでキラキラしていた瞳が、私の目の前で申し訳なさそうに揺れている。
「すみません、そういうわけじゃなくて」
コートの袖で涙を拭いそう言ってから、私はまだちらちらと雪の舞う空を見上げた。
どんよりとした黒い雲が、辺りを覆っている。
「嫌なこと、全部この雪に舞って消えていかないかなあ」
彼に心配をかけまいと、できるだけ明るくつとめてそう言う。
すると隣で、光吉さんも空を見上げた。
「じゃあ、俺は今から雪になる」
そう言うと、彼はこちらににいっと微笑んだ。
「地上に降りた時には、雨になって側溝に流れていきます。だから、聞いたことも全て流れてしまいます」
なんて優しい人だろう。彼の想いに、胸がじわんと温かくなる。
涙がまた溢れそうになる。洟をすすったら、とても冷たい空気を吸い込んでしまった。
それでも、涙が引っ込むことはなかった。
彼が雪なら。話しても、いいかな。
私は彼の方をあえて向かずに、まだ周りを舞う雪に向かって、そっと口を開いた。
「雪さん、あのね。昨日、お付き合いしていた人の浮気が発覚したの。しかも、本命は向こうだった。有名な女優さんだったんだよ? ひどいよね。年に一度の、大切な夜なのに」
言いながら、やっぱり涙が溢れてしまう。
だけど、心がすっとした。
悲しい想いは全部、雨になって地上に降り注ぐ。
そのまま側溝に流れて、川に流れて、やがて海に出る。
想像したら、こんな未練なんてすごくちっぽけなことに思えた。
再び洟をすすり、冷たい空気で心を落ち着かせる。
なんだか、もう大丈夫な気がする。
「ありがとうございました、雪さん」
涙を拭い、笑みを浮かべて光吉さんを見上げた。
すると彼は、なぜか顔を歪めていた。
「酷いな、そいつ」
彼はそう言うと、なぜか私の顔をじっと見る。
「気が変わった。雪でいるの、辞める」
「え?」
そう零した瞬間、彼が私に近づいた。
真剣な彼の瞳に、きょとんとした私が映る。
「そいつにさ、ギャフンと言わせてみない? 俺が、協力する」
光吉茉祐。
二十九歳、国宝級のイケメンと称される、実力派俳優。
彼とのこの出会いが、まさか彼の芸能人生をかけた大恋愛に発展するなんて、この時の私は思いもしなかった。


