野いちご源氏物語 〇九 葵(あおい)
物寂しい秋の風が吹いていく。
慣れない独り寝ではなかなか夜が明けない。やっと空がぼんやり明るくなってきたころ、どこかの使者が手紙をそっと置いていった。喪服のような色合いの紙に、美しい菊の花が添えてある。
<洒落た手紙だ。どなたからだろう>
開いてご覧になると、六条の御息所の筆跡だった。
「奥様のことを伺ってはおりましたが、これまで遠慮して何も申し上げられませんでした。その間の私の気持ちをご想像いただけますか。人の命の儚さに涙がこぼれますが、何よりあなたがお悲しみでいらっしゃることに胸が痛みます。秋の空があまりに物悲しいので、ついお手紙を差し上げました」
とある。
<いつも以上に美しいご筆跡だ>
つい見とれてしまうけれど、どうしてもあの妖怪の面影と声がちらつく。憑り殺した側からの弔問とは皮肉だった。しかし返事を差し上げないのはお気の毒で、失礼でもある。
<何をどうしたところで妻は亡くなる運命だったのだ。せめて妖怪の正体を知らないままでいたかった>
もう御息所のことを昔のような目ではご覧になれない。源氏の君も喪服のような色の紙にお書きになった。
「喪中のためずいぶんご無沙汰しております。死ぬ順番が多少前後したとしても、どうせこの世の命など儚いものでございます。何かにこだわって悩まれたところで虚しいだけでしょう。どうかお悩みはお捨てになりますように」
これを読んだ御息所は真っ青になってしまわれる。
<何もかも分かっておいでなのだ。その上で私を責めていらっしゃる>
東宮のままお亡くなりになった夫君や、その兄宮である桐壺院に対して申し訳がなかった。
<このことを源氏の君が桐壺院にお話しなさったら、院はどうお思いになるだろう。亡き宮と院はとても仲の良いご兄弟でいらっしゃった。宮が姫のことを院に頼んでおかれたから、院は今でも姫の親代わりをしてくださっている。
宮が亡くなって私が実家に戻ろうとしたときには、内裏で暮らしつづけてもよいのに、とまで仰せくださった。それほど心配してくださっていたにもかかわらず、私はうっかり源氏の君に恋をして、捨てられそうになっている。そのあげく、妖怪に化けてあの人の妻を殺してしまったのだから、私はどれだけ呪われた運命を背負っているのだろう>
思い乱れるほどご体調は悪くなる。
御息所は姫宮と一緒に、都の郊外にある神聖な屋敷に引っ越された。姫宮が伊勢神宮の斎宮におなりになるための、最後の準備だった。
こういうときに御息所はふさぎこんでばかりいらっしゃる方ではない。屋敷を趣味よく整えて、風情あるお暮らしをなさる。好色な貴族たちは心を惹かれて、せっせとお訪ねしているらしい。
<そうなるのも当然だろう。趣味のよさは格別な方だから。むしろこれが本来の御息所のお姿だ。しかしこのまま私とのことが嫌になって伊勢へ行かれてしまったら、さぞかし寂しいことになるだろう>
さすがに手放すのは惜しいとお思いになる。
慣れない独り寝ではなかなか夜が明けない。やっと空がぼんやり明るくなってきたころ、どこかの使者が手紙をそっと置いていった。喪服のような色合いの紙に、美しい菊の花が添えてある。
<洒落た手紙だ。どなたからだろう>
開いてご覧になると、六条の御息所の筆跡だった。
「奥様のことを伺ってはおりましたが、これまで遠慮して何も申し上げられませんでした。その間の私の気持ちをご想像いただけますか。人の命の儚さに涙がこぼれますが、何よりあなたがお悲しみでいらっしゃることに胸が痛みます。秋の空があまりに物悲しいので、ついお手紙を差し上げました」
とある。
<いつも以上に美しいご筆跡だ>
つい見とれてしまうけれど、どうしてもあの妖怪の面影と声がちらつく。憑り殺した側からの弔問とは皮肉だった。しかし返事を差し上げないのはお気の毒で、失礼でもある。
<何をどうしたところで妻は亡くなる運命だったのだ。せめて妖怪の正体を知らないままでいたかった>
もう御息所のことを昔のような目ではご覧になれない。源氏の君も喪服のような色の紙にお書きになった。
「喪中のためずいぶんご無沙汰しております。死ぬ順番が多少前後したとしても、どうせこの世の命など儚いものでございます。何かにこだわって悩まれたところで虚しいだけでしょう。どうかお悩みはお捨てになりますように」
これを読んだ御息所は真っ青になってしまわれる。
<何もかも分かっておいでなのだ。その上で私を責めていらっしゃる>
東宮のままお亡くなりになった夫君や、その兄宮である桐壺院に対して申し訳がなかった。
<このことを源氏の君が桐壺院にお話しなさったら、院はどうお思いになるだろう。亡き宮と院はとても仲の良いご兄弟でいらっしゃった。宮が姫のことを院に頼んでおかれたから、院は今でも姫の親代わりをしてくださっている。
宮が亡くなって私が実家に戻ろうとしたときには、内裏で暮らしつづけてもよいのに、とまで仰せくださった。それほど心配してくださっていたにもかかわらず、私はうっかり源氏の君に恋をして、捨てられそうになっている。そのあげく、妖怪に化けてあの人の妻を殺してしまったのだから、私はどれだけ呪われた運命を背負っているのだろう>
思い乱れるほどご体調は悪くなる。
御息所は姫宮と一緒に、都の郊外にある神聖な屋敷に引っ越された。姫宮が伊勢神宮の斎宮におなりになるための、最後の準備だった。
こういうときに御息所はふさぎこんでばかりいらっしゃる方ではない。屋敷を趣味よく整えて、風情あるお暮らしをなさる。好色な貴族たちは心を惹かれて、せっせとお訪ねしているらしい。
<そうなるのも当然だろう。趣味のよさは格別な方だから。むしろこれが本来の御息所のお姿だ。しかしこのまま私とのことが嫌になって伊勢へ行かれてしまったら、さぞかし寂しいことになるだろう>
さすがに手放すのは惜しいとお思いになる。