野いちご源氏物語 〇九 葵(あおい)
 寝室の前に(すずり)が置かれていて、何か書かれた紙も散らばっている。左大臣は一枚取って、
<見事なご筆跡(ひっせき)だ>
 とご覧になった。また涙がこぼれそうで、空を見上げて()えていらっしゃる。源氏の君が他人になってしまったことが残念でならない。
 紙には、
「あなたの(たましい)もこの寝室から離れられないのではありませんか。私もとても無理な気がする。あなたがいらっしゃらなくなってから、私は毎夜ひとりで泣いているのですよ」
 と書いてあった。大宮(おおみや)に手紙を送ったときに折らせなさった花が、紙にまざって少し残っていた。もう()れていた。

 この紙を左大臣は大宮にお見せになった。
「姫が若くして亡くなったのは、何が悪かったというのではなく、姫の運命だったのだろう。そう思えば(なぐさ)められる気もするが、源氏の君を失ったことはいつまでも悲しい。光を失ったようで、これ以上生きていられるとは思えない」
 声を上げて泣いてしまわれる。大宮にお仕えする年配の女房まで泣きだして、寒々しい夕方の光景だった。

 若い女房たちは少し離れたところに何人かずつ集まって、ひそひそ話をしている。
「源氏の君がおっしゃったように、若君(わかぎみ)のご将来を楽しみにお仕えするのがよいのでしょうけれど」
「お生まれになったばかりで、ご将来だなんてずいぶん先ですものね」
「私はしばらく実家に下がらせていただくことにしたわ」
 それぞれ思うところがあるらしい。お互いに別れを悲しんでいた。
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