怜悧な裁判官は偽の恋人を溺愛する
 困惑する私をよそに、優流はさっさと広間を出て、ポケットからスマートフォンを取り出した。

「挨拶回りも終わりましたし、帰りましょうか」

「……え?」

 見るとスマートフォンの画面には、タクシーを配車するアプリが開かれていた。

「……っその、さっき、まだ挨拶回りがあるって言ってましたけど……良いんですか?」

「ああ、それは……あの場から逃げるために、適当に言っただけなので」

「!?」

「タクシー、あと五分ぐらいで来れるみたいです。到着するまで、ロビーで待ってましょうか」

 優流は私をホテルのロビーへと連れて行き、ソファに腰掛けてから再び口を開いた。

「さっきは……ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした」

「え?」

「会長のご令嬢はやけに気位が高くて、いつもあんなふうに、攻撃的な態度をとってくるんです。本当に、困った人だ」

「え、ええ……」

「ご高齢になってからの娘ということもあり、会長もだいぶ甘やかして育てたみたいで……せっかくご一緒いただいたのに、申し訳ない」

 どうやら優流は、真子が私に嫌味を言ったことには気づいたが、彼女から好意を向けられていることには気づいていないようだった。

「い、いえ……あのような方には慣れてますので、お気になさらないでくださいな」

 今まで接客の中で受けてきた罵詈雑言に比べれば、真子の意地悪な言葉など可愛いものだ。

 やけに優流が心配そうな顔をしていたので、私は全然平気とばかりに首を横に振った。

「それに、パーティーなんて参加する機会はなかなかないので、とっても勉強になりました」

 法律のことは詳しくないが、今日のパーティーで話したのは、普段の生活で関わらないような人ばかりだった。緊張はしたけれども、彼らの話は興味深いものばかりであったのだ。

「だったら良いのですが……」

 優流が言いかけたところで、ホテルの前にタクシーが到着した。やはり先日と同じ、高級タクシーのようだ。

「っ、行きましょうか」

「……はい」

 気配りができて優しくて、素敵な方。

 でも、私とは……まったく違う世界の人なんだろうな。

 タクシーに乗り込んで優流の横顔をちらりと見ながら、私は心の中で呟いた。
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