怜悧な裁判官は偽の恋人を溺愛する
 しかし、私は首を横に振った。

「ありがとう。でも、大丈夫よ。今日は私が行くから」

「なっ……!」

 美香が何か言うより前に、私は木下の元へと歩み出た。

 木下のことが怖くないと言えば、嘘になる。けれども、大切な同僚にまで危害が及ぶのは、絶対に避けたかったのだ。

「高階さん、会いたかったよ!」

「木下様、いらっしゃいませ」

 覚悟を決めて、私はいつものように木下を席へと案内した。

「今日は、何をお探しでしょうか?」

「この前、口紅のサンプルもらったけどさあ、やっぱり決めきれなくて。もう一度試し塗りしてくれる?」

「かしこまりました、それではご用意しますね」

 笑声を保ちながら、私は淡々と接客を続ける。

 待ち伏せされた時とは違い、今は周囲にもたくさんの人がいる。だから木下も、変な行動はできないはずだ。そう自分に言い聞かせて、私は必死に作り笑いを浮かべる。

 しかし私の中の恐怖心は、大きくなるばかり。苛立ちや嫌悪感を顔に出さないことは慣れたものだが、私は恐怖と緊張で顔が引き攣りそうになっていた。

 大丈夫、一時間ぐらい我慢すれば良いんだから……!

 心の中でそう叫んだ時、木下は口を開いた。

「そう言えば、制服変わったんだね」

「はい、先日から夏服に変わったんです」

 私の働くブランドでは、春夏秋冬のシーズンごとに制服が変わる。先日まではベージュのジャケットを着用する春服だったが、今は夏服のネイビーの長袖ワンピースに切り替わっていた。

「そうなんだ、とっても似合ってるよ」

 そう言って、木下は制服の袖口に触れてきたのだった。

 ひぃぃぃっ!?
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