月とスッポン      ありのままは難しい

幕末の志士は他にもいるって


話し足りないだろう大河は、映画の続きではく、独演会の続きを選択したようだ。

「明治維新に尽力した西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の『維新の三傑』や『維新の十傑』といったグループでは、維新後に病死や暗殺、刑死など非命に終わった者が多数を占める中、3名が病死し、7名が暗殺、刑死、敗死などの外因死で命を落としましたが、一部の人物は明治政府で官職に就き、長く生き延びた方ももちろん存在します。

有名なのは、西郷従道ですね。西郷隆盛と西郷従道は、実の兄弟です。弟の従道は明治政府の中枢で活躍し、初代海軍大臣を務めました。

日清戦争で山本権兵衛を起用するなど、軍人として大きな功績を挙げた西郷従道は、1894年 明治27年に日本初の『海軍大将』に就任。さらに、1898年 明治31年には海軍の軍人としては初となる元帥の位を得ました。
この頃、西郷従道は内閣総理大臣の候補として推薦を受けるのですが、西南戦争で兄・西郷隆盛が逆賊行為をしたという理由でその推薦を断っています。そして1902年 明治35年に、胃癌のため死去。享年60にて東京目黒の自邸でこの世を去りました。

そう考えると、

『彰義隊』といって、幕末期の1868年 慶応4年、江戸幕府の征夷大将軍であった徳川慶喜の警護などを目的として渋沢栄一の従兄である渋沢成一郎や天野八郎らによって結成された部隊がいました。
最終的には上野戦争で明治新政府軍に敗れて解散しましたが、新政府がとった彰義隊への処遇は徳川方の諸隊の中で最も厳しかったと言われています。
そんな彼らにも生き残った人はいて、大塚霍之丞のように謹慎後に明治政府へと登用され官吏や重役に就いた者も少なくないそうです。

新撰組 三番隊隊長だった斎藤一も明治維新後、藤田五郎と改名して警察官になり、西南戦争にも従軍しました。
その後、東京教育博物館や東京女子高等師範学校 現現在のお茶の水女子大学に勤務し、72歳で胃潰瘍により死去しました」

「長生き。それにしても、敵でも優秀な人間は引き入れたんですね」
「元々の志は皆同じだったのが、大きかったとは思います。
今日の味方は明日の敵にと、幕府軍から新政府軍へ、新政府軍から反政府軍へと鞍替えする人は多くいた時代です」
「あっちに行ったりこっちに行ったりですか。今の時代には考えられないですね」

高速から首都高へと入っていく。
大河を先に降ろすなら、ついでに海にお土産を渡す時間はあるだろうか?と時間を確認する。
うん、次回にしよう。

「まぁ、根本的に人手不足だったのではないかと思いますけどね。

幕末の日本の人口は、江戸時代を通して約3,500万人程だったはずです。

当時の職業割合を考えると、80%以上が百姓です。なので、残り20%弱で、政治を回していた事になります。

単純計算をしても700人です。

戊辰戦争の死者は、明治政府軍が約3,500人、旧幕府軍が約4,600人、合計で約8,000人以上と概算されていますが、全体では約1万2千人から1万5千人とする説もあります。

西南戦争の死者は、政府軍約6,400人、薩摩軍約6,800人、政府軍と薩摩軍合わせて約1万4000人とされています。このうち、民間人の犠牲者数も含まれている可能性があり、また、両軍合わせて約1万4000人が命を落としたと推定されています」

「数合わなくないですか?」
「えぇ。なので優秀な人間は、敵でも農民でも関係なかったのではないでしょうか?」

「もちろん皆が皆、新政府に従事したわけではありません。例えば

小川興郷は、幕末の彰義隊の生き残りで、上野戦争後に赦免され、明治政府から官職への誘いがありましたが、それを断り、生涯を墓守として余生を送ったそうです。
新撰組2番隊隊長だった永倉新八は1882年 明治15年から4年間、樺戸集治監 今の刑務所で剣術師範を務め、看守に剣術を指導した後、東京牛込にて剣術道場を開いています。1899年 明治32年、妻と子供が小樽市内で薬局を開いていたため、再度小樽へ。東北帝国大学農科大学 現在の北海道大学で剣道部を指導していたそうです。
そんな永倉新八は77歳で亡くなったそうです」

「永倉新八!北海道!」
「永倉新八の墓は、おもに2つの場所に分かれています。永倉新八自身が小樽で死去した際に、北海道小樽市の中央墓地に埋葬されいていますが遺骨の大部分は、自身の遺言に従い、近藤勇の隣に埋葬してほしいと願いました。そのため、永倉新八が中心となって建立した東京の寿徳寺にある供養塔に近藤勇ら新選組隊士とともに埋葬されています」

「東京なら、すぐに行けますね。それよりも小樽に惹かれます。ついでに五稜郭にも行きたいなぁ」
「五稜郭、いいですねぇ。でも、小樽から五稜郭のある函館は車で4時間ほどかかりますので、ついでに行くには距離があるかと」

「4時間!てっきり1時間ぐらいで行けるものだと」
「まさに北海道はでっかいどうですね」

「冗談。言うんですね」
「北海道の雄大さを表現した有名なキャッチコピーです」


こうして、念願の滋賀に旅は終わった。
記憶に残るのは、幕末の話がすごかった事だけ。
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