凍った花がとけるとき
プロローグ
それは、結婚式を三ヶ月後に控えた、ある日のことだった。
両家の顔合わせに加えて、「今時やらないカップルも多いと聞くけれど、慣習はきちんと行おう。僕はそういうところも含めて、紗央里や紗央里のご家族との関係を大事にしたいから」という、彼の熱心な言葉で結納も済ませ、結婚式の招待状を投函した直後のことだった。
彼ーー浜田誠治の家から歩いて五分ほどの場所にあって足繁く通ったカフェは、どの席に座っても日当たりが良く、開放感のある店内のつくりが特徴的だった。わたしたち二人にとって、お気に入りの店だ。
とはいえ「家ではなく、直接店に来て欲しい」と誠治から言われたときに、少し引っかかったけれど。だってそのカフェは、駅から歩くと誠治の家を通り過ぎた先に位置しているから。
ただ、たまには外での待ち合わせもいいか。最近、お互いの家に直接行くことが多かったし――と、先に店に着いたわたしは、そう考えながら、大きな窓に面した席に座っていた。
天気の良い日だった。土曜日の昼下がり。週末はまだあと一日半以上残っている。そのせいか、通りを行く人たちは、みなどこか楽しそうに見えた。腕を絡めて歩くセンスの良い服装に身を包んだ男女。指先を軽く繋いだ、初々しい若いカップル。もちろん恋人たちだけじゃない。親子連れも、笑いながら通りすぎるグループも。みんなどこか浮かれていて、跳ねるように歩いている。
そんな道ゆく人を微笑みながら眺めていると、見慣れた人影が慌てて店に飛び込んできた。
時計を見て、約束の時間を少し過ぎていることに気づく。
まめな誠治は、無断で待ち合わせに遅れることはなかったから、わずかな違和感を覚えた。
でもその些細な違和感が、決定的になったのは、誠治が目の前の席に座った瞬間だった。
誠治の顔は固く――、表情を失っているように見えた。
いつも頼むエスプレッソを注文する前に、「ごめん」と彼は勢いよく頭を下げた。
声の大きさに驚いて、わたしは少しだけ肩を震わせてしまう。
たかが遅刻で、こんなに深刻に謝られても困る。
大丈夫だから、と言おうとして、上手く言葉を紡げなかった。
嫌な予感が確実にわたしを襲っていて、指先が、まるで血液を送る機能を剥奪されたかのように、冷たくなっていくのを感じた。
なにが、と聞く前に、誠治はいった。
「どうしても好きなひとを諦められない。だから婚約を破棄してほしい」
両家の顔合わせに加えて、「今時やらないカップルも多いと聞くけれど、慣習はきちんと行おう。僕はそういうところも含めて、紗央里や紗央里のご家族との関係を大事にしたいから」という、彼の熱心な言葉で結納も済ませ、結婚式の招待状を投函した直後のことだった。
彼ーー浜田誠治の家から歩いて五分ほどの場所にあって足繁く通ったカフェは、どの席に座っても日当たりが良く、開放感のある店内のつくりが特徴的だった。わたしたち二人にとって、お気に入りの店だ。
とはいえ「家ではなく、直接店に来て欲しい」と誠治から言われたときに、少し引っかかったけれど。だってそのカフェは、駅から歩くと誠治の家を通り過ぎた先に位置しているから。
ただ、たまには外での待ち合わせもいいか。最近、お互いの家に直接行くことが多かったし――と、先に店に着いたわたしは、そう考えながら、大きな窓に面した席に座っていた。
天気の良い日だった。土曜日の昼下がり。週末はまだあと一日半以上残っている。そのせいか、通りを行く人たちは、みなどこか楽しそうに見えた。腕を絡めて歩くセンスの良い服装に身を包んだ男女。指先を軽く繋いだ、初々しい若いカップル。もちろん恋人たちだけじゃない。親子連れも、笑いながら通りすぎるグループも。みんなどこか浮かれていて、跳ねるように歩いている。
そんな道ゆく人を微笑みながら眺めていると、見慣れた人影が慌てて店に飛び込んできた。
時計を見て、約束の時間を少し過ぎていることに気づく。
まめな誠治は、無断で待ち合わせに遅れることはなかったから、わずかな違和感を覚えた。
でもその些細な違和感が、決定的になったのは、誠治が目の前の席に座った瞬間だった。
誠治の顔は固く――、表情を失っているように見えた。
いつも頼むエスプレッソを注文する前に、「ごめん」と彼は勢いよく頭を下げた。
声の大きさに驚いて、わたしは少しだけ肩を震わせてしまう。
たかが遅刻で、こんなに深刻に謝られても困る。
大丈夫だから、と言おうとして、上手く言葉を紡げなかった。
嫌な予感が確実にわたしを襲っていて、指先が、まるで血液を送る機能を剥奪されたかのように、冷たくなっていくのを感じた。
なにが、と聞く前に、誠治はいった。
「どうしても好きなひとを諦められない。だから婚約を破棄してほしい」
< 1 / 62 >