ハッピーエンド・オーバー
物音が遠くで聞こえた気がした。
嗅いだことのある香りに触れた気がした。
私を撫でるその手の温もりも、知っている気がした。
あまやかなバニラムスクの香り、真新しいブランケットの柔らかさ、なめらかで固い革張りのマットレス……?いや、違う。これはマットレスじゃない。
うっすらとまぶたを持ち上げた。開けた視界、その先に私を見下ろす男がいた。
「オハヨ」
あきくんだ。
「……おはよ……」
「はる、朝食はパンでいい」
「うん。ふあ……二日ぶりによく寝た……」
上体を起こし、うんと伸びをした。広々としたリビングは、あきくんが新居用に購入したというお部屋、らしい。
「昨日、家に着くなり泥のように寝たからシャワー浴びたら?」
あきくんに促され、徐々に昨夜の足取りが思い出された。
焼肉店を出るとその足で婚姻届を提出に行った。時間外窓口が併設されている役所をあきくんはもちろんリサーチ済みだった。
「おめでとうございます」受け取った守衛さんの祝福に「ありがとうございます」と、お礼を告げるあきくんは淡々としていた。
守衛さんの善意で、あきくんと二人、婚姻届を持つ写真を撮ってもらった。奥さん、顔が固いよ。と指摘された。ああそうか、私は『枢木 羊』になったんだ、と、俯瞰的に捉えた。奥さん、笑って。とあきくんは含んだ笑みを向けるので、足を踏んづけてやった。痛がるあきくんをみて笑えば、仲がいいですね、と守衛さんに褒められた。
あの守衛さんは、果たして私たちをごく普通のカップルだと思ってくれただろうか。