拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~ 【改稿版】
渾身の一作と卒業の時
「――園長先生、実はわたし、もうだいぶ前から〝あしながおじさん〟の正体に気づいてたんです。でも、ずっと気づかないフリを続けてるんです」
「……ああ、そういえば手紙にもそう書いてあったわね。あなたの身近にいる人だって」
「はい。もしかしたら違ってるかもしれませんけど……、その人って辺唐院純也さん……ですよね? わたしの親友の叔父さまなんです。そして、わたしと彼は一昨年の夏からお付き合いしてます」
愛美が思いきって打ち明けると、聡美園長は驚いたように大きく目を見開く。そして大きく頷いた。
「…………ええ、間違いないわ。辺唐院さんはあんなにお若いのに、もう何年もこの施設に多額の援助をして下さってるの。そして三年前、中学卒業後の進路に悩んでいたあなたに手を差し伸べて下さったのよ。女の子が苦手だったはずなのに、『この子だけは放っておけない。この子の文才をこのまま埋もれさせるのは惜しい』って」
純也さんはもしかしたら、その頃から愛美の文才に惚れ込んでいたんだろうか。自分が援助することで、作家としてデビューできるように。
「そうでしたよね。そういえば、彼も言ってました。『最近はどんな本を読んでも楽しいと感じられないんだ』って。だからわたし、彼と約束したんです。『わたしが絶対、純也さんが面白いって思えるような小説を書く』って。……その時はまだ、彼が〝あしながおじさん〟だなんて気づいてなかったんですけど」
「そう……。じゃあ、今回書こうとしてる小説は彼のためでもあるわけね? でも、まさかお付き合いまでしてるなんてビックリしたわ。辺唐院さん、ここへ毎月いらっしゃってるのに、私にはそんな話、一度もして下さらないんだもの」
「それは、後ろめたい気持ちがあるからじゃないですか? 後見人の立場とか、年齢差とか色々気にして」
年の差については純也さん自身もいつか言っていたことだけれど、後見人の立場を気にしているというのはあくまでも愛美の考えだ。愛美がそう思っていなくても、愛美が有名作家になった時に周囲からいわゆる〝パトロン〟のように見られることを気にしているんだろう。
「恋愛は個人の自由なんだから、話を聞いたところで私は何も言わないのにねぇ。――それはともかく、愛美ちゃん。本当のことを知っているのに、気づかないフリをしているのはどうしてなの?」
「彼から打ち明けてくれるのを待ってるからです。きっと、彼もわたしを欺いてることに苦しんでるはずだから。で、打ち明けてくれた時に、『実はわたし、ずっと前から知ってたよ』って彼に言うつもりなんです」
愛美の答えを聞いた園長は、困ったような笑みを浮かべた。
「……実はね、愛美ちゃん。辺唐院さんも今月の第一水曜日にここへいらした時、私におっしゃってたのよ。『どうやら彼女は、僕の正体に気づいているみたいです』って。あなたは頭のいい子だから、いずれはこうなると思ってらっしゃったみたいで。もしかしたら、あなたに本当のことを打ち明けるタイミングを計りかねている感じだったわ」
「そう……なんですか? だとしたら、彼はいつごろわたしに打ち明けてくれるつもりなんだろう……?」
彼がタイミングを計っていることは間違いないだろうけれど。打ち明けると愛美と気まずくなるのを恐れて、なかなか打ち明けられないというのもあるのかもしれない。
「――とにかく、今日から二週間はあなたも実家に帰ってきたつもりで、ここでお過ごしなさい。ちゃんと取材には応じてあげるから。あとは子供たちの相手をしてくれたり、事務作業を手伝ってくれると助かるけれど。それはあくまであなたの意思に任せるわね」
「はい」
「あなたはまた六号室で寝泊まりしてもらおうかしらね。みんな、愛美お姉ちゃんと一緒に寝るのを楽しみにしてるから」
「分かりました。六号室かぁ……、懐かしいなぁ」
愛美はここを巣立っていくまでずっと、六号室で五人の幼い弟妹たちと過ごしていたのだ。あれから三年近く経って、あの子たちも大きくなったことだろう。幼稚園の年長組だった子も、小学三年生になっているはずだ。
「あ、あとね、涼介君も今、施設に帰ってきてるのよ。引き取られた先のご両親が、夏休みと冬休みにはここに帰ってきてもいいっておっしゃったらしくて」
「えっ、リョウちゃんも? 嬉しいな」
「ええ。今夜はクリスマス会をやるから、愛美ちゃんも参加してね。涼介君も参加したいって言ってたから。お正月にはみんなでまた近くの神社へ初詣に行きましょうね」
「はい!」
まるで自分の祖母のような園長とのやり取りで、愛美はあっという間に三年前に引き戻されたような懐かしい気持ちになった。このアットホームな雰囲気が、この園での生活が楽しいと感じたいちばんの理由だった。
「――そういえば、その服の感じも懐かしいわね。愛美ちゃん、ここにいた頃もよくブルーのギンガムチェックの服を着てた憶えがあるわ」
園長はふと、愛美が着ているブルーのギンガムチェックのシャツを眺めて目を細める。ボトムスは赤茶色のコーデュロイのロングスカートで、シャツの上には白いニットを着込んでいる。足元は黒の編み上げブーツだ。
「はい、今でもお気に入りの模様なんです。だから、新しい服を買う時にも自然とブルーのギンガムチェックを選んじゃって」
純也さんに招かれて、親友二人と原宿へ行った時にも、愛美はブルーのギンガムチェックのワンピースを買っていた。彼に告白した夜に着ていたものだ。
(そういえば、『あしながおじさん』のジュディはブルーのギンガムチェックが大嫌いだったっけ。なんか面白いな)
こういうところも、ジュディと自分はまったく違う人間なんだなと感じる愛美だった。
「……ああ、そういえば手紙にもそう書いてあったわね。あなたの身近にいる人だって」
「はい。もしかしたら違ってるかもしれませんけど……、その人って辺唐院純也さん……ですよね? わたしの親友の叔父さまなんです。そして、わたしと彼は一昨年の夏からお付き合いしてます」
愛美が思いきって打ち明けると、聡美園長は驚いたように大きく目を見開く。そして大きく頷いた。
「…………ええ、間違いないわ。辺唐院さんはあんなにお若いのに、もう何年もこの施設に多額の援助をして下さってるの。そして三年前、中学卒業後の進路に悩んでいたあなたに手を差し伸べて下さったのよ。女の子が苦手だったはずなのに、『この子だけは放っておけない。この子の文才をこのまま埋もれさせるのは惜しい』って」
純也さんはもしかしたら、その頃から愛美の文才に惚れ込んでいたんだろうか。自分が援助することで、作家としてデビューできるように。
「そうでしたよね。そういえば、彼も言ってました。『最近はどんな本を読んでも楽しいと感じられないんだ』って。だからわたし、彼と約束したんです。『わたしが絶対、純也さんが面白いって思えるような小説を書く』って。……その時はまだ、彼が〝あしながおじさん〟だなんて気づいてなかったんですけど」
「そう……。じゃあ、今回書こうとしてる小説は彼のためでもあるわけね? でも、まさかお付き合いまでしてるなんてビックリしたわ。辺唐院さん、ここへ毎月いらっしゃってるのに、私にはそんな話、一度もして下さらないんだもの」
「それは、後ろめたい気持ちがあるからじゃないですか? 後見人の立場とか、年齢差とか色々気にして」
年の差については純也さん自身もいつか言っていたことだけれど、後見人の立場を気にしているというのはあくまでも愛美の考えだ。愛美がそう思っていなくても、愛美が有名作家になった時に周囲からいわゆる〝パトロン〟のように見られることを気にしているんだろう。
「恋愛は個人の自由なんだから、話を聞いたところで私は何も言わないのにねぇ。――それはともかく、愛美ちゃん。本当のことを知っているのに、気づかないフリをしているのはどうしてなの?」
「彼から打ち明けてくれるのを待ってるからです。きっと、彼もわたしを欺いてることに苦しんでるはずだから。で、打ち明けてくれた時に、『実はわたし、ずっと前から知ってたよ』って彼に言うつもりなんです」
愛美の答えを聞いた園長は、困ったような笑みを浮かべた。
「……実はね、愛美ちゃん。辺唐院さんも今月の第一水曜日にここへいらした時、私におっしゃってたのよ。『どうやら彼女は、僕の正体に気づいているみたいです』って。あなたは頭のいい子だから、いずれはこうなると思ってらっしゃったみたいで。もしかしたら、あなたに本当のことを打ち明けるタイミングを計りかねている感じだったわ」
「そう……なんですか? だとしたら、彼はいつごろわたしに打ち明けてくれるつもりなんだろう……?」
彼がタイミングを計っていることは間違いないだろうけれど。打ち明けると愛美と気まずくなるのを恐れて、なかなか打ち明けられないというのもあるのかもしれない。
「――とにかく、今日から二週間はあなたも実家に帰ってきたつもりで、ここでお過ごしなさい。ちゃんと取材には応じてあげるから。あとは子供たちの相手をしてくれたり、事務作業を手伝ってくれると助かるけれど。それはあくまであなたの意思に任せるわね」
「はい」
「あなたはまた六号室で寝泊まりしてもらおうかしらね。みんな、愛美お姉ちゃんと一緒に寝るのを楽しみにしてるから」
「分かりました。六号室かぁ……、懐かしいなぁ」
愛美はここを巣立っていくまでずっと、六号室で五人の幼い弟妹たちと過ごしていたのだ。あれから三年近く経って、あの子たちも大きくなったことだろう。幼稚園の年長組だった子も、小学三年生になっているはずだ。
「あ、あとね、涼介君も今、施設に帰ってきてるのよ。引き取られた先のご両親が、夏休みと冬休みにはここに帰ってきてもいいっておっしゃったらしくて」
「えっ、リョウちゃんも? 嬉しいな」
「ええ。今夜はクリスマス会をやるから、愛美ちゃんも参加してね。涼介君も参加したいって言ってたから。お正月にはみんなでまた近くの神社へ初詣に行きましょうね」
「はい!」
まるで自分の祖母のような園長とのやり取りで、愛美はあっという間に三年前に引き戻されたような懐かしい気持ちになった。このアットホームな雰囲気が、この園での生活が楽しいと感じたいちばんの理由だった。
「――そういえば、その服の感じも懐かしいわね。愛美ちゃん、ここにいた頃もよくブルーのギンガムチェックの服を着てた憶えがあるわ」
園長はふと、愛美が着ているブルーのギンガムチェックのシャツを眺めて目を細める。ボトムスは赤茶色のコーデュロイのロングスカートで、シャツの上には白いニットを着込んでいる。足元は黒の編み上げブーツだ。
「はい、今でもお気に入りの模様なんです。だから、新しい服を買う時にも自然とブルーのギンガムチェックを選んじゃって」
純也さんに招かれて、親友二人と原宿へ行った時にも、愛美はブルーのギンガムチェックのワンピースを買っていた。彼に告白した夜に着ていたものだ。
(そういえば、『あしながおじさん』のジュディはブルーのギンガムチェックが大嫌いだったっけ。なんか面白いな)
こういうところも、ジュディと自分はまったく違う人間なんだなと感じる愛美だった。