婚約者に悪役令嬢になってほしいと言われたので
貴族平民に関わらず、女の子として生まれたのならば一度は夢に見るであろう甘酸っぱい初めての口づけがまさかこんな混乱の最中、しかもたくさんの学園生徒がいる中でされるとは誰が想像していたというのか。
しかも、あの、可愛らしいやつじゃなくて、その、えーっと…つまりはがっつりと舌を使うやつ………本の中でしか見なかった夜の営みを思い起こされるやつですよ。
もう嬉しいとか恥ずかしいとか感情がぐちゃぐちゃで自分が今どういう状態だとか周りからどう見られているかとかもどうでもよくて、というか認識できなくて、ただただ衝撃的だった。
どのぐらいされていたのかなんて全くわからなくて、気がついたら殿下の美しい鳶色の瞳の中に間の抜けた自分の姿が映っていた。濡れた唇が冷えて先程までの熱さが生々しく感じて再びじわじわと頬が熱くなる。
「…………………」
「…………………」
「……………トリシャ」
「……………は、ぃ」
「どことは言わぬが今すぐ連れ込まれたくなくば素直に帰ってくれ」
「………………はい」
頷く以外どうしろと。
今度こそ刺激しないように、まるで野生の獣を相手にするかのように慎重に殿下と自分との距離をあける。何がどう地雷を踏む行為になるのかわからなかったので極力目も合わせないようにする徹底ぶりである。
せめて離れるまではと脳内を空っぽにして何も考えないように流れるままに退室し、殿下の姿と気配が感じられなくなってから、あまりの情報の多さに直後ぶっ倒れたわたしは悪くないと思う。