秘密のカーテンコール〜人気舞台俳優の溺愛〜
2.聞いてない早替わり
私の職場は電機メーカーの宣伝部門だ。テレビやパソコンから冷蔵庫などの家電まで、いわゆる一通りの電機商品を取り扱っている。
まあまあ大手だけれど、私自身はアシスタントなので、ひたすらパソコンに向かって書類を作成していることが多い。
だけど、その日はランチを終えて戻ると、なんだかオフィス内がバタついていた。
「どうしたんですか?」
アシスタントチーフに声を掛けると、渡りに船とばかりに肩を掴まれた。
「東雲さん、ちょうど良かった! 応接室にフォロー行ってくれる? 平さんにお願いしてたんだけど、お子さんが熱出して早退しちゃったの」
部署内のアシスタントは私と平さん、それにもう一人二十代の女の子と、とりまとめるチーフの四人だ。一人減ると途端に慌ただしくなるのは頷ける。
いつも気の利く平さんにはみんなお世話になっているので、こういう時はお互い様だ。
「了解です。お茶は?」
「まだ何もしてない! 2名!」
「OKです!」
ばたばたと駆けていくチーフに返事をして、自らも給湯室に駆け込む。
って、どなたがいらっしゃるのか聞いてなかった。
とりあえず……緑茶でいいか。
長引くようなら途中で別のものをお出ししよう。
手早く準備を整えると、応接室の扉をノックする。返事を待って室内に入り、中にいた人物と目があった。
――え?
なんてことはない来客対応だと、たかを括っていたのに、思わず動きが止まった。
先方も大きな瞳を見開いている。
来客者は、柊木悠真だった。
「東雲?」
中にいた担当社員に声を掛けられて我に返った。
「……失礼します」
応接セットに向かい合って座る柊木さんは、カジュアルなジャケット姿。
その隣にいるのは恐らくマネージャーだろう。スーツを着た、柊木さんより少し歳上の、眼鏡を掛けた理知的な男性。
各々挨拶やら最近の仕事やらの話をしているなか、平静を装って二人にお茶を出して、部屋を辞そうとした、その時だった。
「あの、東雲さん」
それまで黙って話を聞くだけだった柊木さんに声を掛けられる。
思わずぴたりと足が止まった。
「よかったら同席してもらえませんか? 女性の意見も聞きたいですし」
ね? とその整った容姿で首を傾げられて、ノーといえる人物はいるのだろうか。
――いやいや、それ以前に、クライアントだし。
ノーなんて言えるわけがない。
ちらりと上司を見遣ると、一瞬驚いた表情はしたものの、むしろ早く座れという目線で示された。
「では、失礼します」
仕方なく、末席に腰掛けた。
やっぱり俳優。自分の魅力を熟知していると思う。
いちいち説明はしてもらえなかったけれど、どうやら新発売の電気ポットの宣伝に柊木さんをキャスティングしているらしく、イメージのすり合わせと顔合わせのために設けられた打ち合わせのようだった。
参考のためか、テーブルの上には今までの柊木さんの舞台写真が並べられていた。
さすがにミュージカル出演もしているだけあって、金髪ロングのウィッグをかぶった写真やら、真っ青の軍服やら、髪をびしりと固めた燕尾服姿やら、着流しの和装やら、いろいろな衣装やメイクの写真が並んでいた。
「さすが。なんでも似合いますねー」
思わず口をついてしまった。
「ありがとう」
私の素直すぎる感想に動じることもなく、柊木さんはにっこりと笑う。
「あくまで参考にお持ちしたものですから」
マネージャーさんは、話がひと段落したところで写真を片付け始める。
確かに、電気ポットを中世の王子様が紹介するわけがないから、あくまで紹介のために持っていらしたのだろう。
柊木さんがどんな衣装でも似合う、という証拠にはなったと思う。
「あ」
その手が、一枚の写真にかかったとき、思わず声を上げてしまった。
シンプルな、上下白い衣装に身を包んだ姿。
マネージャーさんが、気を利かせて、写真を手渡してくれた。
「……ハムレット」
「ご覧になりましたか?」
問い掛けられて、首を横に振る。
先日亡くなったばかりの演出家が好んで上演したシェイクスピア。その中でもシンプルな衣装と舞台美術で絶賛されたハムレットは、キャストを替えて何度も上演を繰り返している、らしい。
まわりの出演者が黒い衣装を身に纏うなか、主人公のハムレットだけが真っ白な衣装に包まれ躍動する姿は、子どもの頃のわたしにも大きなインパクトをもたらした。
恐らく私が観たのは、日本初演。当時のハムレット役はもちろん、柊木さんではないけれど、正直なところ衣装以外について、詳しくは覚えていない。
私にとって一番衝撃だったのは、悪女ともいえるガートルードを演じていた自分の母親だったから。
自分の夫を殺して、夫の弟と再婚しようとする女。
作り話だとわかっていても、当時小学生だった私には相当刺激的だった。
「僕が出てない時にご覧になったんですよね?」
「……え?」
柔らかな声音で、でもはっきりと断定されて、一瞬反応が遅れた。
「だって、お母さまが」
「違います!」
半ば叫ぶように遮ると、沈黙が落ちた。
咄嗟に声を荒げた私に、上司の顔が青ざめている。
「あ、すみません。どなたの時に拝見したか、記憶が……」
「そうですか? 多分初演だから……ハムレットは誰だったかな」
「あの、初演だったかどうかも全然」
「初演だと思いますよ。演出家が、ぜひ、と言ってキャスティングしたそうですから」
「そう、なんですか……?」
聞いたことのない話に、頭がくらくらとしてくる。
あの役をぜひ、と言われるなんて、どんな女だったのだろう。
「演出家がもともと大ファンだったらしくて。あ、東雲さんは舞台詳しいですよね?」
「いえ、そんなことは」
「でも、あれだけ関係者に囲まれていたら……」
「囲まれてませんから!!」
さらに大きな声を発してしまって、室内がしんとした空気に包まれる。
私は口を噤んで、唇を噛んだ。
怒り出す寸前の上司と、相変わらず無表情のマネージャーさんと、柔らかくでも何かを見透かしてきそうな柊木さんと。
三者三様の視線を向けられて、今すぐこの場を逃げ出したくなる。
「……そのお話は、今度」
やっとの思いで絞り出すと、柊木さんはにっこりと笑って頷く。
「ぜひ、そうしましょう」
おととい、私が帰ってから何を喋ったの、叔父さん。
まさか職場で、しかもこんな短期間のうちに再会するとは思わなかっただろうから、それは仕方ない。
仕方ないんだけれども、人の個人情報や家庭環境を安易に伝えないでほしい!!
これは今晩働く前に絶対に主張する!と決めて拳を握った。
予想通り、今日は軽い顔合わせがメインだったらしく、その後はあっさり解放された。
あれだけ場をかき回してしまったのに、柊木さんは最後に私をプロジェクトチームに加えてほしいと言った。
おかげで上司には怒られなかったものの、くどくど関係を聞かれるはめになった。
叔父が近しい業界で働いていて面識があるとだけ伝えたけれど、まあ嘘は言っていないはずだ。
その後も事務所を通じて、ぜひプロジェクトメンバーにという話があったそうだが、それは丁重にお断りした。
そもそも私には知識もないし、アシスタント業務の範囲から大きく逸脱している。
同じ部署内で頑張ってきた人たちにも申し訳ないし。
元から上司も私をメンバーに入れるつもりはなかったらしく、その点だけは空気が読めると褒められた。
今回は簡単な顔合わせだからたまたま社内で行われたのだろうけど、これからの衣装合わせや撮影はスタジオをブッキングすることになる。現場に出ない私は、もう本当に関わらないだろう。
と思っていたのだけれど、この件に関して事態は私の予想外に進んでいく。
まあまあ大手だけれど、私自身はアシスタントなので、ひたすらパソコンに向かって書類を作成していることが多い。
だけど、その日はランチを終えて戻ると、なんだかオフィス内がバタついていた。
「どうしたんですか?」
アシスタントチーフに声を掛けると、渡りに船とばかりに肩を掴まれた。
「東雲さん、ちょうど良かった! 応接室にフォロー行ってくれる? 平さんにお願いしてたんだけど、お子さんが熱出して早退しちゃったの」
部署内のアシスタントは私と平さん、それにもう一人二十代の女の子と、とりまとめるチーフの四人だ。一人減ると途端に慌ただしくなるのは頷ける。
いつも気の利く平さんにはみんなお世話になっているので、こういう時はお互い様だ。
「了解です。お茶は?」
「まだ何もしてない! 2名!」
「OKです!」
ばたばたと駆けていくチーフに返事をして、自らも給湯室に駆け込む。
って、どなたがいらっしゃるのか聞いてなかった。
とりあえず……緑茶でいいか。
長引くようなら途中で別のものをお出ししよう。
手早く準備を整えると、応接室の扉をノックする。返事を待って室内に入り、中にいた人物と目があった。
――え?
なんてことはない来客対応だと、たかを括っていたのに、思わず動きが止まった。
先方も大きな瞳を見開いている。
来客者は、柊木悠真だった。
「東雲?」
中にいた担当社員に声を掛けられて我に返った。
「……失礼します」
応接セットに向かい合って座る柊木さんは、カジュアルなジャケット姿。
その隣にいるのは恐らくマネージャーだろう。スーツを着た、柊木さんより少し歳上の、眼鏡を掛けた理知的な男性。
各々挨拶やら最近の仕事やらの話をしているなか、平静を装って二人にお茶を出して、部屋を辞そうとした、その時だった。
「あの、東雲さん」
それまで黙って話を聞くだけだった柊木さんに声を掛けられる。
思わずぴたりと足が止まった。
「よかったら同席してもらえませんか? 女性の意見も聞きたいですし」
ね? とその整った容姿で首を傾げられて、ノーといえる人物はいるのだろうか。
――いやいや、それ以前に、クライアントだし。
ノーなんて言えるわけがない。
ちらりと上司を見遣ると、一瞬驚いた表情はしたものの、むしろ早く座れという目線で示された。
「では、失礼します」
仕方なく、末席に腰掛けた。
やっぱり俳優。自分の魅力を熟知していると思う。
いちいち説明はしてもらえなかったけれど、どうやら新発売の電気ポットの宣伝に柊木さんをキャスティングしているらしく、イメージのすり合わせと顔合わせのために設けられた打ち合わせのようだった。
参考のためか、テーブルの上には今までの柊木さんの舞台写真が並べられていた。
さすがにミュージカル出演もしているだけあって、金髪ロングのウィッグをかぶった写真やら、真っ青の軍服やら、髪をびしりと固めた燕尾服姿やら、着流しの和装やら、いろいろな衣装やメイクの写真が並んでいた。
「さすが。なんでも似合いますねー」
思わず口をついてしまった。
「ありがとう」
私の素直すぎる感想に動じることもなく、柊木さんはにっこりと笑う。
「あくまで参考にお持ちしたものですから」
マネージャーさんは、話がひと段落したところで写真を片付け始める。
確かに、電気ポットを中世の王子様が紹介するわけがないから、あくまで紹介のために持っていらしたのだろう。
柊木さんがどんな衣装でも似合う、という証拠にはなったと思う。
「あ」
その手が、一枚の写真にかかったとき、思わず声を上げてしまった。
シンプルな、上下白い衣装に身を包んだ姿。
マネージャーさんが、気を利かせて、写真を手渡してくれた。
「……ハムレット」
「ご覧になりましたか?」
問い掛けられて、首を横に振る。
先日亡くなったばかりの演出家が好んで上演したシェイクスピア。その中でもシンプルな衣装と舞台美術で絶賛されたハムレットは、キャストを替えて何度も上演を繰り返している、らしい。
まわりの出演者が黒い衣装を身に纏うなか、主人公のハムレットだけが真っ白な衣装に包まれ躍動する姿は、子どもの頃のわたしにも大きなインパクトをもたらした。
恐らく私が観たのは、日本初演。当時のハムレット役はもちろん、柊木さんではないけれど、正直なところ衣装以外について、詳しくは覚えていない。
私にとって一番衝撃だったのは、悪女ともいえるガートルードを演じていた自分の母親だったから。
自分の夫を殺して、夫の弟と再婚しようとする女。
作り話だとわかっていても、当時小学生だった私には相当刺激的だった。
「僕が出てない時にご覧になったんですよね?」
「……え?」
柔らかな声音で、でもはっきりと断定されて、一瞬反応が遅れた。
「だって、お母さまが」
「違います!」
半ば叫ぶように遮ると、沈黙が落ちた。
咄嗟に声を荒げた私に、上司の顔が青ざめている。
「あ、すみません。どなたの時に拝見したか、記憶が……」
「そうですか? 多分初演だから……ハムレットは誰だったかな」
「あの、初演だったかどうかも全然」
「初演だと思いますよ。演出家が、ぜひ、と言ってキャスティングしたそうですから」
「そう、なんですか……?」
聞いたことのない話に、頭がくらくらとしてくる。
あの役をぜひ、と言われるなんて、どんな女だったのだろう。
「演出家がもともと大ファンだったらしくて。あ、東雲さんは舞台詳しいですよね?」
「いえ、そんなことは」
「でも、あれだけ関係者に囲まれていたら……」
「囲まれてませんから!!」
さらに大きな声を発してしまって、室内がしんとした空気に包まれる。
私は口を噤んで、唇を噛んだ。
怒り出す寸前の上司と、相変わらず無表情のマネージャーさんと、柔らかくでも何かを見透かしてきそうな柊木さんと。
三者三様の視線を向けられて、今すぐこの場を逃げ出したくなる。
「……そのお話は、今度」
やっとの思いで絞り出すと、柊木さんはにっこりと笑って頷く。
「ぜひ、そうしましょう」
おととい、私が帰ってから何を喋ったの、叔父さん。
まさか職場で、しかもこんな短期間のうちに再会するとは思わなかっただろうから、それは仕方ない。
仕方ないんだけれども、人の個人情報や家庭環境を安易に伝えないでほしい!!
これは今晩働く前に絶対に主張する!と決めて拳を握った。
予想通り、今日は軽い顔合わせがメインだったらしく、その後はあっさり解放された。
あれだけ場をかき回してしまったのに、柊木さんは最後に私をプロジェクトチームに加えてほしいと言った。
おかげで上司には怒られなかったものの、くどくど関係を聞かれるはめになった。
叔父が近しい業界で働いていて面識があるとだけ伝えたけれど、まあ嘘は言っていないはずだ。
その後も事務所を通じて、ぜひプロジェクトメンバーにという話があったそうだが、それは丁重にお断りした。
そもそも私には知識もないし、アシスタント業務の範囲から大きく逸脱している。
同じ部署内で頑張ってきた人たちにも申し訳ないし。
元から上司も私をメンバーに入れるつもりはなかったらしく、その点だけは空気が読めると褒められた。
今回は簡単な顔合わせだからたまたま社内で行われたのだろうけど、これからの衣装合わせや撮影はスタジオをブッキングすることになる。現場に出ない私は、もう本当に関わらないだろう。
と思っていたのだけれど、この件に関して事態は私の予想外に進んでいく。