秘密のカーテンコール〜人気舞台俳優の溺愛〜
来客を知らせるベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
ご案内のため作業を止めようとし――
思わず手を滑らせた。
取り落とす寸前で、グラスを掴む。
なんとか惨事を免れてほっと息を吐いていると、やってきた彼――柊木悠真はカウンターの目の前まで躊躇わずに進んでくると、にっこりと微笑んだ。
「ここ、いいですか?」
「……どうぞ」
カウンターの目の前、つまり私の定位置の真ん前に陣取って頬杖をつく姿は、悔しいけれどとても美しい。
真っ直ぐに見つめてくる視線に耐えきれず、咳払いをして誤魔化した。
「ご注文はお決まりですか?」
「はい、オムライスで」
「……は?」
「あとアイスティー」
「はい……」
まさか本当にご飯を食べに来たの?
そう思って見つめると、目の前の柊木さんは何か問題でも? と言いたそうに涼しげな顔で座っている。
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
まあ叔父だって、食事だけでも良い誘っていたんだから構わないはずだ。
それでもどこか憮然とした表情を浮かべてしまっていたのだろう。キッチンに注文を通しにいくと、それだけで事の次第を察知したらしい叔父に笑われた。
結局、柊木さんはアイスティーを一気に半分くらい飲むと、素早く提供されたオムライス(大盛り)を平らげ、今度はホットティーを頼んだ。
これだけ食べてこの体型を維持できるなんて羨ましい。
「歌うとカロリーを消費するんですよ」
「はい?」
「いえ、今すごい目で見られていたので」
「そんなつもりは」
「冗談です。でもよく羨ましいって言われるので」
「でもトレーニングもしてらっしゃいますよね?」
そう尋ねると、柊木さんは穏やかな――でも結構胡散臭い――微笑みを引っ込めた。
「まあ、ね。それも仕事ですから。さすがに詳しいですね」
「想像です。努力しないとその地位まで登り詰められないだろうなって」
「それはお母様を見ていて?」
必死に被っていた自分の仮面に、ぴしりとひびが入った気がした。
「母はあまり関係ありません。正直、よく覚えてないですし」
「僕、一度共演させてもらいましたけど、すごくストイックでしたよ。驚きましたもん、小劇場から叩き上げの人はこんなにするんだって」
「へえ……」
柊木さんの受けた印象が、果たして小劇場出身ということに関係あるのかどうか、私にはわからなかった。
ただ確かに、母はストイックだったように思う。
だから父と相性が良かったのだろうし、家庭に、子どもに100%の力を注ぐことが出来ないことが苦痛で、離婚したのだろう。
それでも遠慮ない問いかけに、顔が引き攣るのを自覚した。
答える義理はない、と思いつつも、真っ直ぐに見つめられると、何か返さないといけない気がしてくる。
「母のことは……正直話したくないです。父がどう思ってるのか、よく知りませんけど」
「征さんは凄いですよね。多分、今日本で一番忙しい舞台監督なんじゃないかな」
「そうなんですか……」
「僕、デビュー作からお世話になってて。もう二十年くらい前なんですけど。そこからキツイなって舞台のときは、何故か大体征さんなんです」
だから情けないところもいっぱい見られている、と柊木さんは笑った。
父は決して饒舌な方ではない。けれど柊木さん曰く、そこが逆に出演者やまわりのスタッフから信頼されているのだという。
何を相談しても、吹聴しないと思われているのかもしれない。
確かに、父は家でも仕事の愚痴をこぼすことがない。
「次も一緒なんですけど、多分キツイかな。出ずっぱりの役だから」
「父は……」
「はい?」
「あ、いえ」
――父は、母と離婚した後付き合っていた人はいたのだろうか。
思わず口から零れそうになった疑問を慌てて飲み込む。
こんなの、柊木さんに聞くことじゃない。
でも私が極端に女優アレルギーになってしまったので、その後誰かと付き合っても、私には紹介していないのかもしれない。
それでいてこんな歳まで実家にいるのだから、父の自由を奪っているのではないかと思うと、途端に申し訳なくなった。
「実は征さんから、柚さんの話を聞いたことがあります。しょっちゅう旅公演で留守にするのに文句も言わない優しいお嬢さんだって」
「そう、ですか」
「帰ってきて手料理を食べるときが、何よりの幸せだそうですよ」
「何それ。プレッシャーじゃないですか」
照れくささを隠して言えば、柊木さんは楽しそうに笑った。
「なんだ、仲良く話してるじゃないか」
奥から出てきた叔父が、穏やかに話している私たちを見て笑った。
「別に、普通でしょ。お客様なんだから」
「はいはい。柚、そろそろ上がるか?まだ話してたいなら良いけど……」
時刻は二十二時半をまわったところ。
疲れも溜まってきているし、この時間に上がれるのは有り難い。
金曜の夜だけど、業界人に曜日は関係ないのか、混雑具合にあまり影響がないのが助かる。
「ううん、じゃあ上がります」
「まかないは?」
「今日はいいや。二時間くらいしか働いてないしね」
首を横に振ると、ふと柊木さんと目があった。
なぜか、少し眉を潜めていて、あれ? と思う。
さっきまでわりとにこやかに話していたと思ったけれど、気に触ることを言っただろうか。
「いらっしゃいませ」
ご案内のため作業を止めようとし――
思わず手を滑らせた。
取り落とす寸前で、グラスを掴む。
なんとか惨事を免れてほっと息を吐いていると、やってきた彼――柊木悠真はカウンターの目の前まで躊躇わずに進んでくると、にっこりと微笑んだ。
「ここ、いいですか?」
「……どうぞ」
カウンターの目の前、つまり私の定位置の真ん前に陣取って頬杖をつく姿は、悔しいけれどとても美しい。
真っ直ぐに見つめてくる視線に耐えきれず、咳払いをして誤魔化した。
「ご注文はお決まりですか?」
「はい、オムライスで」
「……は?」
「あとアイスティー」
「はい……」
まさか本当にご飯を食べに来たの?
そう思って見つめると、目の前の柊木さんは何か問題でも? と言いたそうに涼しげな顔で座っている。
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
まあ叔父だって、食事だけでも良い誘っていたんだから構わないはずだ。
それでもどこか憮然とした表情を浮かべてしまっていたのだろう。キッチンに注文を通しにいくと、それだけで事の次第を察知したらしい叔父に笑われた。
結局、柊木さんはアイスティーを一気に半分くらい飲むと、素早く提供されたオムライス(大盛り)を平らげ、今度はホットティーを頼んだ。
これだけ食べてこの体型を維持できるなんて羨ましい。
「歌うとカロリーを消費するんですよ」
「はい?」
「いえ、今すごい目で見られていたので」
「そんなつもりは」
「冗談です。でもよく羨ましいって言われるので」
「でもトレーニングもしてらっしゃいますよね?」
そう尋ねると、柊木さんは穏やかな――でも結構胡散臭い――微笑みを引っ込めた。
「まあ、ね。それも仕事ですから。さすがに詳しいですね」
「想像です。努力しないとその地位まで登り詰められないだろうなって」
「それはお母様を見ていて?」
必死に被っていた自分の仮面に、ぴしりとひびが入った気がした。
「母はあまり関係ありません。正直、よく覚えてないですし」
「僕、一度共演させてもらいましたけど、すごくストイックでしたよ。驚きましたもん、小劇場から叩き上げの人はこんなにするんだって」
「へえ……」
柊木さんの受けた印象が、果たして小劇場出身ということに関係あるのかどうか、私にはわからなかった。
ただ確かに、母はストイックだったように思う。
だから父と相性が良かったのだろうし、家庭に、子どもに100%の力を注ぐことが出来ないことが苦痛で、離婚したのだろう。
それでも遠慮ない問いかけに、顔が引き攣るのを自覚した。
答える義理はない、と思いつつも、真っ直ぐに見つめられると、何か返さないといけない気がしてくる。
「母のことは……正直話したくないです。父がどう思ってるのか、よく知りませんけど」
「征さんは凄いですよね。多分、今日本で一番忙しい舞台監督なんじゃないかな」
「そうなんですか……」
「僕、デビュー作からお世話になってて。もう二十年くらい前なんですけど。そこからキツイなって舞台のときは、何故か大体征さんなんです」
だから情けないところもいっぱい見られている、と柊木さんは笑った。
父は決して饒舌な方ではない。けれど柊木さん曰く、そこが逆に出演者やまわりのスタッフから信頼されているのだという。
何を相談しても、吹聴しないと思われているのかもしれない。
確かに、父は家でも仕事の愚痴をこぼすことがない。
「次も一緒なんですけど、多分キツイかな。出ずっぱりの役だから」
「父は……」
「はい?」
「あ、いえ」
――父は、母と離婚した後付き合っていた人はいたのだろうか。
思わず口から零れそうになった疑問を慌てて飲み込む。
こんなの、柊木さんに聞くことじゃない。
でも私が極端に女優アレルギーになってしまったので、その後誰かと付き合っても、私には紹介していないのかもしれない。
それでいてこんな歳まで実家にいるのだから、父の自由を奪っているのではないかと思うと、途端に申し訳なくなった。
「実は征さんから、柚さんの話を聞いたことがあります。しょっちゅう旅公演で留守にするのに文句も言わない優しいお嬢さんだって」
「そう、ですか」
「帰ってきて手料理を食べるときが、何よりの幸せだそうですよ」
「何それ。プレッシャーじゃないですか」
照れくささを隠して言えば、柊木さんは楽しそうに笑った。
「なんだ、仲良く話してるじゃないか」
奥から出てきた叔父が、穏やかに話している私たちを見て笑った。
「別に、普通でしょ。お客様なんだから」
「はいはい。柚、そろそろ上がるか?まだ話してたいなら良いけど……」
時刻は二十二時半をまわったところ。
疲れも溜まってきているし、この時間に上がれるのは有り難い。
金曜の夜だけど、業界人に曜日は関係ないのか、混雑具合にあまり影響がないのが助かる。
「ううん、じゃあ上がります」
「まかないは?」
「今日はいいや。二時間くらいしか働いてないしね」
首を横に振ると、ふと柊木さんと目があった。
なぜか、少し眉を潜めていて、あれ? と思う。
さっきまでわりとにこやかに話していたと思ったけれど、気に触ることを言っただろうか。