秘密のカーテンコール〜人気舞台俳優の溺愛〜

3.彼の本息

 土曜日。
 ウェルメイドに出勤する予定ではあるものの、仕事は休みなのでアラームは切ってあった。
 日頃の疲れを癒すため十時頃起き出すと、父はもう出掛けていた。
 叔父と柊木さんと一緒だというミュージカルの稽古の初日だと言っていたから、朝から稽古場を仕込んでいるのだろう。

 洗濯機をまわしながら遅い朝食を食べ、なんとなく柊木悠真についてスマホで検索してみる。
 SNSの類はやっていないらしく見当たらなかったが、事務所のホームページはすぐに出てきた。
 直近の作品だけみても、年に四、五本のペースで舞台に立っている。
 並んだタイトルは、確かに父が持ち帰った台本や資料で見かけたものが多いような気がした。
 仕事で一緒になる機会が多いのは、本当のようだ。

 手早く朝食を済ませると、掃除機を掛けて洗濯物を干す。
 父と二人、家事は手の空いている方がやるスタイルだ。
 もっとも父は相当忙しく、地方公演で月の半分ほどいないこともしょっちゅうなので、大体私がやっているんだけれど。

 とりあえず午前中で片がついたことにほっとし、お茶でも飲もうかとした途端、携帯電話が鳴った。
 誰もいないリビングで、はいはーいなんて間抜けな返事をしつつ携帯を手に取ると、叔父からだった。

「もしもし?」
「ああ、柚。今、家か?」
「そうだけど」
「悪い! ちょっと店に行って欲しい」

 叔父からの頼みはつまり、今日必要なものをウェルメイドに忘れてしまったからピックアップして稽古場まで届けて欲しい、ということだった。
 顔合わせは午後からだが、これから舞台美術の打ち合わせがあって抜けられないらしい。

「もう、休みじゃなかったらどうしたのよ」
「すまん! 稽古場は……」

 稽古場の名前と最寄り駅をメモする。駅からの詳細な道順も説明してくれようとしたけれど、調べるから良いと断ってさっさと電話を切った。
 素早く身支度を整え、預かっているウェルメイドの鍵を掴んで家を飛び出した。

 店に着き、手探りで電気をつけるとカウンターの上にそれらしき紙袋が置いてあった。
 中には台本のような冊子とクリアファイルが入っている。間違い無いと判断して引っ掴むと、今度は駅へと足を向けた。

 乗り換えなしで電車に揺られ、教えられた駅で降り、歩いて十分程。
 両親の仕事をみるため劇場にいったことはあっても、稽古場にいった記憶はない。もしかしたら物心つく前に連れて行かれた可能性はあるけれど。

 地図を見ながら歩いていくと、大きな、けれどビルでもなく、なんだか体育館がいくつも連なったような建物のかたまりを見つけた。
 門扉をくぐって入り口で守衛さんに挨拶し、聞いていた演目名の書かれたスタジオに向かう。大から小までいくつもスタジオがあるらしく、今回の目的は第三スタジオだ。

 と言ってもどうやって行けばいいのか、まったくわからないので、用紙に記名したあとに行き方を尋ねれば、守衛さんは懇切丁寧に教えてくれた。
 どうやら場所を聞いてくるような人間はほとんどいないため、たまの機会ということで張り切ってくれたらしい。

 言われた通りの道順を進むと、遠目にも第三スタジオと書かれている場所に辿り着いた。緊張しながら『3』と書かれた分厚い扉を開けると、なかは玄関だった。どうやら室内は土足厳禁らしく、靴やらスリッパやら上履きやらが所狭しと下駄箱に並んでいる。そっと靴を脱いで、スリッパに履き替えてみる。

 そこには、ガラス張りのこれまた分厚い扉があり、中の音は漏れてこない。

 それでも、ガラスなので室内の様子は見ることができた。
 机や椅子がびっしり並んでいる。あちこちに人がやたら密集していて、椅子に座っている人もいれば立ち話をしている人もいる。
 つまりは休憩時間のようだ。

「すみません」

 扉を開けて、目の前の小さなテーブルで何やら作業をしている小柄な女性に声を掛けた。
 遠慮がちに話しかけたつもりだけど、強い目線で見返されて、思わず震えた。

「私、藤間恒の身内の者なのですが…」
「……ああ、柚さん!」

 名乗ろうとすると先程の警戒心はどこへやら、一気に相好を崩され、さらに戸惑ってしまった。

「ごめんなさい、さっき追っかけらしき女の子が入ってきちゃったから、ちょっとぴりぴりしてて」
「追っかけ?」
「そう、主役さまの。最近すごいのよ」

 女性は声を潜める。主役とは柊木さんのことで間違いないだろう。
 劇場の出待ち入り待ちはよくある光景だが、最近は稽古場やその最寄駅にもちらほら現れ出したという。

 ――ちょっと、昨日言ってた話と全然違うじゃない。

 自分のことなんて誰も知らないから大丈夫。そんな能天気なことを言っていたのは、やはり嘘だったのだ。

「どうぞ、入ってください。ちょうど休憩だから」

 え、叔父さんを呼んできてくれるんじゃないの? と思ったけれど、女性の手元を見ると書類を記入している最中らしい。
 手を煩わせるのも申し訳なく思い、言われるがままに稽古場に足を踏み入れた。

 中は、だだっ広い空間だった。
 体育館より少し狭いくらいのスペースの真ん中に、長机が四角く並んでいる。全部で二十台くらいだろうか。まるで巨大な会議室のようだ。
 その机たちを囲むように、椅子だけが何列にも並べられていて、全部合わせると百人以上が着席できると思われる。
 壁際には、恐らく今朝、父が運び入れたのだろう平台やカーゴが並べられていた。

 それらの物の中に人がひしめいているのだから、入口から覗いていても、とても叔父は見つけられなそうだった。

 仕方なく、紛れるように人の合間に入ってみる。
 思い思いに過ごしているからスタスタ歩いていても注目されないのは良いけれど、ざわめきが酷くて声も聞き分けられそうになかった。

 ――あ、いた。

 しかも父も一緒だった。年配の男性が一人と女性が一人。あとは私と変わらぬ歳の女性が一人。
 大きな用紙を囲んで話している。まだ打ち合わせ中らしい。

 ふと父が振り返って、ばっちり目が合ってしまった。
 なんだか仕事を覗き見しているみたいで気まずい。

 しかし父は軽く手を上げると、隣に座っている叔父に声をかけた。
 叔父は私を認めて立ち上がると手招きした。

 素直に従うと、その場にいたメンバーに簡単に紹介される。プロデューサーと演出家と演出助手がいて、セットの素材について話し合っていたようだ。
「これでいいんだよね?」と紙袋を差し出すと、叔父は何故か受け取らず、背後を振り返り――、

「悠真!」

 少し離れたところにいた、彼を呼んだ。
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