秘密のカーテンコール〜人気舞台俳優の溺愛〜
共演者の誰かと話していたんだろう。
叔父が声を掛けた方向を見遣れば、ここ数日でなぜだか何度も見かけているその端正な顔がこちらを見た。ついでに、その隣にいた女性もこちらを振り返ったのが見えた。小さな顔に大きな瞳が特徴的で思わず可愛い、と声を漏らしそうになる。
けれどその前に。
「柚さん!」
柊木さんはぱっと顔を輝かせると、その長い足で駆け寄ってきた。
「お疲れさまです。もしかして、持ってきてくれたんですか?」
私が手にした紙袋を見て、柊木さんは顔を綻ばせた。
叔父のものだと思っていたら、柊木さんの忘れ物だったとは。
先に言ってよ、と叔父を睨んだものの、またスタッフさんに声を掛けられたらしく、叔父も父もこちらはまったく気にかけていなかった。
――ていうか、台本忘れるってどうなの。
「どうぞ」
紙袋を差し出すと、にっこりと笑われた。
「ありがとうございます。これ、改訂前のなんですよ」
「はあ……」
「製本台本はちゃんと手元にあるんですけど、こっちに結構書き込みしてあったから。助かりました」
「……え?」
言わんとすることを図りかねて、ぽかんと彼を見上げる。
柊木さんは苦笑いを浮かべていた。
「いえ、台本忘れるってるなんて役者の風上にもおけない、と思ったかなって。だから言い訳です」
どうして、彼はこんなに私の思考回路を読み取るのが上手いんだろうか。
「柚さん、なんでも顔に出るから。大体なんでもわかりますよ」
そう言ってくすくすと笑われてしまったら、猛烈に恥ずかしくなった。
未だ受け取られていなかった紙袋を思いっきり柊木さんに押し付ける。
と、片手で紙袋を掴んだ柊木さんは、もう片方の腕で私の手首を掴んだ。
「待って」
「……なんですか」
「柚さん、こっち来てください」
有無を言わさず、ずるずると引っ張られる。
そうして柊木さんは父の元まで私を連れていった。
柊木さんが父に何かを囁くと、父は私と彼を見比べて小さく頷いた。
「はい、じゃあここに座っていてください」
室内に並べられた長机の一角、『舞台監督 東雲征』と名前が書かれた紙が垂れ下がっている。
後ろにまた数個の椅子が並んでいる、その最後列。
「はい、ここ座ってください」
「え?」
「ここ、席空いているらしいんです」
「で?」
「これから本読みなんです。一回目だから、面白いと思いますよ」
そんなことを言いながら、そっと肩を押されて座らされた。
「えー、そろそろ再開しまーす」
立ち上がろうとすると、マイクを使って若い女性が声を掛けた。
室内にいた人たちは自分の席に、外にいた人たちもぞろぞろと戻ってくる。
完全にタイミングを逸してしまった。
柊木さんは私にばちんとウインクをすると、つかつかと室内の中央に戻っていく。
呆気にとられていると、私の座る列の先頭にいる父が振り返った。
鋭い眼光を飛ばされる。
静かにしておけ、という意味らしい。
――言われなくてもわかってますけど!
これでも幼い頃は両親にさんざん連れまわされたのだ。
業界の厳しさは知っているつもり。余計な口を挟んだりしないし、全体に迷惑を掛けることはしない。
それでも。
――ぜったいに文句言わせてもらいますからね、叔父さん!
父の隣で、同じように『舞台美術 藤間恒』という紙をぶら下げた席に座る叔父に向かって心の中で叫んだのだった。
『本読み』は退屈だと思っていた。
キャストが揃い、台本のはじめからラストまで、座ったままひたすら己のセリフを読んでいく。
母はよく、「やっと今日で本読みが終わる!早く立ち稽古がしたい」と言っていた。
場面ごとに、途中で止めながら読むこともあるらしいが、今日は稽古初日ということで、途中でダメ出しを入れたりせず、最後まで読んでみるということのようだった。
とはいえミュージカルなので、途中に歌もある。
今回は歌ありの読み稽古だそうだ。
稽古場の隅に置かれたピアノ一本の伴奏で、マイクもつけずに歌われるプロの声を聴くことができるのは、確かに贅沢ではある。
有名な某小説をミュージカル化したこの作品は、昔から何度も上演しているらしい。
だがそのキャスト、スタッフが全とっかえになるというのが今回で、その真ん中、主役に任命されたのが柊木さんというわけだ。
薬によって人格が入れ替わってしまうという主人公は、まさに一人二役とも言える難しい役だ。
いわば二人の人間を、声の高さも、歌い方も、声質までもを変えて演じ分けてしまう柊木さんは、素人目に見ても圧巻だった。
凄い。
素直に、率直にそう思う。
特に一幕ラストのソロナンバーを歌った後は、稽古なのにまわりで聴いていた関係者から拍手が起きたほど。
私なんかからすると、これ稽古する必要あるの?と感じてしまうほどの完成度だった。
その後、本番と同じように幕間が取られる。スタジオを出入りする人は若干いるものの、先ほどの休憩とは違い、作中ということもあって立ち上がる人も少なく、会話もひそひそ声で行われていた。
先ほどの柊木さんの歌のインパクトが尾を引いているのかもしれない。
ヒロイン格である、若い女優の背筋がぴんと伸びたように感じたし、ベテラン陣の柊木さんを見る目もがらっと変わったような気がする。
柊木さんはまわりの視線も気にせず、飄々としていた。水を飲んだり、ぺらぺらと台本を捲ったりしている。
私は思わずそんな彼の姿を見つめてしまって、目が離せないでいた。
「柚、ごめんな」
ひっそりと柊木さんを覗き見ていたから、叔父が間近に立っていることに気づかなかった。びくりと肩を震わせてしまう。
それを隠すように頬を膨らませてみせた。
「本当だよ。柊木さんの忘れ物だったら最初からそう言ってくれればいいのに」
「いや、忘れる方が悪いって言うかと……」
「そりゃそうでしょ。まあだからって持ってくるの断ったりしないけど」
「そうだよな」
叔父は頭を掻いている。
「とにかく悠真が柚に来て欲しいっていうもんだから」
「……はい?」
また、なんでそんなことを言い出すのか。意味がわからない。
「とにかく助かった」
「今日のまかない、期待してるからね」
念を押すと、叔父は観念したように首を竦めてから席に戻っていった。
叔父の背を見送りながらため息を吐き、また自然と柊木さんを見てしまう。
と、隣の席に、ヒロイン役の女優さんが座って、熱心に話しかけていた。
稽古だからか着飾っているわけでもないのに、小さな顔、華奢な体つきからああ芸能人なんだなあと感じる。
彼女が何かを言うと、柊木さんは手元の台本をぺらぺらと捲って、二人でそれを覗き込んで話していた。
――帰ろ。
半分は観たのだから十分だろう。
そっと席を立ち、父の元へ向かう。
帰る旨を伝えると、父は一瞬目を見開いたが、すぐに頷いてくれた。
久し振りに演劇というものに触れて疲れたのだと思ったのだろうか。
帰り道には気をつけるように、と念を押されてしまった。
入口付近にいた小柄な女性スタッフさんにお礼を伝えてスタジオを出る。
廊下のしんとした冷たい空気が心地よかった。
叔父が声を掛けた方向を見遣れば、ここ数日でなぜだか何度も見かけているその端正な顔がこちらを見た。ついでに、その隣にいた女性もこちらを振り返ったのが見えた。小さな顔に大きな瞳が特徴的で思わず可愛い、と声を漏らしそうになる。
けれどその前に。
「柚さん!」
柊木さんはぱっと顔を輝かせると、その長い足で駆け寄ってきた。
「お疲れさまです。もしかして、持ってきてくれたんですか?」
私が手にした紙袋を見て、柊木さんは顔を綻ばせた。
叔父のものだと思っていたら、柊木さんの忘れ物だったとは。
先に言ってよ、と叔父を睨んだものの、またスタッフさんに声を掛けられたらしく、叔父も父もこちらはまったく気にかけていなかった。
――ていうか、台本忘れるってどうなの。
「どうぞ」
紙袋を差し出すと、にっこりと笑われた。
「ありがとうございます。これ、改訂前のなんですよ」
「はあ……」
「製本台本はちゃんと手元にあるんですけど、こっちに結構書き込みしてあったから。助かりました」
「……え?」
言わんとすることを図りかねて、ぽかんと彼を見上げる。
柊木さんは苦笑いを浮かべていた。
「いえ、台本忘れるってるなんて役者の風上にもおけない、と思ったかなって。だから言い訳です」
どうして、彼はこんなに私の思考回路を読み取るのが上手いんだろうか。
「柚さん、なんでも顔に出るから。大体なんでもわかりますよ」
そう言ってくすくすと笑われてしまったら、猛烈に恥ずかしくなった。
未だ受け取られていなかった紙袋を思いっきり柊木さんに押し付ける。
と、片手で紙袋を掴んだ柊木さんは、もう片方の腕で私の手首を掴んだ。
「待って」
「……なんですか」
「柚さん、こっち来てください」
有無を言わさず、ずるずると引っ張られる。
そうして柊木さんは父の元まで私を連れていった。
柊木さんが父に何かを囁くと、父は私と彼を見比べて小さく頷いた。
「はい、じゃあここに座っていてください」
室内に並べられた長机の一角、『舞台監督 東雲征』と名前が書かれた紙が垂れ下がっている。
後ろにまた数個の椅子が並んでいる、その最後列。
「はい、ここ座ってください」
「え?」
「ここ、席空いているらしいんです」
「で?」
「これから本読みなんです。一回目だから、面白いと思いますよ」
そんなことを言いながら、そっと肩を押されて座らされた。
「えー、そろそろ再開しまーす」
立ち上がろうとすると、マイクを使って若い女性が声を掛けた。
室内にいた人たちは自分の席に、外にいた人たちもぞろぞろと戻ってくる。
完全にタイミングを逸してしまった。
柊木さんは私にばちんとウインクをすると、つかつかと室内の中央に戻っていく。
呆気にとられていると、私の座る列の先頭にいる父が振り返った。
鋭い眼光を飛ばされる。
静かにしておけ、という意味らしい。
――言われなくてもわかってますけど!
これでも幼い頃は両親にさんざん連れまわされたのだ。
業界の厳しさは知っているつもり。余計な口を挟んだりしないし、全体に迷惑を掛けることはしない。
それでも。
――ぜったいに文句言わせてもらいますからね、叔父さん!
父の隣で、同じように『舞台美術 藤間恒』という紙をぶら下げた席に座る叔父に向かって心の中で叫んだのだった。
『本読み』は退屈だと思っていた。
キャストが揃い、台本のはじめからラストまで、座ったままひたすら己のセリフを読んでいく。
母はよく、「やっと今日で本読みが終わる!早く立ち稽古がしたい」と言っていた。
場面ごとに、途中で止めながら読むこともあるらしいが、今日は稽古初日ということで、途中でダメ出しを入れたりせず、最後まで読んでみるということのようだった。
とはいえミュージカルなので、途中に歌もある。
今回は歌ありの読み稽古だそうだ。
稽古場の隅に置かれたピアノ一本の伴奏で、マイクもつけずに歌われるプロの声を聴くことができるのは、確かに贅沢ではある。
有名な某小説をミュージカル化したこの作品は、昔から何度も上演しているらしい。
だがそのキャスト、スタッフが全とっかえになるというのが今回で、その真ん中、主役に任命されたのが柊木さんというわけだ。
薬によって人格が入れ替わってしまうという主人公は、まさに一人二役とも言える難しい役だ。
いわば二人の人間を、声の高さも、歌い方も、声質までもを変えて演じ分けてしまう柊木さんは、素人目に見ても圧巻だった。
凄い。
素直に、率直にそう思う。
特に一幕ラストのソロナンバーを歌った後は、稽古なのにまわりで聴いていた関係者から拍手が起きたほど。
私なんかからすると、これ稽古する必要あるの?と感じてしまうほどの完成度だった。
その後、本番と同じように幕間が取られる。スタジオを出入りする人は若干いるものの、先ほどの休憩とは違い、作中ということもあって立ち上がる人も少なく、会話もひそひそ声で行われていた。
先ほどの柊木さんの歌のインパクトが尾を引いているのかもしれない。
ヒロイン格である、若い女優の背筋がぴんと伸びたように感じたし、ベテラン陣の柊木さんを見る目もがらっと変わったような気がする。
柊木さんはまわりの視線も気にせず、飄々としていた。水を飲んだり、ぺらぺらと台本を捲ったりしている。
私は思わずそんな彼の姿を見つめてしまって、目が離せないでいた。
「柚、ごめんな」
ひっそりと柊木さんを覗き見ていたから、叔父が間近に立っていることに気づかなかった。びくりと肩を震わせてしまう。
それを隠すように頬を膨らませてみせた。
「本当だよ。柊木さんの忘れ物だったら最初からそう言ってくれればいいのに」
「いや、忘れる方が悪いって言うかと……」
「そりゃそうでしょ。まあだからって持ってくるの断ったりしないけど」
「そうだよな」
叔父は頭を掻いている。
「とにかく悠真が柚に来て欲しいっていうもんだから」
「……はい?」
また、なんでそんなことを言い出すのか。意味がわからない。
「とにかく助かった」
「今日のまかない、期待してるからね」
念を押すと、叔父は観念したように首を竦めてから席に戻っていった。
叔父の背を見送りながらため息を吐き、また自然と柊木さんを見てしまう。
と、隣の席に、ヒロイン役の女優さんが座って、熱心に話しかけていた。
稽古だからか着飾っているわけでもないのに、小さな顔、華奢な体つきからああ芸能人なんだなあと感じる。
彼女が何かを言うと、柊木さんは手元の台本をぺらぺらと捲って、二人でそれを覗き込んで話していた。
――帰ろ。
半分は観たのだから十分だろう。
そっと席を立ち、父の元へ向かう。
帰る旨を伝えると、父は一瞬目を見開いたが、すぐに頷いてくれた。
久し振りに演劇というものに触れて疲れたのだと思ったのだろうか。
帰り道には気をつけるように、と念を押されてしまった。
入口付近にいた小柄な女性スタッフさんにお礼を伝えてスタジオを出る。
廊下のしんとした冷たい空気が心地よかった。