世界はそれを愛と呼ぶ
「だから、お礼を言わなくちゃ。─寂しくて泣いた夜はあったけど、でも、今は寂しくないから」
寂しくなんてなかった。ちゃんと寂しくなれたから。
そして、それを受け止めて甘やかしてくれる人と出逢えたから、お礼を言いたいのだと、彼女は笑った。
「まだまだ終わりません。目まぐるしい日々は終わらず、これからもまだまだ頑張らなくちゃ」
きっと、こちら側が把握しきれていないことですら、相馬は把握しきっているのだろう。
沙耶もある程度は把握し終えていて、だからこそ、こんな瞳をしているのだ。
「─もう、諦めることは諦めることにします。だって幸せだから、もっと幸せになりたいから」
父親である健斗によく似た沙耶。
ふとした瞬間に見える、父親譲りなとこ。
「私、わがままなんです」
『俺、わがままやから』
そうやって笑う姿、嗚呼、だから俺達は彼らに惹かれる。
決して、太陽なんて呼べない存在。
それでいて、こちらを照らす仄かな灯火。
「─なあ、千華」
「なあに、兄さん」
「俺たちも負けてられないよね」
「フフッ、そうね」
若人が全てを賭けるならば、老兵が歩むべき道は。
「さーて、じゃあ、御園家全勢力をかけて、全面戦争と参りますか」
「え、や、全面戦争って……圧倒的に勝つじゃない」
つまらないわ、と、言いたげな妹。
どれだけ年齢を重ねても、中々落ち着かない血の気の粗さを自覚しつつ、陽向は好戦的な血の滾りにわくわくする。
「……陽向?」
そのわくわくとした気持ちのまま、頭の中で計画作成を楽しんでいると、愛妻の声がする。
声の方向を振り返り、手招き。
「……相変わらず、義姉さんの前だと借りてきた猫ね」
「言っとけ」
最愛の妻より、大切なものがあるか。
千華の声は流し、傍にいくと。
「相馬達と大切なお仕事?」
と、柔和な微笑みを浮かべながら、陽向の頬に手を伸ばした。その手を取り、上から自分の手を重ねる。
「ちゃんと、私の元へ帰ってきてね」
─この家には、多くのものを奪われた。
幸せになるはずだった新婚生活は、彼女の涙と、血と、叫び声に掻き消えた。
彼女は壊れ、そして、お人形のようになってしまった。
それを受け入れられなかった陽向は何度、この命を絶とうと、この家を滅ぼそうとしたことだろう。
それを引き止めたのは、息子同然で育てたきた相馬だ。
実の両親から拒絶されたこの子は、幼い頃から聡明だったがゆえ、陽向の妻、莉華(リカ)が壊れた原因を察していた。
そのうえで、子供にできる精一杯で、陽向の代わりに莉華のそばに居てくれた幼子。
ある日、幼かった相馬が転んだ。
鬼の血が強いから、精神年齢は実年齢より高いから、なんて、基本的に怪我してもあまり心配がいらない一族だが、そんな相馬に自分で動くことができなくなっていた莉華が近寄り、抱き上げ、抱き締めた。
『大丈夫。痛くないよ。─いたいいたいのとんでけ』
保育士になりたいと、そう言っていた。
それくらい、子供が好きなのだと話していた。
陽向に嫁いで、壊れて、永遠に叶わなくなった。
そんな優しい彼女が数年ぶりに見せた、優しい横顔。
相馬は泣いた。安心したように。
そして、どんなに傷が治っても、痛みは消えないのだと。
1度傷ついた心は、元には戻らないのだと、忘れかけていた普通の感覚を、その日、陽向は思い出した。
怒っていいのだと、恨んでいいのだと、たったひとりの男の子の涙で思い出したのだ。
だから、相馬を手元に置いた。手元で育てた。
誰かに愛をもらって、人は大きく成長するのに。
それが欠如していることが、あの泣いた日に判明した。
強くはなかった。強くあろうとしていただけで。
だから、莉華の優しさの前に崩壊した。