「「完全なる失恋だ」」と思っている夫婦ですが、実は相思相愛です!~無愛想な脳外科医はお人好し新妻を放っておけない~
「駅前の店はどこもいっぱいだろうし、地元の居酒屋になるけどいい?」

 振り返りながら視線を向けられた。もう彼は私が一緒に行くと思っているらしい。

 せっかくの好意を無下にするのも失礼だろう。

 ひとりで休憩できそうなお店を探すのも大変そうだ。

「よろしくおねがいします」

 私の声を受けた彼は、ほんの少し口角を上げるとポケットに手を入れたまま歩き出した、かと思うと振り返って私の持っていたキャリーケースを手に取ると何も言わずに歩き出す。

「ありがとうございます」

「ん」

 彼は時々私を振り返りながら、距離ができそうになるとゆっくりと歩いてくれる。

 心遣いを嬉しく思いながら、できるだけ後れを取らないように彼の後に続いた。

 五分ほど歩いたお店は、路地裏の奥まったところにある地元の人だけが知るだろう店だ。私のような旅行者が見つけられるとは思わない。

 店内はカウンターと座敷席があり、にぎわっていた。

「ふたりだけどいける?」

「カウンターにどうぞ」

 ちょうど端っこが開いていて、彼がキャリーケースを邪魔にならないようにして置いてくれた。

 そのあと彼が手を差し出して、椅子に座るのを手伝ってくれる。私の足を気遣ってのことだろうけれど、エスコートが完璧でドキドキしてしまう。

 普段はどちらかというと世話をするほうが多いので、なんとなく新鮮で気恥ずかしい。

 ちょっと照れてしまうが、素直に彼の好意に甘えて手を貸してもらい、少し高い椅子に座った。

「なんでもうまいけど、特に魚がおすすめ」

「じゃあ、南雲先生が選んでください」

「アレルギーは?」

「ふふっ、苦手な食べ物は?とかじゃなくて、アレルギーっていうのお医者さんらしいですね」

「あっ、いや。そういうつもりじゃなかったんだが……」

「好き嫌いもアレルギーもありません。なんいでもおいしく食べられます」

「わかった。あ、ケガ軽いかもしれないけど今日はアルコールは避けておいた方がいい」

「はい。お医者様の言う通りにします」

 私が肩をすくめてみせると、彼はのどの奥で小さく笑って私にメニューを渡してきた。

 少ししたら目の前に私のたのんだウーロン茶と南雲先生のビール、それとお通しの胡麻豆腐が並んだ。

「じゃあ、おつかれさま」

「おつかれさまでした」

 グラスをかかげてから飲むと、乾いた体にしみこんでいくようだった。
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