スパダリ起業家外科医との契約婚
第三章 再会
第三章 再会
披露宴の後半になり、兄や新婦が各テーブルを回って写真を撮ったり談笑したりする時間が設けられた。涼子も両親と一緒に写真を撮ってもらい、テーブルで出された食事を口に運んでいたところ、背後から声をかけられた。
「涼子……だよな」
低く静かな声。その瞬間、全身が固まる。声の主が誰であるか、振り向く前から分かっていた。ゆっくりと顔を上げると、そこには黒いタキシードを着こなした壮一郎の姿があった。
時の流れを感じさせる落ち着きと、さらに洗練された雰囲気。子どもの頃に見た面影をはるかに超えて、彼は大人の男性として完成された佇まいを持っていた。
「……お久しぶりです、高柳……先生」
思わず「先生」と呼んでしまう。聞けば、外科医として天才的な腕前で既に名を馳せているらしいから、敬意を込めた言い方になるのは仕方ない。だが、壮一郎はほんの少し首をかしげた。
「先生? まあ、間違いじゃないけど……昔どおり、壮一郎でいいよ。ここは親族の場だろう」
なんという自信と余裕に満ちた言葉。それでも涼子には、十五年前にほんの少しだけ顔をほころばせてクッキーを食べていた彼の面影が重なる気がした。
「はい……わかりました、壮一郎……さん」
その呼び名を口にすると、妙に照れくさい。壮一郎はあまり表情を動かさないが、そのまま静かにうなずいて、涼子の顔をまじまじと見る。
「英盛から、いろいろ聞いたよ。大変だったんだって?」
「え……あ、はい。えっと、まあ……」
プライベートな話かと思い、涼子は一瞬たじろぐ。兄がどこまで話したのかは定かではないが、会社を辞めたことや彼氏に振られたことが、壮一郎の耳に入っているらしい。
「そう……少し、痩せたように見える。体調は大丈夫か」
「あ……はい」
気遣わしげな言葉。かつてと同じ、どこかそっけないようでいて、じつは相手を気遣う独特の口調に、涼子の胸は一気に熱くなった。
「そうか。今は焦らずに、身体と心を休めることだな。人間、医療の観点から見ても無理をすると大抵良くない」
一見そっけなくも見えるが、その言葉には涼子を思いやる気持ちが感じられた。まるで医師が患者を診察するように、しかしそれは上から目線ではなく、どこか親密さを感じさせるトーンだった。
その後、披露宴の最後まで、壮一郎はほとんど黙って座っていた。スピーチを促されても「私は特に……」と控えめに断り、新婦側の来賓が「せっかくなので、天才外科医さんのエピソードをお聞かせください」と言っても、「大したことはしていませんよ」とさらりと流していた。
その硬派な態度がまた、涼子には眩しく見える。彼は社交の場を苦手としているわけではないが、余計な社交辞令には価値を見出さないのだろう。
披露宴がお開きになると、新郎新婦はそれぞれお色直しやら二次会への移動やらで慌ただしくなり、親族も混乱気味になる。
涼子も両親と一緒に行動しなければならないが、もう少し壮一郎と話したいという考えが頭から離れない。だが、どこで、どうやって話す時間を作ればいいのだろう。
やがてロビーへ移動した涼子は、母に「ちょっと飲み物を買ってくる」と告げ、そのままエレベーターホールへ向かった。
するとちょうど、エレベーターから降りてきたタキシード姿の壮一郎と鉢合わせになる。彼はスマートフォンを手に、誰かとメッセージのやり取りをしていたようだった。
「おお、涼子。探してたんだ」
「え……?」壮一郎の思わぬ言葉にドキリとした。
「英盛には伝えてある。そこのソファに少し座って話そう」
そこは落ち着いた照明の空間で、結婚式の二次会に向かう人々の喧騒からやや離れた場所だった。
ソファに腰を下ろし、近くにいたホテルのスタッフに紅茶をもってくるように促した彼の横顔はどこまでも冷静で、常に先を見据えているようだ。
「お疲れだろうから、甘いものでも。紅茶が好きだったよな?」
「え……覚えてたんですか?」
「お前が小さいときに、兄貴の部屋に差し入れしたクッキーと一緒に紅茶を淹れてたのを覚えてる。……意外と記憶力はいいんだ」 そう言って壮一郎は少し視線を下げる。
淡々とした言葉の端々に、かつての少年の面影が蘇る気がして、涼子は胸がじんと熱くなる。
涼子がそう告げたとき、ウエイターが運んできた紅茶を運んできた。カップから立ち上る香りに、涼子はほっと息をつき、その温かい飲み物に口をつけた。
「いい香り……」
「涼子と飲む紅茶、懐かしいな……」
子供時代の記憶と感情が鮮明によみがえる。壮一郎と二人きりで向き合うと、十五年前と変わらぬ安心感があった。
「……俺が口を出すことじゃないかもしれないが、お前が何か新しい道を探すなら、焦らなくてもいいと思う。まだ二十六なんだろう?」
「……はい。ありがとうございます」
あの頃はただ憧れの存在だったが、今はこうして大人同士として会話をしている。
彼は確かにクールだけれど、その言葉の中には、あのころと同じように“どうすれば相手のためになるか”という気持ちがあることが感じられ涼子は嬉しくなった。
そこへ、慌ただしく英盛がやってきた。
「やあ、ここにいたのか。涼子、そろそろ二次会の集合時間だぞ。お前も行くか?」
「二次会? 私、行ってもいいの?」
「当たり前だろ。全員参加だよ。会場は同じホテルの宴会場だ。まだもうちょっと先だけど、いま一緒に来るか」
英盛はシャンパンで頬をわずかに紅潮させながら、妹と壮一郎を交互に見る。
「でも、涼子、お前顔が暗いな。体調が悪いなら無理しなくてもいいんだぞ。壮一郎も二次会に来るんだっけ?」
「俺は顔を出す予定はない。招待されてはいるが、大学時代の同期会があるのでな。それに……」
壮一郎はちらりと時計を見て、眉をひそめた。
「手術の立ち合いが入っているかもしれない。留守番を任せているが、状況によっては呼び出される」
「やっぱり、忙しいんだな。じゃあ、ここで解散か?」
兄の言葉に、涼子はさみしさを覚えた。せっかく再会したのに、もう別れてしまうのか。実際、彼の都合だから仕方ないのだが……。そんな涼子の胸中を察したのか、壮一郎は軽く口を開く。
「二次会には行けないが、もし、涼子が疲れたなら少し休んだらいい。ホテルの部屋を取ってあるから、一時的に使っても構わない。……英盛、構わないか?」
「ああ、別にいいんじゃないか? 涼子、どうする?」
急すぎる申し出に、誘われた側としては大いに戸惑う。
まさかホテルの一室に通されるなんて、そんな……。でも、この騒がしい二次会に参加する気力がいまいち湧かないのも事実だ。つい先日まで失恋の傷が生々しく、派手なパーティーで浮かれている気分にはなれそうもない。
「じゃあ……お言葉に甘えて、少しだけ休憩させてもらおうかな。二次会には遅れて参加でもいい?」
「もちろんだ。落ち着いたら会場に来ればいいさ」
英盛はそう言って、あっさりと了承した。
こうして、涼子は壮一郎の部屋で少し休んでから合流することになった。
結婚式の賑わいから一転して、エレベーターホールの静寂は彼の存在をより際立たせる。ふとガラスに映った自分の姿を見ると、化粧は崩れてはいないが、疲れ切った顔をしていることに気づき、情けなくなる。
「本当にすみません、急に押しかけて」
「気にするな。もともと念のためにとっていただけで、宿泊するつもりはなかったんだ。そんなに広くはないが、ゆっくり休めると思う」
彼の声は相変わらず低く落ち着いている。だがそのわずかな優しさに、涼子は「ありがとう」と何度もお礼を言いたくなる衝動に駆られた。
披露宴の後半になり、兄や新婦が各テーブルを回って写真を撮ったり談笑したりする時間が設けられた。涼子も両親と一緒に写真を撮ってもらい、テーブルで出された食事を口に運んでいたところ、背後から声をかけられた。
「涼子……だよな」
低く静かな声。その瞬間、全身が固まる。声の主が誰であるか、振り向く前から分かっていた。ゆっくりと顔を上げると、そこには黒いタキシードを着こなした壮一郎の姿があった。
時の流れを感じさせる落ち着きと、さらに洗練された雰囲気。子どもの頃に見た面影をはるかに超えて、彼は大人の男性として完成された佇まいを持っていた。
「……お久しぶりです、高柳……先生」
思わず「先生」と呼んでしまう。聞けば、外科医として天才的な腕前で既に名を馳せているらしいから、敬意を込めた言い方になるのは仕方ない。だが、壮一郎はほんの少し首をかしげた。
「先生? まあ、間違いじゃないけど……昔どおり、壮一郎でいいよ。ここは親族の場だろう」
なんという自信と余裕に満ちた言葉。それでも涼子には、十五年前にほんの少しだけ顔をほころばせてクッキーを食べていた彼の面影が重なる気がした。
「はい……わかりました、壮一郎……さん」
その呼び名を口にすると、妙に照れくさい。壮一郎はあまり表情を動かさないが、そのまま静かにうなずいて、涼子の顔をまじまじと見る。
「英盛から、いろいろ聞いたよ。大変だったんだって?」
「え……あ、はい。えっと、まあ……」
プライベートな話かと思い、涼子は一瞬たじろぐ。兄がどこまで話したのかは定かではないが、会社を辞めたことや彼氏に振られたことが、壮一郎の耳に入っているらしい。
「そう……少し、痩せたように見える。体調は大丈夫か」
「あ……はい」
気遣わしげな言葉。かつてと同じ、どこかそっけないようでいて、じつは相手を気遣う独特の口調に、涼子の胸は一気に熱くなった。
「そうか。今は焦らずに、身体と心を休めることだな。人間、医療の観点から見ても無理をすると大抵良くない」
一見そっけなくも見えるが、その言葉には涼子を思いやる気持ちが感じられた。まるで医師が患者を診察するように、しかしそれは上から目線ではなく、どこか親密さを感じさせるトーンだった。
その後、披露宴の最後まで、壮一郎はほとんど黙って座っていた。スピーチを促されても「私は特に……」と控えめに断り、新婦側の来賓が「せっかくなので、天才外科医さんのエピソードをお聞かせください」と言っても、「大したことはしていませんよ」とさらりと流していた。
その硬派な態度がまた、涼子には眩しく見える。彼は社交の場を苦手としているわけではないが、余計な社交辞令には価値を見出さないのだろう。
披露宴がお開きになると、新郎新婦はそれぞれお色直しやら二次会への移動やらで慌ただしくなり、親族も混乱気味になる。
涼子も両親と一緒に行動しなければならないが、もう少し壮一郎と話したいという考えが頭から離れない。だが、どこで、どうやって話す時間を作ればいいのだろう。
やがてロビーへ移動した涼子は、母に「ちょっと飲み物を買ってくる」と告げ、そのままエレベーターホールへ向かった。
するとちょうど、エレベーターから降りてきたタキシード姿の壮一郎と鉢合わせになる。彼はスマートフォンを手に、誰かとメッセージのやり取りをしていたようだった。
「おお、涼子。探してたんだ」
「え……?」壮一郎の思わぬ言葉にドキリとした。
「英盛には伝えてある。そこのソファに少し座って話そう」
そこは落ち着いた照明の空間で、結婚式の二次会に向かう人々の喧騒からやや離れた場所だった。
ソファに腰を下ろし、近くにいたホテルのスタッフに紅茶をもってくるように促した彼の横顔はどこまでも冷静で、常に先を見据えているようだ。
「お疲れだろうから、甘いものでも。紅茶が好きだったよな?」
「え……覚えてたんですか?」
「お前が小さいときに、兄貴の部屋に差し入れしたクッキーと一緒に紅茶を淹れてたのを覚えてる。……意外と記憶力はいいんだ」 そう言って壮一郎は少し視線を下げる。
淡々とした言葉の端々に、かつての少年の面影が蘇る気がして、涼子は胸がじんと熱くなる。
涼子がそう告げたとき、ウエイターが運んできた紅茶を運んできた。カップから立ち上る香りに、涼子はほっと息をつき、その温かい飲み物に口をつけた。
「いい香り……」
「涼子と飲む紅茶、懐かしいな……」
子供時代の記憶と感情が鮮明によみがえる。壮一郎と二人きりで向き合うと、十五年前と変わらぬ安心感があった。
「……俺が口を出すことじゃないかもしれないが、お前が何か新しい道を探すなら、焦らなくてもいいと思う。まだ二十六なんだろう?」
「……はい。ありがとうございます」
あの頃はただ憧れの存在だったが、今はこうして大人同士として会話をしている。
彼は確かにクールだけれど、その言葉の中には、あのころと同じように“どうすれば相手のためになるか”という気持ちがあることが感じられ涼子は嬉しくなった。
そこへ、慌ただしく英盛がやってきた。
「やあ、ここにいたのか。涼子、そろそろ二次会の集合時間だぞ。お前も行くか?」
「二次会? 私、行ってもいいの?」
「当たり前だろ。全員参加だよ。会場は同じホテルの宴会場だ。まだもうちょっと先だけど、いま一緒に来るか」
英盛はシャンパンで頬をわずかに紅潮させながら、妹と壮一郎を交互に見る。
「でも、涼子、お前顔が暗いな。体調が悪いなら無理しなくてもいいんだぞ。壮一郎も二次会に来るんだっけ?」
「俺は顔を出す予定はない。招待されてはいるが、大学時代の同期会があるのでな。それに……」
壮一郎はちらりと時計を見て、眉をひそめた。
「手術の立ち合いが入っているかもしれない。留守番を任せているが、状況によっては呼び出される」
「やっぱり、忙しいんだな。じゃあ、ここで解散か?」
兄の言葉に、涼子はさみしさを覚えた。せっかく再会したのに、もう別れてしまうのか。実際、彼の都合だから仕方ないのだが……。そんな涼子の胸中を察したのか、壮一郎は軽く口を開く。
「二次会には行けないが、もし、涼子が疲れたなら少し休んだらいい。ホテルの部屋を取ってあるから、一時的に使っても構わない。……英盛、構わないか?」
「ああ、別にいいんじゃないか? 涼子、どうする?」
急すぎる申し出に、誘われた側としては大いに戸惑う。
まさかホテルの一室に通されるなんて、そんな……。でも、この騒がしい二次会に参加する気力がいまいち湧かないのも事実だ。つい先日まで失恋の傷が生々しく、派手なパーティーで浮かれている気分にはなれそうもない。
「じゃあ……お言葉に甘えて、少しだけ休憩させてもらおうかな。二次会には遅れて参加でもいい?」
「もちろんだ。落ち着いたら会場に来ればいいさ」
英盛はそう言って、あっさりと了承した。
こうして、涼子は壮一郎の部屋で少し休んでから合流することになった。
結婚式の賑わいから一転して、エレベーターホールの静寂は彼の存在をより際立たせる。ふとガラスに映った自分の姿を見ると、化粧は崩れてはいないが、疲れ切った顔をしていることに気づき、情けなくなる。
「本当にすみません、急に押しかけて」
「気にするな。もともと念のためにとっていただけで、宿泊するつもりはなかったんだ。そんなに広くはないが、ゆっくり休めると思う」
彼の声は相変わらず低く落ち着いている。だがそのわずかな優しさに、涼子は「ありがとう」と何度もお礼を言いたくなる衝動に駆られた。