青い便箋

 「あ、あ、あの...その…高杉先輩…そ、卒業おめでとうございます!」
 勢いにまかせて、無計画に口から発せられた祝いの言葉を、意外にきちんと言えたことに、遥香は自分で自分にホッとした。
 もう片方の靴紐を結び直そうとしかけて、頭上から聞こえてきた遥香の声に、高杉先輩はふっと顔を上げて遥香の顔をじっと見た。
 今、高杉先輩の視界に、自分が入っている。間違いなく、遥香を捉えている。
 そのことに狂喜し、今にも舞い上がって踊り出したくなる気持ちをぐっと堪えた。「狂喜乱舞」とはまさにこのことだと身を持って学ぶ。
 「…ありがとう。君は...」
 戸惑いながら、でも何か思い出そうとするような表情で遥香の顔をさらにじっと見つめる。
 先輩の視界に、初めて遥香が入れた感動に胸を熱くしながら、とてつもない高揚感で顔もどんどん熱くなっているのを感じる。沸騰して支離滅裂になる前に、早く言わねば。
 遥香はキュッと強く目をつむり、覚悟を決めて一気に言葉を発した。
 「あの、私…先輩の素敵な歌声をたくさん聴きたくてこの学校を受けたんです。学校に入る前も今も、勉強は難しくて大変だし、部活もキツくて、しんどいですけど、先輩の存在に、勝手にですが励ましていただきまして…あの…なんていうか…ありがとうございました。歌声が聴けなくなるの、悲しいです。あ…で…あの、こ、これを…」
 先輩がカバンにぶら下げていた、あのアニメのキャラクターがゆるキャラ風に上蓋に描かかれている、丸みを帯びた四角い水色の缶ケースを差し出した。
 自分達の真上に広がる空の色のような青のリボンで結ばれているその缶の中には、色んな種類ののど飴が入れられるだけパンパンに入っている。

 作戦会議2日目の議題で決まったプレゼント『のど飴』だ。声が命の高杉先輩に、のど飴なら金額的にもお互い気兼ねないだろう。という意見で決定した。
 ただその作戦会議の時、祐子がひとり、「先輩に声を大事にしてほしいと思うなら、のどスプレーだ」と言い張った。「プレゼントに薬なんておかしくない?」という紀子と祐子は、若干揉めた。そこへ遥香が、「印象的に飴のほうが可愛いと思うから」と、のどスプレー推しの祐子をやんわりとなだめた。正直、「のどスプレーはない」と、遥香も内心思っていた。

 先輩は結び終わった靴紐を押さえながら立ち上がり、真顔で青いリボンで結ばれた缶ケースを見つめ、ゆっくりと両手を差し出してそれを受け取った。
 受け取ったその缶をしばらく見入り、
 「あ、アイツだ。可愛いな」
先輩は指でそのアイツをなぞりながら、クスッと笑って呟いた。よかった…遥香はホッとした。そして高杉先輩は続ける。
「ありがとう。俺なんかが君の力になれたんなら、とても光栄です」
 その言葉は、遥香の心を、澄んだ聖水で丁寧に洗い流し、清々しく浄化された綺麗な風で包み込むようだった。目頭が熱くなる。
 「あ…っと…ゴメンね、何もお返しできるものがなくて...」
 先輩は、ボタンも何もなくなってしまった自分の制服を見回し、何か残されていないか、胸から腹、太もも横辺りをパンパンと確認するように叩いて、苦笑いした。
 遥香は、恥ずかしさと胸にこみあげてくるものでいっぱいだった。苦しいのと泣きそうなのとで、呼吸がうまくできていない気がする。
 遥香は顔の前で両手を左右にブンブン振りながら、
 「あ、いえいえ、あの、全然大丈夫です!受け取ってくれてありがとうございました」
 早口でまくしたて、軽く頭を下げた。
 高杉先輩はとても優しい微笑みで遥香を見てくれている。真正面から見る高杉先輩は、本当に整っていて美しい。後光をまとっているようだ。
 この神様のように輝くこの人が、私の大好きな人。出会えて、好きになって、勝手に追いかけて…そして今、この瞬間を迎えられていることで、全てが報われたと言っても過言ではない。
 「大好きでした…」
 先輩に見惚れ、思わず心のつぶやきが口から漏れた。
 ふと我に返り、言ってしまったこの事態に凍りつく。きっと先輩に聞こえてしまったはずだ。告るつもりがないと言いながら、うっかり言ってしまった展開に、遥香はパニックを起こし、その場でジタバタしだした。
 逃げよう。そう思い、身を翻して走り出す瞬間、さらなる神の声が聞こえた。
 「ちょっと待って!」
 高杉先輩はスラックスのウエストを押さえながら、小さな紙のようなものを手にヒラヒラさせて遥香を呼び止めた。
 遥香は、びっくりして振り返った。何が起こったのか把握できないまま、駆け寄ってくる先輩を自分のそばに来るまで、ただ見守った。
< 10 / 12 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop