青い便箋
「これ、来週あるライブのチケットなんだけど…よかったら来て。ポケットにずっと入れっぱなしだったから…ちょっとしわくちゃになっちゃったね」
高杉先輩は太ももの上にそれを乗せ、丁寧に伸ばしながら、ちょっと照れくさそうに言って、遥香に渡す。
高杉先輩の綺麗な長い指から差し出されたチケットを、遥香は震える手で受け取った。
これは、自分の願望が創り出した妄想じゃないよね…?
「絶対…絶対に、何が何でも行きます!ありがとうございます!!」
先輩は微笑み、小脇に挟んでいた遥香が渡した缶ケースを持ち直して、中身の音をカタカタさせながら缶ごと手を振り、仲間のいる方へ歩き出した。
先輩の後ろ姿。これが最後の先輩の姿になると思っていたのに、また会えるチャンスをもらえた。見納めは延長戦に突入となったのだ。
両手で小さなチケットの端を持ちながら、震えの止まらない体で先輩の後ろ姿を見送った。
が、先輩がふと歩みを止めた。
「そうだ、思い出した…」
そう言って神が振り返る。
震える遥香の体は、再び急激な硬直状態に陥り、身長が5cmくらい伸びたと思うくらい、背筋がまっすぐに伸びた。
「君のランニングフォーム、 すごくキレイだと思ったよ。…じゃあまた会場で」
高杉先輩は、前に歩き出しながらも上半身は遥香の方に向け、今度は人懐こい笑顔を浮かべて、やはり缶ケースを持ちながら缶ごと手を振ってくれている。
遥香は、ガチガチと音が鳴っているかと思うほどぎこちなく手を振り返す。
高杉先輩の手の中に包まれている、のど飴の入ったあの缶を羨ましく思いつつ、「先輩の喉を頼んだぞ」と、心の中でメッセージを送りながら、仲間のところへ戻っていく先輩を見送った。
「やったじゃーん!!」
呆然と立ちすくみ、固まって動けない遥香のもとに、3人が一斉にキャーキャー言いながら駆け寄り、遥香の体を肘であちこち突ついたり、遥香の頬を両手で挟んで揺さぶったり、髪の毛をくしゃくしゃにしながら頭をなでたり、やりたい放題で遥香の告白を祝福した。
この、ほんの数分間の出来事がどうしても信じられず、遥香の体はフワフワしている。
渡されたアッシュグリーンの名刺サイズくらいなチケットをよく見る。
「BREEZY 卒業記念LIVE 〇月〇日(STU) 15:00〜START in LIVEHOUSE WINDS」
最後の最後で願いが叶った。
先輩と一対一で話し、自分が陸上部であることも知っていてくれた。きっと名前までは知らないだろうが、その認知だけでもう充分奇跡だ。こんな幸せなことはない。
ほどけた緊張と、振り絞った勇気で果たせた達成感で、今さら涙がこみあげてきた。
「遥香、よくがんばった!」
紀子が遥香を抱きかかえるように肩を組み、鼻をすすりながら頭を軽く撫でる。
「ホント、よかったね」
優しく微笑む美穂は、うっすら涙で滲む目尻を人差し指でぬぐう。
少し離れたところで祐子は、すでに目を真っ赤にして泣きじゃくっていた。
「ちょっと、なんでアンタが一番泣いてんのよ!」
美穂が笑いながら突っ込む。
「だって、だってさ…なんか…これまでのこと思い出すと感動しちゃってさ…」
しゃくりながら祐子がハンカチで目を押さえる。
「みんな、付き合ってくれてありがとね。」
3人の想いが嬉しくて、遥香はお礼を言わずにはいられなかった。
「でもさ…ってことは、最後が今日じゃなくなったってことでしょ?走り方綺麗だなんて…キャーッ!もしかするともしかして…?イヤーッ!」
一番泣いていた祐子が、自分で言った妄想に1人盛り上がる。
「ね、もらったチケット、見せて」
紀子が遥香からチケットを受け取り眺める。
「これがあのプレミアムチケットなんだぁ…」
遥香から散々聞かされた、幻と言われるチケットを、今度は美穂が受け取って裏表返しながら眺める。そしてふと何かに気づいた。
「ねぇ…これ、『本券で4名様まで入場可』って書いてる」
チケットの裏側に書かれたそれを発見し、4人は顔を見合わせた。
「何着て行こ…」
紀子が思い詰めたようにアスファルトに視線を置いたまま呟く。
「ライブって、どんな服装?」
不特定な誰かに、美穂が問う。
「制服じゃダメ?」
と言う祐子。
「せっかくのライブに制服って、もったいなくない?」
「せっかくならオシャレしたーい!」
3人は既に行く体で、着て行く洋服問題について話が進んでいる。
3人のやり取りを黙って聞いていた遥香が口を開く。
「あのさ…、私まだ誘ってないんですけど」
きょとん顔の3人は遥香の顔を一斉に見た後、同時に笑い出した。
「あ、ほんとだ!…まぁでも4人入れるって書いてんだから、ぴったりじゃん。当然我々しかいないでしょ」
「紀子に同意」
「遥香、ウチらがいないと淋しいでしょ?行ってあげるよ」
最後に恩着せがましい言い方の祐子。
「よろしくお願いします」
遥香は、笑いながら3人に頭を下げた。
「今日は本当にありがとう。とりあえず、帰ろっか」
4人は校門に向かって歩き出す。