矢吹くんが甘やかすせいで

矢吹くんが好きなのに

「…あんたさあ。自分が何言ってるのかわかってるの?」

月曜日。朝早く2人しかいない教室で、怒りを含んだ佳音の低い一言が発せられた。

「と、いいますと…?」

私が佳音に聞き返すと、佳音のこめかみにめきめきめきっと青筋が浮かんだ。

「あんたが矢吹くんに女として見られてないってどういうことよ!?あの矢吹くんの愛を一身に受けておいて、なによそのヘタレ思考!」

「ヘ、ヘタレ…?」

「そうよヘタレよ!矢吹くんがこの学校にいたときから私はずっとアプローチしてたのに、全っ然振り向かなかったのよあの激甘溺愛野郎…」

「え、な、なんて?」

最後のほうは小声すぎて聞き取れなかった。

「もーうとにかく!矢吹くんはあんた以外の女子になんて興味がないのよ!まだわからないの?!」

大きすぎる不安にかられた私は、朝早く誰も来ない時間帯の学校に佳音を呼び出し、話を聞いてもらったのだ。

昨日の一部始終を話し終わると、佳音はこのように怒り出してしまった。

訳も分からず頭上に?マークを浮かべていると、佳音はもう許せないといった様子で私の肩を鷲掴みにする。

「いい加減にしなさいよ…この脳内お花畑女が!」

そう吐き捨てると、佳音はすたすたと教室から出ていってしまった。

「脳内お花畑女って…そこまで言う?」

でも佳音らしいな。

口調は少し強いけど、私のことを思って言ってくれているのはよくわかる。

私は今まで矢吹くん以外の男の人とあまり関わったことがなかったから、男の人の気持ちがよくわからない。

ただでさえ人の心の機微に疎い私の特徴を知っているからこそ、佳音はあんなふうに怒ってくれたんだと思う。

「私、頼りすぎだよなあ」

ぽつりと呟いた言葉はただの独り言だったはずなのに、自分の心にぷすっと刺さった音がした。

 * * *

「本当にごめん、妃奈!」

昼休みに入ると、佳音は私の机にやってくるなりすごい勢いで頭を下げた。

「いいっていいって。気にしてないよ。それに…」

「それに?」

「佳音が言ってくれたこと、全部正しかったし。こんな私でも一応、矢吹くんの彼女…なのに、自信なくしちゃってた」

そうだよ。矢吹くんはちゃんと私を見てくれてる。小さい頃から、ずっと。

「だから私、もっと頑張ろうと思う。矢吹くんの横に立っても恥ずかしくないように、矢吹くんにこれからも見ていてもらえるように」

「妃奈…」

「佳音のおかげだよ、気づかせてくれてありがとう」

すると、佳音はきゅっと泣き出しそうな顔になった。

「妃奈!あんた、幸せになりなさいよ!絶対!私の分まで…!」

「えっ?あ…うん、頑張る!」

そう言って両手でガッツポーズをすると、急に2人とも真剣すぎる顔をしていることに気がついて、佳音と同じタイミングで吹き出してしまった。

ひとしきり笑ったあと、佳音は私の手をとってにこっと笑った。

「妃奈なら大丈夫。だってこーんなにいい子なんだもん!」

「何その理由?!佳音ってば〜」

そのまま抱きついてきた佳音をどうどうといさめながら、私はこんな友達をもてて幸せだなあ、なんて思っていた。

 * * *

放課後、珍しく佳音が一緒に帰ろうと言ってきたので、2人で校門まで歩いていると、校門の近くに見覚えのある姿があった。

そのまわりには3人組の女子がたむろしている。まさか…。

「妃奈!お疲れさま」

「矢吹くん…」

まわりにいた女の子たちはそろって私をじろりと見て、ひそひそと小声で話しながら去っていった。

「矢吹くん、いきなりどうしたの?」

「うーん…別に用はないんだけどね。あの電話のあとから連絡がないから、心配でさ」

「えっ?ああ!」

そうだった。あのあと1週間矢吹くんにメッセージすら送っていなかったんだった!

怒らせちゃったかな…。

さすがに何日も連絡しなかったら矢吹くんを不安にさせちゃうよね。

「矢吹くん、ごめん!私、自分のことばっかりで…」

「もういいんだ。妃奈が元気な姿見たら、安心した」

「でもっ」

「いきなり来ちゃってごめんね。また今度」

矢吹くんが私に背を向けて歩いていく。その背中は、なんだかいつもより小さく見えた。

…私、矢吹くんに寂しい思いさせてるのかな。

それって彼女失格なんじゃない?

矢吹くんは私が寂しいとき、いつも一緒にいてくれたのに?

自分に自信がないからって、矢吹くんから離れるの?

自分勝手だ。そんなの嫌だ。

矢吹くんが好きなのに…!

「矢吹くん!」

矢吹くんが足を止める。ゆっくりと振り返る。

私は今まで出したことがないような大声で思いきり叫んだ。

「一緒に帰ろう!」

矢吹くんが驚いた顔をする。その顔はみるみる笑顔になっていった。

「うん。帰ろう、妃奈」

一緒に帰る予定だった佳音に謝ろうと後ろを向くと、その前にとん、と背中を押された。

驚いて振り向くと、佳音が目に涙を溜めてこちらを見ていた。

「いいから!早く行きなさい!」

「ありがとう、佳音」

最高の親友と別れ、矢吹くんのもとへ走る。

矢吹くん。矢吹くん。矢吹くん。

目の前にいるのにもどかしかった。たった数十メートルの距離が倍以上にも感じられた。

矢吹くんがこちらに差し伸べてくれていた手に、私の手が重なる。

あがった息を整えて、矢吹くんと向き合う。

少し前まで怖かった。この目を見るのが。

私をまっすぐに見つめてくれる、矢吹くんの瞳。

でも今は、怖くない。

矢吹くんと離れるほうが、よっぽど怖い。

「矢吹くん…私、のろまでマイペースだから」

矢吹くんは私のことを見てくれている。大丈夫。

「まだ、自分に自信がもてない。私が本当に矢吹くんの隣にふさわしいのか、わからない。だけど」

矢吹くんに伝えたい言葉を、ゆっくり選びとっていく。

「これから矢吹くんと一緒にいることで、自信をつけていきたい。矢吹くんに見合う人間になりたい」

そこまで言って、ひと息つく。最後の一言を声に出す。

「矢吹くんが、好きだから」

矢吹くんの顔がくしゃっと崩れて、泣きそうな顔になる。かと思ったら、ぼろぼろぼろっと大粒の涙を流しはじめた。

「え?!ちょっと、矢吹くん?」

矢吹くんは、泣きながら私を抱きしめる。

「だって…妃奈が初めて、好きって言ってくれたから」

「えっ…ええ?!」

うそ。私、言ってなかったっけ?

じゃあ告白のときなんて言った?

うう、泣きすぎて覚えてない…。

「ご、ごめん矢吹くん。これからはちゃんと言うから!」

ぱっと体を離して矢吹くんに謝る。これは本当に申し訳ない…。

「…でも威力すごいから、たまにでいいや」

鼻をすすりながら顔を赤くする矢吹くんに、私はちょっといじわるしたくなった。

「毎日言ってあげようか?」

すると矢吹くんはちらっとこちらを見て、「お願いします…」と言った。

その顔があまりにもかわいかったので、今度は私から抱きついてしまった。

「大好きだよ、矢吹くん!」

「僕もだよ」

矢吹くんの瞳に、これからもずっと映っていたい。

オレンジ色の夕日の中で、私たちは幸福に包まれていた。

 * * *

「…ふーん。あれが例の、ねぇ」

校門から少し離れた場所で、2人を見つめる若い男。

そのとき彼がつぶやいた言葉は、2人の耳に届くはずもなかった。

「…秀。お前の大切なもの、もらうからな」
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