矢吹くんが甘やかすせいで
ずるいのかもしれない
矢吹くんが昔、一度だけ全身を傷だらけにして帰ってきたことがあった。
今はもうないけれど、顔にもひどいあざができていて。
その横では、まだ5歳だった私も膝に傷をつくってぐっと唇を噛んで涙をこらえていたらしい。
矢吹くんは矢吹くんのお母さんにも、私のお母さんにも何も言わなかったけれど、小さかった私は近所の公園で起きた出来事をすべて話した。
* * *
私は気が弱くて泣き虫だったので、友達と遊んでいてもすぐに仲間はずれにされていた。
「ひなちゃん、すぐなくよね。よわっちいね」
女の子からは、そう言われて。
「ひなってさあ、ひとりじゃなにもできないんだろ。やぶきおにいちゃんがいないとなぁ」
男の子からは、馬鹿にされて。
「わたしだって、できるもん…」
悪口や陰口を言われることには慣れていた。
でも、その日だけは違った。
「ひなちゃーん、やぶきおにいちゃんがよんでるよ」
「え?やぶきくん?きょうはこないっていってたけど…」
「あっちのほうにいたよ!」
いつも嫌がらせをしてくるグループの女の子が、にやにやと笑いながら公園にあるトイレのほうを指した。
「…そうなの?」
「なによ。あたしがうそをついてるっていうの?!」
「ち、ちがうよ…」
私は女の子にぐいぐいと押されながら、公衆トイレの裏側をのぞきこんだ。
「やぶき、くん…?」
「おっ!ひっかかったぞ!」
そこに居たのは矢吹くんではなく、私をいじめる男の子たちのグループだった。
「え…?やぶきくんは…?」
「おらっ、やっちまえ!」
そこからはもう、口にするのもおぞましいほどひどい目に遭わされた。
砂をかけられたり、男の子たちが持っていたボールを投げつけられたり。蹴られたり叩かれたりは数え切れないほど。
「きゃー。きったなーい」
「た、たすけて…」
「ちょっとさわんないでよ!バイキンがうつるでしょ!」
「そんな…!」
私を連れてきた女の子は、楽しそうに笑っていた。
…だれも、たすけてくれない。
すぐにわかった。"これ"は我慢しなくてはいけないのだと。
頭を抱えこんで、じっと耐えていた、そのとき。
「きゃっ!なによ…!」
「女の子相手に、5人がかりかぁ。いつも妃奈に弱いなんて言ってるけど…自分たちはどうなんだよ」
「はぁ?なんなんだよ!おまえもよわいだろ!」
「俺は弱いかもしれないけどな、妃奈がいるなら強くなれる。俺よりずっと、妃奈が強いからだ」
「…はんっ。なにいってんだこのにいちゃん。ばっかじゃねぇの」
「…やぶきくん…きてくれたの…?」
「妃奈、遅くなってごめん。もう大丈夫だから」
「うん…うんっ…!」
私が覚えているのは、そこまでだった。
* * *
目が覚めると、矢吹くんは私を抱きかかえるようにしてうなだれていた。
「やぶきくん…?やぶきくん?」
「んん…妃奈…」
「やぶきくん、だいじょうぶ?」
「平気。ちょっとかすっただけだよ」
「でも…」
立ち上がって服についた汚れを落としながら、少し早口でそう言う矢吹くんは下を向いて目を伏せていた。
矢吹くんが嘘をついているのがわかるようになったのは、そのときからだと思う。
大丈夫だと言う矢吹くんの顔には大きなあざと、ざっくりと避けるように傷ができていて、そこから血がぽたぽたと垂れ落ちていた。
「や、やぶきくん!ちがでてるよ!」
「もう、大丈夫だって。妃奈は心配性なんだなあ」
無理して顔をゆがめながら笑う矢吹くんを見ていると、私はたまらず泣きだしてしまった。
「うっ、うぐっ、えっぐ………」
「ひ、妃奈…!泣かないでよ…」
「うわあーん…!」
「妃奈あ〜」
* * *
「…なんてこともあったな…」
「妃奈!夜ごはんできたわよ〜」
「はあい」
お母さんに返事をして、1階に下りようとする。
ふと窓のほうに目をやると、さっきの矢吹くんの嬉しそうな顔を思い出した。
矢吹くんはもしかして、私がまたいじめられないようにそばにいてくれているだけなのかも。
そう思うと、胸がちくんと痛んだ。
私は、ちゃんと女の子として見られてるのかな…。
矢吹くんから"守る対象"としてしか見られてないの?
だから矢吹くんはそのかわり、自分を大切にしてくれないのかな。
いやな考えがあとからあとから浮かんできて、私はそれを振り払うように首をぶんぶんと振った。
「今日のごはんは何かなあ」
大きめのひとりごとを声に出して、不安を打ち消す。
私は、ずるいのかもしれない。
今はもうないけれど、顔にもひどいあざができていて。
その横では、まだ5歳だった私も膝に傷をつくってぐっと唇を噛んで涙をこらえていたらしい。
矢吹くんは矢吹くんのお母さんにも、私のお母さんにも何も言わなかったけれど、小さかった私は近所の公園で起きた出来事をすべて話した。
* * *
私は気が弱くて泣き虫だったので、友達と遊んでいてもすぐに仲間はずれにされていた。
「ひなちゃん、すぐなくよね。よわっちいね」
女の子からは、そう言われて。
「ひなってさあ、ひとりじゃなにもできないんだろ。やぶきおにいちゃんがいないとなぁ」
男の子からは、馬鹿にされて。
「わたしだって、できるもん…」
悪口や陰口を言われることには慣れていた。
でも、その日だけは違った。
「ひなちゃーん、やぶきおにいちゃんがよんでるよ」
「え?やぶきくん?きょうはこないっていってたけど…」
「あっちのほうにいたよ!」
いつも嫌がらせをしてくるグループの女の子が、にやにやと笑いながら公園にあるトイレのほうを指した。
「…そうなの?」
「なによ。あたしがうそをついてるっていうの?!」
「ち、ちがうよ…」
私は女の子にぐいぐいと押されながら、公衆トイレの裏側をのぞきこんだ。
「やぶき、くん…?」
「おっ!ひっかかったぞ!」
そこに居たのは矢吹くんではなく、私をいじめる男の子たちのグループだった。
「え…?やぶきくんは…?」
「おらっ、やっちまえ!」
そこからはもう、口にするのもおぞましいほどひどい目に遭わされた。
砂をかけられたり、男の子たちが持っていたボールを投げつけられたり。蹴られたり叩かれたりは数え切れないほど。
「きゃー。きったなーい」
「た、たすけて…」
「ちょっとさわんないでよ!バイキンがうつるでしょ!」
「そんな…!」
私を連れてきた女の子は、楽しそうに笑っていた。
…だれも、たすけてくれない。
すぐにわかった。"これ"は我慢しなくてはいけないのだと。
頭を抱えこんで、じっと耐えていた、そのとき。
「きゃっ!なによ…!」
「女の子相手に、5人がかりかぁ。いつも妃奈に弱いなんて言ってるけど…自分たちはどうなんだよ」
「はぁ?なんなんだよ!おまえもよわいだろ!」
「俺は弱いかもしれないけどな、妃奈がいるなら強くなれる。俺よりずっと、妃奈が強いからだ」
「…はんっ。なにいってんだこのにいちゃん。ばっかじゃねぇの」
「…やぶきくん…きてくれたの…?」
「妃奈、遅くなってごめん。もう大丈夫だから」
「うん…うんっ…!」
私が覚えているのは、そこまでだった。
* * *
目が覚めると、矢吹くんは私を抱きかかえるようにしてうなだれていた。
「やぶきくん…?やぶきくん?」
「んん…妃奈…」
「やぶきくん、だいじょうぶ?」
「平気。ちょっとかすっただけだよ」
「でも…」
立ち上がって服についた汚れを落としながら、少し早口でそう言う矢吹くんは下を向いて目を伏せていた。
矢吹くんが嘘をついているのがわかるようになったのは、そのときからだと思う。
大丈夫だと言う矢吹くんの顔には大きなあざと、ざっくりと避けるように傷ができていて、そこから血がぽたぽたと垂れ落ちていた。
「や、やぶきくん!ちがでてるよ!」
「もう、大丈夫だって。妃奈は心配性なんだなあ」
無理して顔をゆがめながら笑う矢吹くんを見ていると、私はたまらず泣きだしてしまった。
「うっ、うぐっ、えっぐ………」
「ひ、妃奈…!泣かないでよ…」
「うわあーん…!」
「妃奈あ〜」
* * *
「…なんてこともあったな…」
「妃奈!夜ごはんできたわよ〜」
「はあい」
お母さんに返事をして、1階に下りようとする。
ふと窓のほうに目をやると、さっきの矢吹くんの嬉しそうな顔を思い出した。
矢吹くんはもしかして、私がまたいじめられないようにそばにいてくれているだけなのかも。
そう思うと、胸がちくんと痛んだ。
私は、ちゃんと女の子として見られてるのかな…。
矢吹くんから"守る対象"としてしか見られてないの?
だから矢吹くんはそのかわり、自分を大切にしてくれないのかな。
いやな考えがあとからあとから浮かんできて、私はそれを振り払うように首をぶんぶんと振った。
「今日のごはんは何かなあ」
大きめのひとりごとを声に出して、不安を打ち消す。
私は、ずるいのかもしれない。