はるけき きみに  ー 彼方より -

「道中、大変でございましたでしょう」
 中年の女が深く頭を下げる。

「大丈夫よ八重、ほら下乃浜の徳三さんに送ってもらったから」
 その徳三はどこか居心地が悪そうに頭をかく、そしてあわててお辞儀をした。
 ここは武家屋敷だ、自分が暮らす漁師の苫屋とは別格の構えだった。

 八重と呼ばれた女が先に立ち、紫音が後に続く。

「申し訳ないわね。いつもこの屋敷を使わせてもらって」
「とんでもないことでございます。本来ならお嬢様のお屋敷、篠沢家の邸宅があるのですが。突然あんなことになって、理由もなく取り上げられたのですから」

「それは言っても仕方のないことよ。あれから一年が経つんだし、もうこの状況を受け入れないとね」
「・・はぁ」

 部屋の御几帳を下ろして旅装を解いた。
 山越えの脚絆や手甲を取って、短くはしょっていた腰紐をほどく。

「せめて御髪に櫛を入れましょう」
 やや乱れていた黒髪を手早く直す。

「ありがとう、でもこれから行く所はあの建屋なのだから」

「そこへはたぶん鹿島・・様の配下が来ておりましょう。そのまま鹿島様のお屋敷に行くことになるのでは?」

 八重が、かしま・・さまと微妙な言い方をした。
 紫音はつかの間黙っていたが、
「そうかも知れない、でも長居はしないわ。挨拶をしたらすぐ下乃浜に帰るつもりよ」

 八重がじっと紫音を見た。
「すぐ? すぐに鹿島の屋敷から解放されたらいいのですが」

「大丈夫よ、私はこの堺から所払いになっているんですもの。用が済んだら早々に出ていかなくちゃね」
 ふふふとおかしそうに笑う。
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