弟、お試し彼氏になる。
(……本当に非現実的だな……)
高級ホテルが近づくにつれ、何度も帰りたくなるのを我慢した。
着慣れないちょっとフォーマルな服も、ここまで来ると浮かないと思う。
遅刻しないように早めに出たけど、失敗したかも。
この中に一人で入る勇気がない――……。
「……アヤちゃん」
なのに、外で待っていてくれた悠を前にして、声を掛けることができなかったのに。
「は……る」
「……うん。春、だよ。よかった、会えて。何となく、君は早めに来ると思って。ごめん、これってルール違反なのかな」
何となく――限りなく絶対に近いくらい、悠は私の性格から予測した。
「……中で待機、なんて指定はなかったもの。大丈夫じゃないかな。……ありがとう」
集合場所はロビーだった。
でも、その前に待ち合わせしちゃいけないなんて注意事項は記載されてなかったはず。
「……あのさ」
後は入るだけだ。
ううん、入ってから始まるのだというのに、目的を果たしたような気分になっていた私を呼び止めて彼は言った。
「俺、絶対に他の奴らにチャンスなんてあげない」
「そんなの、誰も欲しがらないってば」
しまった。
その言い方は、もともとの知り合いみたいだ。
とはいえ、弟用には聞こえなかったはずだけど、悠は不満だったらしい。
「……そう? じゃあ、手、繋いでもいい……よね」
――だって俺、弟じゃないんだもんね。
「それくらいアピールしとかないと不安。運営が略奪アリを仄めかしてるんだから」
「……そ、それは言いすぎでは」
略奪なんて。
他のカップルが知り合ってどれくらいとか、どれくらいの親密度かなんて知りようがないけど。
でも、ここに来るっていうことは、きっとある程度やり取りをして、かつ、カップル成立未満なんだろう。
表向きの私たちと同じ。
でも――実際は全然違う。
「……だめ? 」
上から、見下されているはずなのに。
反応を見逃さないというように、まるで見上げられているみたいに黒目が覗き込んでくる。
「ありがとう。だって……さ。そりゃ、こうなるに決まってるじゃん」
息を呑んだのは、指先が触れたからだけじゃなくて。
口調がそこだけ、悠だったからだ。
「あんな告白されたら。俺、本当に馬鹿でガキで……弟でしかなかったんだって、やっと分かった。それも、両親でもまさか絢のせいなわけもなく、ただ俺のせいでしかなかった。……弟だったんだ。年上のお姉さんに、所詮甘えてたんだよ」
「……そんな……」
そんな意味で告白したんじゃない。
私も同じだったんだよって。
私の方こそ、ずっと悠が好きで――好かれようなんて気負いすぎないでって伝えたくて。
「ううん、そうじゃない。絢の気持ちは伝わったし、すごく嬉しかった。ただ、ずっと傷つけてたのに気づかないで、俺だけなんだって必死になって何も見えてなかった。そんな自分が情けなかっただけ。でも、これからは違う」
――好きって教えてくれたから、絢にできること、もっとたくさんある。
まさか、こんなところまで監視――見守られてはいないだろうけれど、気がつけばお互い囁くように小声だった。
(……違う。照れただけ。道端でする話でもないだけ。別に……)
――悪いことなんて、何もしてない。
「ほら、行こう。さっさとカップル認定されて、二人きりの時間にしたい」
「……そういう会だったっけ? 」
「他は知らないしどうでもいいけど、俺たちはそうするの」
指先だけ絡んだ部分をくんっと引っ張るその動作は、やっぱり私の知らない春さんでもあった。
こくんと頷くと、指全体がしっかり絡み、目的地へと誘う。
現れたのは、成長した弟じゃない。
弟の記憶もある、大人の男性だ。